36. 昏倒させるんです
楽しい食事が終わり片付けをあらかたしたところで、私は不意に広場の空気が微妙に変わったことに気がつきました。
振り向いてレイドリークス様がいるであろう辺りの上の方を見ます。
多分あそこです。
私はお花摘みがしたくなった旨をお二人に告げ、片付けをしきれないことについて謝り了承を得ると、慌てているようには見えないよう、しかし歩きよりは早く目的の場所へ到達できるよう足を動かしました。
校舎に入り目的地の一歩手前で誰にも見つからないよう天井裏へと潜ります。
そうして対象のいる校舎三階のその場所へと向かいました。
そこは特別教室のある並びで今の時間人気はなく、ひっそりと動くには好都合です。
校舎内での妨害を想定していなかったのか、天井裏から背後へと近づいた瞬間にやっとこちらに気付き相手が振り向きました。
天井裏からいきなり現れた私に面食らっています。
もう遅いです。
私は相手の顎辺りに渾身の掌底を打ち込み昏倒させます。
手に持っていたのか吹き矢がカランコロンと落ち、その音が校舎の静寂に少しだけ響きました。
間に合った事にホッとしながら相手の立っていた場所に近づくと、窓の外では、楽しそうなローゼリア様の声がしています。
レイドリークス様が狙われている……?
何故、と思いましたがもう時間がないので、これについて考えることは一旦保留にします。
相手はサッと影が片付けてくれたので、慌てる事なく、午後の授業に間に合うようその場から立ち去ったのでした。
その日の五時限は、お昼の件のことがありあまり集中することができず。
実技だったのですが一人だけ一つ前のイモだったにも関わらず、消し炭にしてしまいました……。
周りの皆さんは洗濯桶の中に水を出し、入れてあった布巾と石鹸をやはり魔法でモミモミしています。
私も早くあちら側に行きたい……手元の炭と見比べながら、そう思いました。
散々な授業の後、少ししょんぼりしながら家へと帰り着きます。
お父様と約束をしているので、このままではいけないと頬をぺしぺしして自分に喝を入れました。
セルマンにお父様が帰宅していることを確認して、執務室へと向かいます。
コンコン
「ルルです」
「入りなさい」
「失礼します」
影見習いとして入る時とは違い、入った後は立ったままお父様に挨拶します。
「お帰りなさい、お父様」
「ただいまルル。何か話があるんだって? お前も学校から帰ってきたばかりで疲れているだろう、椅子に座りなさい。セルマンにお茶を持ってこさせよう」
お父様はそう言うとセルマンにお茶の用意を頼みました。
そして私が応接セットに座ったのを確認すると、自身も執務椅子から応接セットへと座り直します。
「さて、話というのは何かな?」
「はい、ええと……私の話もあったのですが、まずはちょっと、違う相談が今日できてしまっていて……どうも、第四皇子殿下が何者かにお命を狙われているようなんです。影から連絡がいっているとは思いますが……あれは生業にしている者の動きでした」
「だろうね。こちらに引き渡された後、実はすぐに自害してしまってね……予め口に毒を仕込んでいたようだ」
「そうなんですね」
手掛かりにすぐなるとは思っていませんでしたが、レイドリークス様の命がかかっているので報告された結果に少しがっかりします。
そうしていると、お茶の用意を調えたセルマンが入室し、お茶を机に置いて退室していきました。
「まぁこの件に関しては、私からも陛下に進言しておくので安心しなさい」
「はい、わかりました」
「さて。本題があるのだろう?」
「……お父様は、我が家のしきたりについてどの程度知ってらっしゃいますか?」
「しきたりについて、かい?」
そんなことを言われるとは思っていなかったらしく、お父様がきょとんとしています。
ですよね、私も疑問にも思っていなかったですから。
「改めて考えたら、何故赤茶の瞳が重要であるのか、その理由が我が家のしきたりには伝わっていないというか……少なくとも私への説明ではありませんでしたよね? なので、教えてもらえたら、と思って」
お父様はだいぶ思案し、用意されたお茶を口に含み、フーッと息を吐くと話し始めました。
「そういえば、私も父から詳しくは聞いていなくてね、どうももうすでに何代にもわたって赤茶の瞳をした子は生まれなかったそうだから。ルルが本当に久しぶりだったそうだ」
「そうなんですか」
「私が父から聞かされたことは、どうにも起源が建国の頃まで遡るらしいということと、赤茶の瞳の子は必ず当主にというしきたりだけだったよ」
「では、理由は失われているのですね」
「……いや、口伝で伝わっていないだけで、もしかしたら倉庫にある昔の書物の中には何か手掛かりがあるかもしれない。それにしても確たる理由もなくしきたり、などと私もつい伝統に飲み込まれ思考停止していたようだな」
「我が家は伝統だけでいえば格段にありますからね、仕方ないかもしれません」
「この件は私も調べてみよう。ルルも知りたいなら倉庫に入れるようセルマンに言付けておくよ」
「ありがとうございます、お父様」
「くれぐれも、危ない橋は渡らぬように。君は私の可愛い娘なのだから」
お父様はそう言うと、私の額にキスをしてくださいました。
小さい頃に戻ったようで、どうにもくすぐったく感じます。
再度感謝の言葉を告げると、お茶をゆっくり目に飲み干してから執務室を後にしました。




