女嫌いの王子殿下と、男装令嬢の私が婚約をする事になりそうな件
「なあ、リンファ。ちょいと頼まれてくれるか」
それはある日の朝。
唐突に、私は己がお仕えする主、リンドブルグ王国が第二王子シグア・リンドブルグから声を掛けられていた。
リンファ・メロジア。
それが、メロジア公爵家の令嬢である私の名前。
だけど、その事実を知る人間は極々一部のみ。
表向きの私は訳あってメロジア公爵家の次男坊としてシグアに仕えていた。
「はい。なんでしょうか」
「俺の為に、女装をして欲しいんだ」
真顔で。
一切の逡巡すらなく。
シグアの口から、とんでもない発言がさらりと出てきていた。
「…………はい?」
「だからな、お前に女装を————」
「いえ、その部分はばっちり聞こえてました。一瞬、聞き間違いかなって思ったんですが、殿下のお陰で今、私が正しかったんだって確信を持てました」
叶うならば聞き間違いであって欲しかった。
そんな感想を抱きながらも同時、主であるシグアが人には相談出来ないくらい追い込まれてしまっていたんだと思った私は彼に同情の眼差しを向けておいた。
「おいやめろ。お前、絶対とんでもない勘違いをしてるぞ。ソッチに目覚めたとかじゃないからな。念を押すが違うからな? だから、そんな可哀想な物を見るような目で俺を見るな!」
慌てて必死にシグアが弁明を始める。
必死に言い訳を重ねようとするあたり、その疑惑が払拭されるどころか、ただ怪しさが増すだけなのだが、シグアは気が付いていないのだろうか。
やがて、数秒ほどの気不味い沈黙を挟んだ後、
「……あー、あれだ。フィリア公爵家のご令嬢、お前も知ってるだろ?」
「ナターシャさんですか?」
「ああ、そのナターシャがこんな手紙を寄越してきたんだよ」
……俺は女が嫌いだっつってんのに、聞き分けが悪いのなんの。
疲労感を滲ませながら、シグアは私に手紙を差し出してくれる。
ナターシャ・フィリア。
フィリア公爵家のご令嬢であり、シグアを気に入っているのか。女嫌いを公言する彼に何かにつけて婚約を望む熱烈なアプローチをなさっていた方であった筈。
「そこに俺のさっきの発言の理由が詰まってる」
「……拝見致します」
四つ折りにされた手紙を開くと、そこにはデカデカとした文字で一言。
『殿下が婚約者をお決めになるまで、わたくしは諦めませんわ』
と。
「…………」
「な?」
「……何が、な? なんですか」
「要するに、リンファには、俺の想い人役をして欲しいんだよ。好きな人がいるから無理って断れるだろ? ただ、それをお願い出来そうな人間がリンファしかいないんだよ」
何となく事態は飲み込めてきたけど、ついこめかみを押さえたくなるくらいには、頭が痛いお願い事であった。
そもそも、想い人役を押し付けるとしても、せめて性別くらい合わせるべきじゃないだろうか。
確かに、下手に他の人間に頼んでしまうと厄介な事になりそうってのは分かるんだけども。
「……それに、なんで私なんですか」
私は、訳あって男装をしてシグアの従者を務めている身。
女装をしては、本当の性別がバレてしまう危険性がある。
だから、いくらシグアの頼み事とはいえ、とてもじゃないけどその言葉に頷く事は出来なかった。
というか、そもそも常識的に男性は、女装のお願いなんて受け付けるわけはないんだろうけども。
「だって、ほら、お前女顔だしさ。女装させたらいけそうかなって」
「…………」
本日何度目か忘れてしまった絶句。
……こちとらそれが本当の性別ですし。
女顔じゃん。
じゃなくて、正真正銘、女なんで。
と、言ってやりたい気持ちをどうにか抑え込む。
「丁重にお断りいたします。何より、それだとナターシャさんに悪いですし」
「……確かに、ドレスに抵抗があるのは分かる。だから流石の俺もドレスを着ろとは言わん」
そう答えるも、それでも尚とシグアは食い下がる。
公爵家のご令嬢からのアプローチを嘘を使って断るのは如何なものなのかという私の意見は耳に入っていないようであった。
「……断りたいのなら、そんな姑息な事をせずに正面から言って差し上げてください」
偽の想い人をでっち上げて断るなんて失礼にも程がある。というより、たとえ私が一万歩譲って女装をしたところで女嫌いを公言するシグアが婚約者を作った。などと言ってもナターシャはまず間違いなく信じないだろう。
だから、尚更やる意味が見出せなかった。
「……手紙を使って俺が何度も断ってるの、リンファだって知ってるだろ」
「なんで手紙なんですか……」
「それだけ女が苦手なんだよ」
ここで実は私、女です。
と言ったらシグアはどんな反応をするんだろうか。なんて悪戯心がほんの僅かに芽生えたけれど、胸の奥に仕舞い込む。
色々な事情あって、私は今、こうしてシグアの側に従者として仕えている。
だからこそ、まだ己の性別の秘密を打ち明けるわけにはいかなかった。
「……兎に角、私は女装なんて致しませんので」
「ま、まて。一日! 一日で良いんだよ! ナターシャのやつを追い払えさえ出来れば!!」
「姑息な手段を考える暇があるのなら、少しでもその女性嫌いを直す事をお考えになって下さい」
————陛下であるお父上も、殿下のその女性嫌いには頭を悩ませてらっしゃいますし。
それだけ告げて、私はその場を後にすべく出入り口に続く扉へ向かう。
直前に、縋るような声音が私の耳に届いていたけれど、様々な観点から、それに頷く事は無理なので心を鬼にして「失礼しました」とだけ言って私は部屋を後にした。
そして、ぱたんと閉まるドアに背をもたれさせながら、ぽつりと一言。
「女装、か」
女が女の格好をするのだから、女装とは言わないかな。
そんな感想を抱きながら、自身の今現在————男性の従者らしい服装に身を包む己に視線を落とす。
「……それが出来れば、苦労はしないんだけどさ」
私も、好きで男装をしているわけじゃない。
好きで、シグアを騙してるわけじゃない。
ただ、女嫌いであるシグアの側に、女の私がいられる方法が男装しかなかったというだけで。
「でもまさか、シグアが幼馴染の性別を間違えて覚えてるとは思ってもみなかったけど」
ポニーテールになるよう、結って束ねた己の髪に手を当てる。
それは、解いているとより女に見えるから。
と指摘を受けて結うようになったここ最近の私の変化の一つだった。
「普通、間違うかな。小さい頃とはいえ、幼馴染の性別をさ。……まぁ、格好は女っぽくはなかったかもしれないけど」
幼い頃は外でわいわいするのが好きだった事もあって、髪は短くしてたし、遊ぶのに邪魔だからズボンを履く事が多かった。
でも、それでも、性別を間違って覚えてる事ってある?
などと言わずにはいられない。
家同士が特に仲良かった事もあり、昔は毎日のように一緒に遊んだ仲だったのに。
でもそのお陰で、女嫌いのシグアの従者として、男と思われている私が選ばれる事となった。
本当は騙すのは申し訳ないからと辞退するつもりでいたけど、本当は女性である私を側に置いておけば、もしかするといつか、シグアの女嫌いが克服されるかもしれない。
陛下からの、藁にもすがる頼みという事もあり、こうして受ける事になったのだけど。
「……前途多難だ」
従者を始めて早、三ヶ月。
早くも私の身に危機が迫りつつあった。
†
それは、今から丁度、三ヶ月前の出来事。
何の脈絡もなく、リンドブルグ王国が第二王子にあたるシグアから、従者にと指名を受けたという話を私は聞かされていた。
ただ、その言葉の中には到底、看過出来ない意味不明過ぎるワードまで混ざっていたが。
「……あ、あの、父上。言ってる意味が私にはよく分からないのですが」
「だから、だな。リンファには男装をした上で、シグア殿下の従者として仕えて欲しいのだ」
私が混乱する理由は、父上にもよく分かっていたのだろう。その口調は何処か言い辛そうではあったけど、意味不明過ぎるワードが訂正される事は残念ながら、なかった。
「……シグア殿下が女嫌いという事は、お前も知っておるだろう」
「ええ。それは」
顔を合わせたら、鳥肌が立つだとか。
恐怖症による女嫌いではないらしいけど、シグアが大の女嫌いである事は周知の事実であった。
でも、そこまで考えたところで一つ、疑問が浮かび上がる。
あれ? シグアは女嫌いなのに、なんで従者に女である私を指名したんだろう?
「……あの、父上。一つ、よろしいでしょうか」
「なんだ」
「シグアは女嫌いなのに、何故私を従者に指名したのでしょうか?」
私とシグアは所謂幼馴染という関係。
特に繋がりの深い王家と公爵家の人間同士ということもあり、幼い頃はよく共に遊んだ仲であった。
でも、それから疎遠となり、程なくシグアが女嫌いになった。という事を聞いてもうこれから先、シグアに関わる機会はないかもしれない。
そう思っていたからこそ、今回の父上からの申し出は青天の霹靂でしかなかった。
「……お前に男装をしろと言っている理由が、そこに全て詰まっている」
「と、いいますと」
「シグア殿下は、お前を〝男性〟であると思い込んでいるらしい」
「………………。はい?」
父上が意味の分からない事を言うものだから、一瞬、頭が真っ白になった。
でも、それは父上も自覚しているのか。
こめかみ付近を押さえながら、頭痛の種だと言わんばかりに渋面を浮かべていた。
「シグア殿下は、リンファ・メロジアを男性であると思い込んでおるらしい。故に、シグア殿下の女嫌いをどうにかして治そうと、陛下が従者に女性をつけたりと試行錯誤する事に嫌気がさしたシグア殿下は、リンファを従者にしてくれと言い出したそうだ」
「は、はあ」
……まぁ、いくら第二王子とはいえ、いい歳になってきたし、いつまでも女嫌いが通る立場ではないよねと理解する。
でも、それでも私を男装させてシグアの従者にさせようとする意図が分からなくて、生返事になった。
「勿論、陛下はお前が女である事は存じておられる。しかしだからこそ、都合が良かったのだ」
「……何となくですが、漸く事態が飲み込めてきました」
陛下は、どうにかしてシグアの女嫌いを治したい。だからこそ、シグアが従者にと私を指名した事をこれ幸いと捉えたのだろう。
考えられる可能性としては、女である私に男装をさせ、本人も預かり知らぬうちに女性に慣れさせ、シグアの女嫌いを治す。
といったところだろうか。
「……私もそれは無理があるのでは、と思ったのだが……後生だと押し切られてしまってな。流石に、あの様子で頼み込んでくる陛下の言葉を無下にする事は出来なんだ」
という事で、私が男装をしてシグアの従者となる件を父上は引き受けてしまったのだろう。
陛下直々の頼みともなれば、断り辛い事は分かる。分かるんだけど。
「……。分かり、ました。でも、バレても私の責任じゃないですからね」
「それは勿論。私も陛下もその点については納得をしている。たとえ露見したとしても、最大限、お前には非がなかったと説明するとも」
……男装、とはいってもどう考えても、すぐに私が女であるとバレる。
父上にも体裁があるだろうし、バレても仕方がないと納得してくれてるのなら、当たって砕けるのも止むなしか。
———————と、思って私は従者の件を承諾し、こうしてやってきたと言うのに。
「……これが案外、バレてないんだよね。ていうか、やっぱりシグア鈍くない? こんなに鈍くて大丈夫? 悪い女に騙されてない?」
いざこうしてやって来てみれば、心配になってしまうくらい、シグアが鈍ちんだった。
数年ぶりに顔を合わせた際、めっちゃ目に見えて身体を硬直させてたから一瞬、「バレた……?」とか思ったのに、めちゃくちゃ上機嫌に私に抱きついた癖に、全く気付いてなかった。
本当に、陛下を悩ませている女嫌いはどこ行った状態。
再会初っ端から、私は出鼻を挫かれていた。
「……でもまぁ、形はどうあれ、久々にシグアと一緒にいられるのはなんだかんだ嬉しいし、良いんだけどさあ」
初日なんかは、この先どうするんだこれ?
状態だったけど、三ヶ月も男装しながら従者をしてると慣れるもので、今ではシグアの従者がすっかり板についてしまっている。
「でも、あの女嫌いは何とかならないのか……。いや、私には大丈夫っぽいし、私以外の女嫌い? ううん、私は性別を偽ってるわけだから……あぁ、もう!! めちゃくちゃややこしいなこれ!!」
しかし、幾ら板についてきたとはいえ、私が従者を務めてるせいで、シグアの女嫌いの皺寄せは私にやって来ている。
どれだけ女嫌いであっても、御国の第二王子であり、性格も女嫌いを除けば至ってまとも。
顔立ちも所謂美形と呼ばれる部類だし、外から見れば優良物件である事に疑いようがない。
しかしだからこそ、外からの縁談なり、招待なりがそれなりに来てしまう。
それらが最近の私の頭痛の種でもあった。
正直、対処が面倒臭い事この上ない。
「……兎にも角にも、シグアが女嫌いを治せば全て万事解決なのに……」
婚約者の一人でも決めれば、色々と楽になるだろうに。とは思うけど、相手からの度重なるアプローチを断る為に従者に女装してくれ。
などと言ってくるような状態である。
流石の私も、今のシグアにそんな恐ろしい事は言い出せなかった。
「いや、待ってよ」
眉間に皺を寄せて考え込む。
男装をして性別を偽り、こうして私が嘘をついてシグアの従者を務めている理由は女嫌いの性格が原因。
決してシグアの従者が嫌なわけじゃないけど、色々と申し訳なくもあるし、出来れば本当の性別をオープンにした上で関わっていきたいというのが本音だ。
「ここは折角だし、ナターシャさんに頑張って貰えばいいのでは……?」
見てる限り、大抵の事では心が折れないくらいにはナターシャさんはシグアに執着している。
だったら、ナターシャさんにシグアの女嫌いを治す手助けをして貰えば、解決に近付くのでは? 我ながら天才的な案なのでは?
「……よし。そうと決まれば、王城に来て貰おう。陛下もシグアの女嫌いを治したがってるし、そこは口裏を合わせて貰うとして」
お茶会とかはシグアの柄じゃない事は知ってるから、お茶会はなしだとしても、会話をする機会をどうにかして作らなくちゃいけない。
「ナターシャさんとシグアが会話する機会を作れるとしたら……無難に食事の時とかかな」
他はなんというか。
シグアが理由をつけて逃げる可能性がどうしても否めない。
ただその点、リンドブルグ王家がテーブルマナーに厳しい事は私もよく知ってるし、食事時ともなればシグアも逃げるに逃げられない筈。
「シグアの良心を利用するようで申し訳ないけど、私が腕によりをかけて料理を作った。とかいえば恐らく釣れる筈」
幼馴染だからか。
シグアは私にかなり心を開いてくれている。
偶にクッキーを焼けば、喜んで食べてくれてるし、いつだったか。
料理を振る舞うとか約束してたし、それをこの時にぶつけてしまおう。
一度席につかせてしまえばこっちのもの。
「ナターシャさんには……そうだなあ。これまでのシグアの適当な扱いに対する謝罪、なんて銘打っておけば大丈夫かな?」
かなりゲスい事をやっちゃってる自覚はあるけど、ナターシャさんにとっても悪くない展開だろうし、陛下もきっと賛同してくれる。
損するのは恐らくシグアだけだけど、流石にいつまでも女嫌いを貫くわけにもいかないだろう。
だから、いわばこれは愛情なのだ。
私はそう綺麗に纏めて、ナターシャさんへの招待状を書くべく、筆を走らせる事にした。
†
それから三日後。
陛下には、シグアの女嫌いが治るなら協力は惜しまない。素晴らしい案だ。
などとめちゃくちゃ褒められ、全面支援を約束されながらも丁度今朝方、ナターシャさんからのお返事が手紙で届いていた。
返答は簡潔に一言。
『行きますわ』
これだけであった。
他に言葉はいらないという事なのだろう。
到着は大体、今日の日暮れ頃らしいので、夕餉に会話する機会を作るべく、私は現在進行形でキッチンに立たせて貰っていた。
「しっかし、リンファってなんでも出来るよな」
まるで、フライパンを自分の腕のように巧みに扱う私の様子を見詰めながら、シグアが呟いた。
「なんでもは流石に言い過ぎだと思いますけど、料理くらいならそれなりに出来ますね」
今でこそ男装をしてるものの、私は実家では歴としたお嬢様扱いを受けていた。
ただ、何でもかんでもやって貰う事が性に合わなかったので、暇を見つけて料理やらなんやらかんやらやってるうちに大概の事は出来るようになっていた。
お嬢様はお世話のし甲斐がありません。
と、残念そうに何度、使用人達に言われたことか。
「ま、俺はそのお陰で美味いものが食べられるから、嬉しい以外の何ものでもないんだが」
そう言って、シグアは破顔した。
別に呼んだわけでもないのに、キッチンに立つ私の様子をかれこれ一時間近くシグアは眺めている。特別面白かったりもしないだろうに、飽きないのだろうか。
「ところで、リンファ」
「はい。なんでしょう?」
「その言葉遣い、そろそろやめないか? 昔みたいに、砕けた口調の方が俺は嬉しいんだが」
敬語を使われると、幼馴染なのに距離を感じるからやめて欲しい。
その申し出は、前々から私に対してシグアが言っている事であった。
でも。
「これは、ケジメですので」
幾ら幼馴染で、家同士の付き合いが深いとはいえ、流石にそこの分別は弁えなければならない。
だから、シグアが不満に感じようとそれを譲る気はなかった。
「……ケジメってお前なあ。確かに、公の場でならまだ分かるが、二人きりの時くらいは良いだろ」
確かに、ただの幼馴染として会っているのであればその対応も吝かではなかった。
でも、今の私達の関係は、主従である。
だから、いくら言われようとも従うわけにはいかなくて。
「それでも、です」
「ならせめて、呼び方。殿下ってのだけでも直してくれよ」
「それもダメです」
「ちぇ。いつから俺の幼馴染は、父上みたいに頭が固くなっちまったんだか。昔はシグアって呼んでくれたのにさ」
シグアはそう言ってぶー垂れる。
「……昔も一応、初めの頃は殿下とお呼びさせていただいてましたよ」
歳が歳なだけに、舌足らずな部分はあったけど、一応当時の私も当初はシグアの事を殿下と呼んでいた。
「で、俺が無理矢理シグア呼びにさせたんだよな。覚えてる、覚えてる」
……本当にその通りで、シグア本人に俺の事はシグアって呼べ。などと矯正された。
というより、ちょっとした負い目から、そう呼ばざるを得ない状況だったのだ。
「あれは、リンファが一人で————」
「あー!あー!あー! 聞こえないー! なにも聞こえませーん!」
懐古するように、私の失敗談を掘り返そうとする鬼のような所業を試みるシグアを前に、私は両手が塞がっていたので言葉を遮るように大声をあげる。
すると、シグアは面白おかしそうに相好を崩していた。
……くっ、人の気も知らないで。
「……でも、もうあんな事にはなりませんから。魔法の腕だってそれなりに磨いてますし、殿下のお世話にはもうなりませんから。寧ろ、今度は私がちゃんと従者として殿下の事をお助けしますから」
それは、もう十年以上昔の話。
私もまだ幼くて、シグアの関係もぎこちなくて打ち解けてなかった頃。
私は一つ、大きな失態を犯した。
そして今回、男装をしてまでシグアの従者の件を引き受けた理由というものは、九割くらいその時の恩返しがしたかったというのが理由だった。
残りの一割は、自分本位な理由。
ただ、シグアとまた一緒にいられたら楽しいだろうなって、私の我儘だった。
「あの時は、リンファが俺と打ち解けたくて、一人で森に入って俺の好物の果物取ってきてくれようとしたんだよな。でも、見つけるのに時間がかかって、気付いたら夜になってて。帰ろうにも、魔物がいるから帰れなくて、一人で隠れてやり過ごすしかなくて」
「ぐ、聞こえないって言ったのに……」
グサグサと私の心に矢が突き刺さるのが分かる。
幼かった事もあって、当時はシグアとどう接すればいいのか悩んでた。
でも、本音はどうにか打ち解けたかった。
だから、そのきっかけを作ろうと、幼き頃の私は森に入った。
「それで、俺が助けに向かったんだけど……予想外に魔物だらけで二人で一日、森で過ごす羽目になったんだよな」
颯爽と助けに来てくれたとこまでは良かったんだけど、予想以上に魔物で溢れてて、結局、二人して隠れながら一夜を外で過ごす羽目になった。
でも、そのお陰で私はシグアと打ち解ける事が出来た。勿論、その時の事は色んな人から沢山怒られたし、あんまり良い思い出ではないんだけども。
「でも、そういう事なら少しは安心だな。とはいえ」
聞きたくないって言ってるのに、けらけら笑いながら思い出話をするシグアにはお仕置きだ。
そんな事を思いながら、私は上の戸棚に収められた辛い香辛料を背伸びして取ろうとして。
「ぁっ」
でも、背が足りなくて、入れ物ごと取りこぼしてしまいそうになったところで、
「おっちょこちょいなところは、まだ直ってないみたいだが」
いつの間に私の背後に回ったのか。
シグアが後ろから押さえてくれた事で、落下して大惨事。という事態は未然に防がれた。
「…………あ、ありがとう、ございます」
「ほら」と言われ、肩越しに振り返って入れ物を受け取ろうと試みる。
その際、シグアの顔が至近距離にあったから、少しだけ動揺してしまう。
この三ヶ月の間に見慣れてはいたけど、いざ至近距離ともなると、心臓が強く跳ねる。
そして、シグアへのお仕置きを兼ねて取ろうとした香辛料だけど、こうして助けて貰った手前、それを使うのは憚られた。
この香辛料、どうしよう……?
と悩みあぐねる私をよそに、シグアが言葉を紡ぐ。
「なあ、リンファ」
「は、はい」
「リンファの立場は俺も分かってる。だから、言葉遣い云々について、多少は仕方ないと分かってるんだが、少し寂しくあるんだよ」
銀細工のような長い睫毛に縁取られた碧色の瞳が、私をじっと射抜く。
本人は、一切鼻にかけた様子を見せる事はないけど、如何にも女受けしそうな甘く繊細な面立ち。
シグアは男同士と信じて疑っていないから、気にした様子はないけど、如何に相手が幼馴染とはいえ、この至近距離は心臓に悪い。
だから、どうにか言いくるめて、距離を取って貰おうと考える私だったけど、
「ふふふふ。ここに居るとお聞きして、このナターシャ、馳せ参じましたわよ。漸く、シグア殿下にもわたくしの熱烈なアプローチが届きました、の、ね……?」
入り口から丁度、意気揚々とした様子で聞こえてきた声音に私は身体を硬直させた。
シグアは自他共に認める女嫌いだから、聞き覚えはないだろうけど、この声の主が誰であるのか。それを私は知ってる。
というか、夕方にやってくる予定だったんじゃないのか。
幾ら何でも早すぎるでしょ。
なんて感想を抱きながらも、私は声の主である女性————ナターシャさんの姿を確認。
でも、何故か視界に映り込むナターシャさんは信じられないものを見たと言わんばかりに、パチクリと瞠目していた。
「で、殿下が女性嫌いとはお聞きしていました、けど、そういう理由、でしたのね。わ、わたくしの考えが至らず、たいへん申し訳なかったでしたわ」
めちゃくちゃ言葉遣いが変だった。
如何にも動揺を隠し切れないと言わんばかりの様子。
というか、あれ?
なんでナターシャさん、そんなに動揺してるの……? と思った直後。
ナターシャさんの角度からは、シグアと私が丁度向かい合って抱き合っても見えるような立ち位置であると程なく気付いてしまう。
「い、茨の道でしょうけど、頑張ってくださいまし。し、失礼いたしましたですわ」
「「…………」」
その発言に、私はシグアと顔を見合わせて黙考。やがて、
「わ、わー! わーー!! 違う! 違うから、ナターシャさん!! とんでもない勘違いしてる!! これは違うから!! 違うんだって!!」
そそくさとその場を後にしようとするナターシャさんを、どうにか引きとめる。
しかし、私の言い訳虚しく、ナターシャさんにはその想いが通じなかったのか。
「……だ、大丈夫ですわ。わたくし、こう見えても口は硬い人間ですの」
「全然大丈夫じゃないから!!」
「……ん。リンファと結婚か。確かにそれは盲点だったかもしれないな」
「おいそこ! なに、一理あるみたいな顔してるの!? お願いだから否定して下さい!!」
実際はノーマルだけど、シグアはそれを知らない。どこからどう見ても醜聞でしかないのに、それはアリかもしれない。
みたいな発言をしないで欲しい。
いや、実際問題、それが嫌かと聞かれれば嫌では無いんだけども……って、ああもう! やっぱりめちゃくちゃややこしいな、これ!!
「なあ、リンファ。料理、焦げてるぞ」
「ああああああ!!?」
場は最早、混沌としていた。
†
それからというもの。
とんでもない勘違いをしたナターシャさんに、それは勘違いであると幾度となく言い聞かせる事、一時間。
いっそ俺達、婚約してみるか?
なんてとち狂った事を言い出すシグアを説得する事更に一時間。
何処からか、今回の件を聞きつけた陛下に、家格的には問題ないし、私とシグアを婚約させるのはアリかもしれないな。
などと冗談とも、本気ともつかない様子で言い出す陛下の話に付き合う事、十数分。
このまま話を聞き続けてると、本気でシグアと婚約させられそうな感じだったので、失礼しますと告げた私を、何故かシグアが待ってくれていた。
そして、外で少し話をしないかと言われ、シグアに連れられてバルコニーにやって来る。
「悪いな、リンファ。悪ノリが過ぎた」
「……分かっていらっしゃるのなら、少しは控えて下さい」
悪餓鬼のような笑みを浮かべ、シグアが言う。ナターシャさんや、陛下への言い訳に時間を掛けていた事を知っているのだろう。
ほんの少しだけ、その言葉には申し訳なさのような感情が見え隠れしていた。
「でもまあ、半分本気ではあったがな」
……え。これってまた、一時間掛けて説得しなきゃいけないの?
と、思ったのも刹那。
「お前と一緒にいる時間はその、凄く楽しいんだ。それこそ、言ってたように周りの意見を無視してでも婚約しても良いと思えるくらいには」
そこに冗談めいた様子はなく。
純粋にそう思ってくれているのだと分かってしまったから、あまり強くやめてくださいとは言い辛くて。
「こんな事なら、早くからリンファに従者を頼んでおけば良かったな」
シグアが女嫌いという話が出回っていたから、あえて距離を取っていた、とはとてもじゃないけど言えなくて。
「でもまあ、これから一緒に楽しんでいけばいいだけの話か」
そんな私の心境を知らないシグアは、屈託のない笑みを向けてくる。
その笑顔のお陰で、難しく色々と考えるのが馬鹿らしく思えてくる。
だから、難しい話はさておき。
昔とは違い、少しだけややこしい関係ではあるけれども。
「……少し、忙しくはありますけど、殿下との日々は私も楽しいですよ」
「そうか。それは良かった」
そして、話は円満に解決————と、思っていたのに。
「でも、そうなるとやっぱり俺達で婚約するって話はやっぱり何かと都合が良いよな。女除けも出来そうだし、俺もリンファもお互いに一緒にいられそうだし」
「……その話はもういいです」
惜しいことをしたかもしれない。
などと宣うシグアの様子は、私が肯定すれば、これ幸いと話を進めてしまいそうなものでしかなく。
シグアのその言葉に対して照れ臭くはあったけど、私は、溜息を吐かずにはいられなかった。
読了ありがとうございました。
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