第19話 最強の信頼
すぐさま村は大喧噪に包まれた。ドラゴンが村の空を飛んだ。つまり、ドラゴンの生息圏内に村が入ったということである。狂乱の最中、ただ各々が好き勝手なことを言うだけでは話は進まない。
すぐさま長老宅に多くの大人たちと狩人、そしてロイが呼び出された。
「……何で俺」
「“最強”を名乗ってるんだから呼ばれるでしょ」
「まあ、そりゃそうか」
ロイは誰にもバレないようにミカを教会に届けた後、素知らぬ顔でラケルと共に長老宅に向かった。ドラゴンは『魔神戦役』で最も多くの人類を殺したと言われているほどの魔物だ。もう少しパニックになると思っていたのだが、村人たちはロイが考えていたよりも冷静に立ち回っている。
長老宅に集まると、皆がぐるりと円を囲むようにして座り込んでいた。ロイたちはその末席に加わる。みな、死んだような顔をして黙りこくっていた。それもそうか。半狂乱になっていないだけマシかも知れない。
「よく、集まってくれたな」
ロイが座るのを待ってから長老がそう言った。その顔は何時にもまして真剣である。
「何で集まったかなど、一々言うべきではないかも知れん。だが、1度ここで共有しておきたい」
その場にいた十数名の視線が長老に集められる。
「ドラゴンが、現れた」
老婆はその双眸に力を込めて続ける。
「2つの選択肢がある。逃げるか、戦うか、だ」
「それは……」
逃げる、という選択肢はほとんど残されていない。何故か。決まっている。ここで逃げ出せるような連中は、この村には残っていない。みな『魔神戦役』でどこかに行ってしまっている。フィニスの村に残っているのは、何かしらの事情で村から離れられない者、あるいはこの村で死ぬと決意を固めている者だ。
そもそもロイは街から田舎にやってきたが、この国で居住地を変えるというのはおいそれと簡単に出来ることではない。村から逃げ出して別の村に行くとしよう。彼らに別の村で生きるための術はほとんどないと言っていい。
ロイとサラがフィニスの村に受け入れられたのは、彼らの父親がフィニスの村出身だったからと、ロイが男だったからだ。そのどちらかが無かった場合、彼らはこの村で暮らすことは叶わなかっただろう。
「はーい」
張り詰めた空気の中、ロイが手を上げた。長老を含めた視線が彼に向く。
「どうした」
「騎士団に頼るのが良いと思いまーす」
「……む?」
「あのドラゴンは進行方向的に西側、つまり騎士団のキャンプ地の方向に飛んでいった。幸いにして、俺とカイン――ああ、騎士団長ね――には面識がある。村はドラゴンが脅威、騎士団はドラゴンが邪魔になる。ここはお互いの利益が一致しているし、任せてみるのはありじゃないかと」
「ふむ。ならば、ロイ。お主にその役任せても大丈夫か?」
「構いませんよ」
「なら、ロイ。その役をお主に頼みたい」
「長老。彼を疑うわけではありませんが、騎士団に拒否された時のことも考えておいたほうが良いのでは?」
手を上げたのは老人だった。この村には珍しい男の老人だ。彼ですらも長老を長老呼びするあたり、彼女は想像以上に年上なのかもしれない。
「うむ。確かにその通りだ。だが、『騎士団』に断られた時、我らには道は残されていないだろう。相手はあのドラゴンだ。どこに居場所を移そうとも、あの羽からは逃れられん」
「……む」
「つまり、『騎士団』が倒せればよい。だが、もし拒否されたのなら我らはここで死ぬしかないというわけで」
その時、長老がロイを見た。
「待て。ロイ、お主は最前線にいたのではないか?」
「いましたよ」
「なら、ドラゴンを倒したこともあるのではないのか?」
「ありますよ」
「そうなら、あのドラゴンを倒せるのではないか!?」
「それもアリですね」
造作もない事だと言うようにロイは言い切った。『魔王』や『魔帝』と戦ってきた彼にとってドラゴンなど面倒な敵でしかない。
「ただ、ちょっと心配ごとがありまして」
「心配ごと?」
「ま、せっかく『騎士団』が居るんですからそっちに任せましょうよ」
ロイはそういって肩をすくめた。
「俺がやるとまた山を吹き飛ばすかも知れませんし」
その言葉でかすかに笑いが零れた。
「駄目だったときは俺が行きますよ。それで良いでしょう?」
長老が深くうなずく。
「なら、これ以上話すことも無いでしょう。解散しましょ、解散」
「うむ。その通りだ」
長老はすぐに解散の指示を取った。
最強がいる。
彼の活躍はその村にいる者たち全員が知っていると言っても過言では無かった。本来ならば家を建てられるほどの金を積む魔法の教師をタダで引き受けたという話。子供の怪我、狩人たちの怪我を無料で治すという活躍。そして、オークたちを吹き飛ばした最強の魔法使い。
彼らにとってロイとは文字通りの救世主であった。ドラゴンに目が覚めた子供たちを、親たちはロイがいるからと言って安心させる。老人たちも彼がいるならと安心して眠る。ドラゴンという存在を前にして、村がその形を保てたのは間違いなく彼のおかげであった。
「本当にカイン様のところに行くの?」
「あいつ様付けされるほど偉いやつじゃないぞ」
「いや、でも騎士団長様でしょ?」
「俺の父親も前騎士団長なんですけど!」
「え、それは初知り。ペルトロさんだっけ?」
「そう」
戦って、戦って、戦った。
魔法が使えると、剣が使えると。ただそれだけの理由で年端も行かない子供を最前線に送り出す光景を間近で見ていたペルトロは何を思ったのだろう。だからロイの故郷が壊滅したと知った時、彼が父親になると言ってくれた。
「ほぇ~。この村から騎士団長様が出てたなんて知らなかった。そんな凄い人ならここまで話が伝わってても良いのにね」
「まあ、良くも悪くも『勇者』たちの方が話題になるしな」
話題性は大事である。
「明日ついてくるか?」
「え、良いの!?」
「なんかついてきたそうだったし」
「実は私、騎士団に入りたかったの」
「ええ~、軍隊だぜ……?」
「だからこそよ。この村の人たちを守りたかったから」
「それなら狩人で良くないか?」
「それもそうだけど、やっぱり狩人よりも『騎士』の方が村の人たちも安心できるじゃない」
「安心させたかったのか?」
「当り前じゃない。この村は場所が場所だから、やっぱりみんな怖いのよ。いつ魔物が来たっておかしくないもの」
「それにしてはあんまり怯えてる様子も無いけど」
「……ロイがいるからよ」
「俺?」
「そうよ」
その在り方に、彼女はどれだけ憧れただろう。だが願ったものは手に入らなかった。
「ロイが強いから、みんな安心してるの」
「そりゃ万々歳だ」
「ねえ、ロイ」
「どした」
「貴方みたいに強くなるにはどうしたら良いの?」
ラケルに真正面から覗かれて、ロイはその場に立ち尽くした。彼女の顔はいたって真面目。本気でその言葉を口にしている。
「強くなりたいのか?」
「なりたい。ロイみたいに、『勇者』様みたいに、みんなを安心させられるような」
「『勇者』は死んだ」
ロイの冷え切った言葉がラケルを貫いた。
「死んだんだ」
「けど」
「だから、憧れるなら俺に憧れろ」
「は?」
「死者にどうこう言ってもどうしようもねえだろ。だから、生きている俺だ」
「……その自信の大きさだけは見習いたいわ」
「ま、強くなれば分かるって」
「ちょっと背中バンバンしないでよ。おっさんみたいよ」
「お、おっさん……」
思わぬ一言にロイの手が止まる。
「嘘でしょ? そこで傷つくの?」
ラケルの素直な疑問の言葉が静寂の中、響き渡った。




