夕暮れと向日葵
痣っぽくなった左足をズルズル引きずりながら、正門を目指す。同時に殴られた右の二の腕あたりも、まだズキズキと脈打っては存在を強調してくる。
今日の昼休み中の直感は当たってしまった。青山さんの心でも読めるようになったのかもしれない。えへへ、嬉しくない。
青山さん曰く、私が光さんに黒魔術をかけて味方につけようとしたんだとか。いや、誰がするかってかできないわそんなこと。こっちには私の存在を操れる人しかいないわ。いつから青山さんはオカルト好きになったんだろう。
それはさておき、さっさと家に帰って昼休みに読み損ねた新作の本でも読もうかな。
「......?」
あれ、誰だろう。校門の前で寄りかかってる、髪の長い人。逆光で顔が全く見えない。
というか私、何かとっても大事なことを忘れているような...?
門の前まで来たとき、人影は気付いてパッと振り返る。
......と同時に大切な約束を思い出した。
「待ってたよ、優羽香ちゃん」
光さんの優しい笑顔に、罪悪感が支配した脳では、正しい返答をすることができなかった。
カツカツと二人分の足音が響く帰路。いつもは悲しげな夕焼けも、スポットライトのように二人を......いや、光さんを照らしていた。
「裏門って言ったけど、一応正門に来といて良かった。忘れてるかもって思ってたもん」
鈴が転がるように可愛い声で、クスクスと笑う光さんを申し訳なさ一杯の目で見た。
「すみません、ほんと......なんてお詫びしたらいいか...。というか、よく予想できましたね。会って数時間もしてないのに...」
「ん~、優羽香ちゃんが水井奈に呼び出し受けたときは、受けてないときよりすごい速さで帰るから、わざわざ裏門に行かないかな~って思ったから」
「え、それ私の行動観察して...」
「ああ、いや、違う違う。え~っと、ほら、私学級委員だからさ、たまに居残りするんだよね。その時に校庭の様子が見えるし」
あまり納得できない理由だが、するしかない。なぜなら目の前にいるのは、月とすっぽんでいうなら確実に月の方の光さんだからだ。すっぽんどころか、どこも似ていない私が本来対面しちゃいけない相手なのだ。
そう、本当なら、対面も、こうして一緒に下校することも、決して許されないはずなのだ。
「......明日も、青山さんに怒られちゃうかもな...」
「それは大丈夫だよ」
「えっ?」
小さい呟きのはずだったのにしっかり聞き取られてしまった。地獄耳か。あれ、前にも誰かに同じことを思った気がする...?
「私が絶対にあなたのいじめを止めるから。あのクソ女も絶対服従させてやるわ」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください!く、クソ女...?仲良さそうに見えたのに......。友達じゃないんですか?」
突然口の悪くなった光さんについて行けず、つい口を挟んだが、光さんは涼しい顔で「違うよ」と当たり前のことを言うように答えた。
「『あれ』は友達じゃない。鈴鳴の名字を聞いてすり寄って来ただけだもん。そんなの友達とは言わないよ」
当然でしょ、と顔を曇らせて言い放つ光さん。あろう事か、青山さんを『あれ』呼びした。青山さんの名前が出てきてからの性格の変わり様に、驚きが隠せない。
何か恨みでもあるのだろうか。いや、名字を聞いて寄って来たって言ってたけど、何の事だろう?
「あの......光さんのおうちって、どんなところなんですか?あ、社会地位的な意味で...その......」
興味本意で聞いてみた。それも、その鈴鳴という名字を、一番身近なメディアで聞いたことがある気がしたからだ。失礼のないように聞こうとは思ったが、私のボキャブラリーでは無理があり過ぎた。ちゃんと意味も伝わったかも危うい。
おそるおそる光さんの顔を見てみる。が、隣を歩いていたはずの姿がなかった。
光さんは私の少し後ろで立ち止まっていた。美しいうぐいす色の目はしっかりこちらを捕らえていたが、哀しそうだった。言葉では表現しきれないほどに。触れてほしくないところに気づかれてしまった、きっと今すぐ逃げ出したいくらいの感情が襲っているのだろう。
だが、光さんはそれらを強く押し込み、フッと笑顔を張り付けた。
「それは......知らなくていいよ。知ってほしくないんだ。その話は......また、そのうち、ね」
話し始めると同時に歩き、私を追い抜かした後で、ようやく自分のしたことに気がついた。
それからは普通に、学校の出来事や雑談をし、それぞれの帰路へ別れた。話をしている間は笑っていたが、目だけは正直だった。また今日を後悔しながら、月の出かけた空を眺めた。
『これだから化け物は』と夕焼けに嗤われたような気がした。
◇◆◇
「それはお前の配慮が足りなかったせいだな。確実に」
家に着いて、私が最初に飛び付いたのはもちろんエルだった。当然のようにバッサリ切り捨てられる。
「うぐっ...だ、だって、会ったばかりで人の地雷を見つけるなんて、思いもしないじゃん!」
「ああ、思いもしないな。でもお前はそれができたのは事実だしな。地雷見つける才能じゃないのか?」
「嫌だそんな才能っ!!」
相変わらずからかわれっぱなしだが、今はこうしていじってくれた方がいい。ただ真剣に話を聞かれると、たぶんこっちのメンタルがもたない。
「その、鈴鳴 光だったか。そいつもたぶん、例の『種』持ちだな。普通の人間じゃこうはならない」
何でそうなるの?ただ私に話しかけてくれただけじゃん。
と返す前に、炊飯器のアラームが鳴った。ちょうどいいし、ご飯でも食べながらいろいろ話そう。
準備を済ませ、二人が食卓についたところで、私は話を切り出す。
「どうして私と一緒に帰ったりすることが『種』持ちの理由に繋がるの?そういうサインみたいなのがあるの?」
「いや、これはお前の特性的にあり得ないから...というか、話してなかったか、これ」
首をキョトンと傾げ、「おかしいな」みたいな素振りをするエル。男の人が見たらほとんどが可愛いと言えるだろう。どこで覚えたんだその仕草。同じ顔なのに、何故か負けた気分がする。
「『種』にはそれぞれ特性があってな。お前の場合は❲他人から嫌われる❳という体質になる。思い当たる節、あるだろ」
そりゃもちろん。むしろそれしか経験してない。
「光という奴はおそらくお前の逆、❲他人から好かれる❳体質だな。❲他人から興味を持たれる❳という方が正しいか。それに加えてあの容姿や性格。そりゃ、好かれてもおかしくはないだろう」
「え、待って待って、どこまで知ってるの!?」
「だから、知ろうと思えば何でもわかる。忘れたか?私が常識知らずの化け物だということを」
「それ、捉え方によっては頭おかしい人になるからね...」
少し口角を吊り上げて言う台詞は、どうもかっこがつかなかった。ちょっと面白いからこのままでいいけど。
『悲劇の種』には、まだ私の知らない機能がありそうだ。一度に説明されるとわかんなくなってしまいそうだけど。
「❲他人から好かれる❳...か......いいなぁ...」
「......何がいいんだ」
思わず漏れた言葉に、エルが反応した。皿を避けて机に突っ伏して曖昧に言葉を返す。
「いや、まあ、確かに毎日毎日人がたかってくるのは嫌だけど...でも、嫌われるよりはマシかなって......蔑まれ続けるのも、さすがに限界が来ちゃう日も、いつかはあるわけだし...」
要は、私はハズレを引いたということだ。もしかしたら、少しの運命の違いで私の方が光さんの『種』を手に入れていたかもしれない。
「いや、❲好かれる❳ではなく❲興味を持たれる❳だ」
「どっちも同じようなものだよ」
「いいや、全く違う」
「...?何が違うの?」
「...好かれる、は好印象を持たれること。だが、興味を持たれるは好印象、悪印象どちらの意味にも取れる。鈴鳴 光の場合はたまたま好印象だっただけだ」
「......」
「私なら、ほっといてほしいね。お前の『種』の方がいい。どっちか別れてしまうなら」
エルはうつむきながら、少し不満気に呟く。もしかして、彼女は昔の自分とどこか重ねているところがあるのかもしれないと思った。確信があるつもりじゃないけど、説得力があるような気がする。
「......それに、どうやら鈴鳴 光も、この体質に悩まされているらしいぞ」
少しの沈黙の後、エルは言った。
「あ、それなら、ちょっとわかるかも...」
「どういうことだ」
私は、青山さんに対する過激な反応を見せた光さんのことを話した。今の話しの流れ的に、これが一番あったものだと思ったからだ。
「......なるほど、そうか...」
ちょいちょい質問を挟みながら聞いたエルは、頷き始めた。わざとらしいと思うけど、実際わかっているのだ。整理が終わるまで少し待たないといけない。
すると突然、エルは顔をあげいつにも増して高圧的に言った。
「おい、頼みがある。あいつに伝えろ」
◇◆◇
暖かい春風に当てられ、意識していても負けてしまいそうな眠気に襲われる。私が窓側の席だったら、さらに陽光の温度で確実に負けているだろう。
いや、実はいつもならこの春風ですでに眠ってしまうはずだ。それが出来ない理由は一つ。ものすごい緊張でメンタルがボロボロで、今にも音をたてて崩れそうだからである。
昨日のエルの頼み。正直に言うと、絶対にOKしてくれないと思っている。
人からお願いされるとNOとは言えない性格が故、こうして悩んでいる真っ最中。マジで死にそう。
どうやって言おう。休み時間に話しかけることは絶対出来ない。でも、確か帰り道の別れ際に...
「起立!」
日直の号令にはっと我に返り、慌てて立ち上がる。もう帰りの会が終わってしまったのか。
「気をつけ、礼」
『さようなら』
バラバラな挨拶が教室の空気を震わせる。とたんにそれぞれが思い思いの場所に移動した。
もう下校出来るのに、部活だったり委員会活動だったり友達と雑談したりと、学校に残る生徒が多い。
もちろん、委員会無所属、帰宅部、友達0の3拍子を持つ私は、早急に帰りの支度を済ませ、昇降口に向かった。珍しく青山さんからの呼び出しもない。
本当ならとっとと家に帰りたいところだが、人を待たなくてはいけない。彼女も、帰りは早いはずだ。
「ごめんね、お待たせ」
昨日と何一つ変わらない明るい笑顔をしっかり受け止め、私もそっと笑みを浮かべる。
「大丈夫です、待ってないですから。...帰りましょうか。光さん」
昨日の勇気を持った自分に感謝。別れ際に「明日も一緒に帰りませんか」って聞いてくれたおかげで、こうしたうまいシチュエーションが出来ている。もしかして、こういうのを見越してああやって言ったのかもしれない。預言者みたいな人の隣にいたから、才能でも開花しちゃったのかも。いやいや、本当にすごいよ、私......
「それで、優羽香ちゃん、頼み事って何?」
「うっ...」
高揚していたテンションが一気に叩き落とされる。それどころか地上に叩きつけられ、地下まで地面を抉って深い穴に落ちてしまった。
ガクンと肩を落とした。実は、光さんへの頼み事は、それ以上になってしまうかもしれないという不安を抱えていた。昨日のあんな哀しそうな顔を見せられて、こう言うのはちょっと、いやかなり、ものすごく気が引ける。
だが、引き受けてしまったものは仕方ない。出来るだけ、気に触らない言い方をしないといけない。覚悟を決め、小さく深呼吸をして、口を開く。
「えっと......実は、私、双子なんです。私が妹で...それで、姉に光さんの話をしたら、会ってみたいって言うものですから、その...」
私は一人っ子だ。双子というのは嘘。だが、その姉というのはエルのことで、会うにはちょうどいい設定が必要だということで、姿が同じなら、と私が提案した。
「会ってほしいの?もちろん、いいよ!」
「あ、いや、頼みっていうのは、ここが本題で...嫌だったらいいんですけど...」
もごもごと口の中で言葉を詰まらせていると、待ちくたびれたのか、先に光さんが話した。
「別に、何でも言っていいよ。私はあなたの味方だもん。簡単に嫌いになったりしないから...ね?」
安心させる言い方に、単純にもほっとする。「ありがとうございます」と感謝した後、速くなる鼓動を聞きながら尋ねる。
「光さんの家に、行ってみたいんです。良かったら、訪ねてみてもいいですか...?」
「...えっ......」
案の定、驚きつつも哀しい目で私を見てきた。さっきまでの余裕の笑顔はどこにもない。
そう、エルの頼みとは、彼女の素性を知ること。昨日私に隠した彼女の『家のこと』。それを探りたいという話から、この作戦になった。
エルの調べによると、鈴鳴という名字はかなり有名らしい。それも、全国規模でだ。だが、所詮はネットの情報。確信はないし、もしかしたら同性の別人かもしれない。
だからこそ、本人に確認する必要があった。ごく普通の家庭なら、誰かに言うのを躊躇ったりしないからだ。
なんと答えようか悩む光さんを見て、少しずつ『仮定』が『事実』へと姿を変え始める。困ってぐるぐると視線を泳がせているのを見ていると、警察にでもなって犯人の事情聴衆をしている気分がした。
だが、彼女を犯罪者のような悪としているわけではない。あくまでも隠し事を知りたいというだけだ。
光さんはしばらく立ち止まって、冷や汗を浮かべながらおろおろしていた。彼女がようやく話したのは、体感で2、3分経ってからだった。
「そ、それ...誰かに聞いたの...?」
「別に。というか、光さんのお家に行きたいだけです」
「で、でも、私の家、別に何か見せるものとかないし......」
「......わかりました。では、正直に言います」
「...?」
仕方がない。最終手段だ。
「私は...あなたに話しかけてもらって、すごく嬉しいんです。今もこうして、一緒に帰ったり、くだらない話をしたり。まるで、友達みたいで......それに、あなたは私の『味方』だと、簡単に嫌いになったりしないと...そう言ってくれました。ずっとずっと一人ぼっちだった私を、救ってくれました。......だから、あなたが何を隠して、何を悩んでいるのか知りたいと思ったんです。あなたがしてくれたように、今度は私があなたの助けになる。そのためにも...教えてください。あなたの『悲劇』を」
「...優羽香、ちゃん...」
最終手段とは言ったけど、これが私の正直な気持ち。
一昔前に『やられたらやり返す』みたいな台詞が流行ったけど、いい方に捉えると、『助けてもらったなら同じように助けなさい』、という意味にも取れる。
私は、こんなに誰かに思ってもらえたことも、誰かを思ったこともない。何もわからないから、教えてほしい。単純な、強い思い。
私の長い話を呆然と聞いていた光さんは、一瞬瞳に涙を滲ませたが、すぐに拭ってにっと笑った。
「あはは、なんか、そんなに喋る優羽香ちゃん初めて見た。...私もすっごく嬉しい。ありがとう」
思わず私も、自然と口角が上がる。うん、やっぱり泣きそうな顔より、こっちの方が似合う。
光さんは、何かがふっ切れたような明るい顔に戻り、私の隣に早足で近づく。
「さて、それじゃあ元気ももらったし、ちゃんと話さないとね......その前に、一つ約束」
「なんですか?」
「...私が、どんな人でも、変わらないこと。あなたにだけは、変わってほしくないから...いい?」
「......はい、もちろん」
しっかりと光さんの目を見据えて、笑った。光さんも、「ありがとう」と言って歯を見せた。
昨日と違う、まだ高い太陽に「どうだ、見たか」とどや顔をしてやった。