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94 『弱点』

 ――最悪だ。


 自然と苦い表情になったレイスは、ローティアを睨む。こうなるくらいならラフィーたちに渡せば良かったと後悔が押し寄せてくるが、後の祭りだ。


「大丈夫か、レイス」

「……ああ、傷つけられたりはしてない。けど、聖水を盗られた」

「聖水が?」

「吸血鬼の弱点らしい。一つだけ持ってたんだが……」

「なるほど」


 レイスたちが見つめる先で、ローティアはわざとらしく瓶の中の聖水を地面に垂らす。これで、彼女に対する切り札を失った。


「ふふふ、残念でした! どう、どう? 悔しい? バレてないと思ってたんだよね?」


 ローティアはピコピコと翼を動かし、煽るように空になった瓶をふらふらと振る。まんまとしてやられたレイスは、ぷるぷると肩を震えさせる。


「れ、レイスさん……?」


 顔を俯かせて表情が窺えないレイスに、シルヴィアが恐る恐る声をかける。すると、レイスはシルヴィアの肩にポンと手を置いた。


「大丈夫、俺はまったく怒ってないさ。ああ、大丈夫だとも」

「そ、そうなんですか……?」


 レイスは聖人のような笑みを浮かべながらゆっくりと首を横に振る。表情を見る限り、確かに何とも思っていないようだ。多少口調がおかしいところは気になるが、まあ許容範囲内だろう。


「そうさ、全然気にしてない……ほんのちょっとありとあらゆる汚い言葉を並べたくなっただけさ。それだけだ」

「レイスさん!? 落ち着いてください!?」


 最後にポロリと本音をこぼす。


 表情はともかくとして、実際のところは煽りが効きまくっていた。内心顔真っ赤だ。


 思考はどうやってやり返すかという一点のみに絞られている。この際、魔法の解除だとかは二の次だ。恨みを晴らすことに全力を注げと本能が告げている。


「いやぁ、行き倒れているところを助けた相手にこの仕打ちとは中々やるじゃないか。いいぜ、とことんやってやろう……!」

「笑顔が怖いぞレイス……」


 両手を広げ、おぞましい笑顔を浮かべるレイス。若干目が血走っているようにも見えた。夜中に出くわせば変質者として通報されかねない危険な顔をしている。


「ふふふ、面白いね、レイス」

「馬鹿にしてる??」

「うん!」

「元気良く答えるな」


 レイスはもはや虚無の表情で言葉を返し始めた。煽り耐性というものがまったくと言っていいほど存在しない。ローティアもレイスの反応を楽しんでいるのか、無邪気に笑っている。


「と言っても、どうするのレイ君。このままじゃ平行線だよー」

「そうだな……」


 恨みによって更にやる気が高まったが、状況を打破する具体的な手段は特に思いついていない。さてどうするべきかと頭を悩ませる。


「日光に十字架に流水に炎……」


 ミミから教えてもらった吸血鬼の弱点をもう一度声に出し、振り返る。魔法による現象では効果がないため、現実に存在するもので対応しなければ。そうなってくると、すでに日が落ちている今では日光は現実的ではない。


「十字架は……これ、どういう基準で十字架になるんだ」


 指と指を重ね合わせても一応、十字架を作ることはできる。果たしてそれにどれほどの効果があるかは定かではないが。


「物は試しだ。ええい!」


 レイスはローティアに向け、指と指を重ね合わせて作った十字架を見せる。自然とルリメスたちの視線も集まった。


「…………何?」


 十字架を作ったまま固まるレイスに、素で首を傾げるローティア。ルリメスたちもレイスのことを不思議そうに見つめている。逆の立場だったら、レイスだってそうしただろう。


 無性にこの場から消え去りたくなったレイスは、大人しく無言で引き下がった。少し顔が俯いているが、誓って泣いてはいない。だから今、誰もレイスに近づいてはいけないのだ。


 そんなレイスを傍らで眺めるミミは、呆れたように半目になっている。


「……君、馬鹿なの」


 心底そう思っているという風に言葉を零す。今のレイスにはダメージが大きい言葉だ。心にぶっ刺さる一撃である。よろよろと身体をよろけさせたレイスは、静かに地面に倒れた。


「俺はもう駄目だ……あとは……頼んだ……」


 腕を組み、レイスは息を引き取る。死因は鋭い言葉によるショック死だ。ひたすら心が脆い男である。


 その間に、再びルリメスたちとローティアの交戦が始まる。


「く、くそ……」


 いつまでも寝ているわけにはいかず、レイスは血反吐を吐きながらも立ち上がる。膝は生まれたての小鹿のように震えているが、何とか再起はできた。


 渾身の右ストレートからの復活だ。


「十字架は駄目だ。もう二度と試さない……。残ったのは炎に流水か……」


 心に深い傷を負ったレイスは、早々に十字架の存在を頭の中から抹消した。あと半年程はもう名前すら思い出さない予定だ。


 許すまじ、十字架。


 レイスは自爆の責任をすべて十字架に押し付け、心の平穏を保つ。こうでもしなければやっていけない。


 深呼吸で気持ちを落ち着け、再び思考を開始した。


「ふむ……炎は流石に危ないか」


 そもそも、炎を見せるだけでいいのかそれとも当てればいいのか分からない。仮に後者だとするなら、ローティアに火傷を負わせてしまう。危険性の面から、自然と選択肢からは外れた。


「となると、流水か……」


 流れる水。それも、魔法では意味がない。

 要は川などが条件に上手く合致するのだろうが、残念ながら王都のど真ん中にそんな自然の恵みは存在しない。


 近くの川となると、ここから相当な距離がある。そこまで上手くローティアを誘導できるかと問われると、まず無理な話だろう。そもそも、短距離でも誘導は難しいのだ。


 可能だとしても、王都の範囲内。


 どうにかして流水という条件を達成しなければならない。


「何かないか……」


 王都に対して詳しくはないものの、思考をフル回転。今まで訪れた場所、聞いた話、すべてを思い返して最適解を探す。ただ、どうしても水がある場所となると限られてくる。


「水、水、水……」


 水のある場所。


 考え込んでいると、ふと最近訪れた場所を思い出した。良い思い出はまったくない場所で、やたら笑っているおっちゃんの顔が思い浮かぶ。


 腹立たしくなってくるが、今はおっちゃんの顔を気にしている場合ではない。問題は、その思い出した場所である南門の前の広場に大き目の噴水があったことだ。


「一応、流水ではあるのか……?」


 川ほど流水かどうか明確ではないものの、一応流れてはいるのでセーフだろう。それに、今は選り好みしている場合ではない。とりあえず霧を止めてローティアにやり返すことができればそれでいいのだ。


 完全な私怨も含まれているが、まあ今更だろう。


 レイスはもう見るのにも慣れてきた攻防をそれでも眺め、やり取りが途切れる一瞬を待つ。一度、三人とローティアの距離が離れたタイミングで、レイスはルリメスたちの近くへ。


「師匠」

「ん、どうしたのレイ君?」

「ちょっと三人に手伝って欲しいことがある」

「え、さっきの十字架みたいなやつは嫌だよー」


 ルリメスは先んじてリスクを潰そうとするが、レイスにとっては死体蹴りとさして変わらない行為だ。折角復活しかけていた心が再び折れそうになるのを感じる。


「いや、それはしないから……」

「あ、そうなんだ」


 ルリメスは安心したように息を吐く。十字架の件に関しては、レイスだってやりたくてやったわけじゃないのだ。むしろやりたくなかったまである。


「それで、手伝って欲しいことって何なんですか?」

「ローティアを、南門の前にある広場まで誘導してほしい。できれば、そのあとにその場から逃げられないようにも」

「割と難しい注文ですね……」


 ローティアを動かすこと自体は難しくないが、狙った場所までとなるとかなり注意深くしなければ難しいだろう。こればかりはレイスにはできないことなので、ルリメスとラフィーとシルヴィアの三人に任せるしかない。


「そこまでやってくれれば、あとは俺が何とかする」

「何か策があるのか?」

「まあちょっと強引だけど、あることにはある」

「微妙な言い方だな……」


 ラフィーは、随分と歯切れの悪いレイスの返答に不安を覚える。何を考えているのか皆目見当もつかないのが正直なところだ。しかし、そう悠長に話している時間もない。


「お喋りも程々にね!」


 ルリメスたちは自ら接近してきたローティアの対処に追われる。悩んでいる猶予はもはや残されていない。


「任せて、レイ君!!」


 ルリメスから承諾の言葉が返ってくる。ラフィーとシルヴィアもコクコクと頷いており、どうやらレイスの頼みは無事通ったようだ。


「それじゃあ行くよ、レイ君」

「……え? 行くって……」


 レイスが疑問を口にする前に、ルリメスが彼の手を取る。すると、この場に来たときと同じように身体が宙へと浮かび上がった。


 シルヴィアとラフィーの準備もすでに整っている。


 それもそのはずで、ここから南門の前まで歩いて行っていたらローティアを誘導するなんてまず無理だ。相手が空を飛べる以上、どうしても速度は必要になってくる。


「おっ、それでどうするの?」


 ローティアはレイスたちの新たな動きに興味ありげな視線を向けてくる。それでいて、油断はしていない。


「あの霧をどう突破するかが問題だけど……」


 今いる大広場は何故か霧が充満していないので狙って魔法を放つのに支障はないのだが、霧の中だとそうもいかない。


 レイスは霧が満ちた場所とこの広場を見比べ、最後にローティアを見た。


「……ローティアが気まぐれでここに霧を発生させてないなら正直厄介だけど、仮に霧を発生させられない理由があるとしたら……」


 頭を回し、探る。

 普段のローティアとは比べものにならないくらい感情豊富で口数も多い今のローティア。しかし、感情の赴くまま動いているわけでもない。


 少しくらいはそういった面も見受けられるが、しっかりとレイスから自身の弱点である聖水を奪い取ったり、キチンと頭を使って冷静に動いている部分も多い。なら、なぜこの場を霧で覆わないのか。自分から攻撃をせず、逃げることが多いローティアの立ち回りなら、霧があった方がもっと動きやすいはずだ。


 たとえローティア自身の視界が塞がれても、彼女ほどの魔導師なら魔力で位置を把握することくらい簡単だろう。


 だというのに、それを行動に移そうとはしない。


「……師匠、シルヴィア、とりあえず誘導を始めてくれ」

「でもレイ君、霧はどうするの? 途中で見失う可能性も……」

「いや、多分大丈夫だ」


 妙な確信がある風な表情のレイスを見て、ルリメスとシルヴィアは頷き合う。そして、行動を開始した。

 ルリメスとシルヴィアから広場すべてを埋め尽くす勢いで炎を放たれる。当然、ローティアもそれを回避する。今まで通りの光景だが、少し違うのは魔法の規模だ。


 ローティアを傷つけないように気遣って規模の小さい魔法ばかり使っていたのが、今回は逃げ道が限定されてくるような範囲魔法だ。それに加え、直接操作する系統の魔法によって、ローティアはレイスたちの狙い通りの場所へ追いやられた。


 このまま広場にいるのは危険だと判断したのか、ローティアは南門の方へ続く霧の中に飛び込む。


 すると――ローティアの周囲の空間だけ、霧が晴れていく。


「よしっ、当たりだ!」


 予想通りの結果に、レイスは歓声を上げた。

 これで少なくとも誘導する上で霧の心配をする必要はなくなった。


 しかし、ルリメスたちは納得いかないのか、レイスの方を見る。


「霧があると使えないんだろ、瞬間移動」


 視線が集まる中、レイスはローティアに対して誇るようにそう言った。

 ローティアは目を細めて、正解だと言わんばかりに挑戦的に笑う。


「良い推測」


 次々と飛んでくる魔法を避けながら短くレイスを褒めるローティア。


「どういうことー、レイ君」


 ルリメスは魔法で誘導を続けながらも、レイスへ説明を求める。

 なぜ、一部分とはいえ霧が晴れたのか。


「そんなに難しいことは考えてない。ただ、どうしてあいつが広場で霧を使わなかったか考えたとき、気付いたんだよ。もしかしたら、あの場所で霧を使うことに何かデメリットがあったんじゃないかって」


 王都全体を覆うようにして霧を使っていたのだから、今更あの広場を霧で覆えないということではなかったはず。ということは、霧を使えないのではなく使わなかったと考えられる。


「で、攻防を見る限り、ローティアのデメリットとして考えられるものは――」

「あの瞬間移動、ってわけねー」


 霧化を使えなければ、ローティアはここまでルリメスたちと渡り合えていない。なら、霧の魔法の中では霧化が使えないのではないのか、という推論に至ったわけだ。


「そういうことだ。まあ、あいつの言う通りただの予測だったんだけどな」


 ローティアがまだ見ぬ能力を隠し持っている可能性も大いにあったので、もうそこらへんは賭けだった。結果的に大正解だったわけだが。


「さて、あとは南門前の広場に誘導するだけだ」


 ローティアは、数多の魔法によって奥へ奥へと追いやられていく。広場と違って建物に挟まれているため、そこまで自由に動き回れるわけではないのだ。一度高度を上げて逃げようともしたが、すぐに反応したルリメスとシルヴィアによって防がれた。


 ずっと魔法を使い続けているというのに未だに尽きることを知らない二人の魔力量は、流石の一言だ。


 そうして上手く誘導を続けたレイスたちは、ついに目的の場所を目視する。一週間以上前に見たときと変わらず、巨大な噴水が中央で存在感を放っていた。ローティアも噴水の存在が目に入ったのか、面白そうな表情へ。特に抵抗する素振りも見せず、広場へと降り立つ。


「なるほど……そういうこと」

「はぁ……はぁ……ああ、そういうことだよ」


 二度目の飛行は一度目より速度が早く、レイスの呼吸は乱れに乱れていた。


 表情から伝わる疲労が切実だ。


「随分と疲れてる。休んだら?」


 ローティアはふわりと笑って、レイスに休むよう勧める。レイスも休めるのなら休みたいところだ。汗を拭って、気丈にも笑ってみせる。


「気遣いはいいが、ならとっとと魔法を解除してくれ」

「嫌。それじゃあ面白くない!」

「こちとら最初っから面白さなんて求めてないんだよ……」


 大した期待も込めずに言ったレイスの言葉は、当たり前のように否定された。特にこれといった落胆もないレイスは、固まった身体を解すためにグッと伸びをする。


「別にいいさ。嫌でも解除してもらう」

「ふふ、どうせその噴水に私を落とそうと考えてるんだろうけど、そう簡単にいくかなー? それに、私はわざわざここに留まる必要はないし」


 ローティアの言葉に伴って、ピコピコと翼が動く。


 レイスたちの間を通り抜けて再び王都の中心へ戻る自信があるのだろう。実際、ローティアがそうするだけでレイスたちは再び彼女を止める術を失う。


 ただ、レイスだってそんなことは百も承知だ。故に、ここに来るまでに考えた。確実にローティアを止める手段を。彼女を出し抜く策を。


 そのためには、レイス一人の力では無理だ。ルリメス、シルヴィア、ラフィー、三人全員の力が必要である。


「三人とも、俺が言う通りに動いてくれ。結果がどうであれ、責任は俺が取る」


 最初から最後まで説明している暇はない。これはローティアがレイスたちを突破して中央まで戻るか、それともレイスたちがこの場でローティアを元に戻すかの勝負だ。

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