91 『異変』
シルヴィアとルリメスの手から逃れたとは露も知らず、レイスは至って普通に祭りを楽しんでいた。元々、物心ついてからというもの錬金術にばかり打ち込んでいた日々だ。王都に限らずこういった催しごとに参加するのは初めてである。
幾つか不可解なことがあったものの時間が経って場の雰囲気にそれなりに慣れもしてきたし、あとはこのまま平和に終わることを願うばかりだ。
「あとはこの後に花火か」
「そうだな、あともう少しだ」
「んじゃ、それまでに適当に座れる場所でも探すか」
人通りが多い場所から少し離れ、落ちついて花火を見ることができる場所を探す。周囲に視線を巡らせていると、レイスは馴染みのある姿を発見した。
「えっ」
桃色の髪を揺らし、ギルドの制服に身を包むレイスの視線の先の人物。レイスが最も遭遇したくないと思っている人物であり、自然と足はこの場を離れるべく動こうとする。
しかし、それが叶うことはなかった。
「あ、ラフィーさんにレイスさんー!」
レイスとラフィーの姿を認めた途端、パッと表情を明るくして駆け寄ってくるアメリア。どうして平和に終えることができそうなときに限ってと弱音が出てきそうになるが、踏ん張りどころだと自分に言い聞かせることで堪える。
「アメリアさん、どうしてここに? 確かシルヴィアがアメリアさんを誘っても無理だったと言っていた気がするんですけど……」
「あぁ、それね。私、今日もギルドの仕事があったから一緒には行けなかったの。ほんと、こんなイベントのときくらい休ませてほしいものよ……」
祭りとはいえ、こういうときこそ犯罪なども多くなるというものだ。おまけに『王竜祭』は王都全体で行われているため、警備の人手はどれだけあっても多すぎるということはない。そういった理由もあり、ギルド職員まで祭りの警備に駆り出されているのだ。
ただ、広い王都でどうしてこうもピンポイントに出会ってしまうのかと、レイスは文句の一つも言いたくなった。
「……それで、ラフィーさんとレイスさんは二人で祭りを回ってるの?」
見つかったからには世間話だけではいさようならというわけにもいかず、随分と楽しそうな笑みを浮かべたアメリアから質問が飛ぶ。ギルドでレイスの偽恋人宣言を聞いておきながらあえて尋ねてきているのだ。ここに来てレイスから心の余裕を奪いにきている。
「え、ええまあエリアルの件がありますから」
「えーそれにしては仲が良いじゃないですかー」
アメリアが目を向けたのは、レイスがラフィーへプレゼントした髪飾りだ。もちろんこれも恋人の振りの一環ではあるのだが、アメリアはそうと認めようとはしないだろう。どう言うべきか悩むレイス。
思わず空を見上げ――目を細める。
「ん……?」
空中に薄っすらとだが、霧のようなものが漂っている。しかも、この場所だけではない。見える範囲の場所すべて、徐々に霧で覆われていく。
「なんだこの霧?」
唐突に現れた霧を見て、眉をひそめる。レイスが上に向けていた視線を元に戻した瞬間。指に嵌めたまま実験することを忘れていた『魔法無効化』の指輪が、淡い光を放って砕けた。
破片は宙に溶け、何事も無かったかのように消失する。
「え」
突然の出来事に、レイスの思考は停止。ラフィーとアメリアの不思議そうな視線が砕けた指輪に重なる。一瞬の沈黙がその場を支配したあと――
「あ、れ……」
アメリアの瞳の焦点が合わなくなり、彼女はゆっくりと膝をついた。
「アメリアさん……!?」
慌ててラフィーが寄り添って支えるが、アメリアから応える声はない。顔を覗き見ると、目を瞑って意識を失っているようだった。目立った外傷は特になく、正常に呼吸もしている。
「急にどうして……」
訝しげな表情になるラフィー、片やレイスはずっと周囲を観察していた。そして、一つの結論を得る。
「多分何かの魔法だ、これ」
「魔法……?」
ラフィーはとりあえず眠るアメリアを安全な場所に運び、レイスと同じように霧に覆われた空を見上げる。最初は薄っすらと空気中に漂うような規模の小さいものだったものが、今や少し先も見通せない深い霧に変わっていた。霧が発生するにしても、広がり方が明らかにおかしい。
また『魔法無効化』の指輪が砕けたこともあって、レイスは最終的に魔法による現象だと結論付けた。
問題はどういう効果を持つ魔法なのか、という点なのだが。
「ただ霧を発生させる魔法……ってわけじゃないよな」
「それはないだろうな……」
突然眠りだしたアメリアを見る限り、霧が発生する以外に何らかの効果を持っていると見てまず間違いない。
「ラフィー、一応周りを警戒しといてくれ。俺はアメリアさんの身体に異常がないか調べる」
「ああ、分かった」
レイスは眠るアメリアの傍で屈む。
「アメリアさん、起きてください」
意識のない身体を気遣って優しく揺するが、反応は返ってこない。依然目を瞑ったまま、規則的な呼吸を繰り返すだけだ。仕方なく、レイスは錬金術を発動する。
「『解析』」
見落としがないように、くまなく調べる。
しかし、特に異常は見当たらない。本当にただ眠っているだけだろう。
「とりあえず、毒とか人体に害を与える類のものじゃないっぽい。眠ってるだけだ」
「良かった……」
ひとまず、死に関わるような魔法ではないことだけは安心だ。ホッと一息ついた二人は、しかし。すぐに険しい表情になる。
「そういや、俺は『魔法無効化』の指輪をつけていたからだろうけど、ラフィーはどうして平気なんだ?」
「私にも分からない。特に身体に不調は感じないし……」
「人によって、効果が出るまでに時間差があったりするのか?」
「そうなると動けるうちに動いておきたいが……」
霧を発生させ、人を眠らせる魔法。それも、見える限りでは王都のかなりの面積を覆っていると予想される。ここまでの範囲を覆うことができる魔導師となると力量はかなりのものだろう。少なくとも、ただの一般人が行使できる魔法ではない。
何が目的でこんなことをしているのかは定かではないが、このまま大人しくじっとしているわけにもいかない。今、王都で意識を保っている人間がどれだけいるのか分かったものではないのだ。もしかしたら、レイスとラフィーの二人だけの可能性もある。
「どうする、ラフィー。俺はとりあえずまだ起きてる人がいないか、それに他の場所も確認しておいた方がいいと思うんだけど」
「そうだな、この霧もいつ消えるか分からないし」
霧が現れてから数分が経過しようとしているが、未だに消えるどころか薄くなりすらしない。恐らくは魔法を発動している人物がずっと維持しているのだろう。それにしても、無尽蔵な魔力と言える。常人なら展開すら難しい魔法の規模で、尚且つ維持までしているのだから。
下手をすれば、レイスの師匠であるルリメスに匹敵するレベルかもしれない。悪意ある人間がこれを引き起こしているのなら、かなり厄介だ。
「あー、これならアメリアさんにからかわれる方がまだマシだ……」
何事もなく祭りを終えたかったが、この状況ではその願いは叶うことはない。視界を塞ぐ霧を見て、レイスはため息をつく。
「とりあえず、今まで来た道を戻っていくか」
「そうだな」
レイスたちは花火を静かに見るために比較的人が少ない場所へ向かっていたため、元来た道を戻れば人は多くいるだろう。それに、この霧の中だ。明確に向かう場所を決めないと、簡単に迷いかねない。この状況ではぐれでもしたら笑い話では済まされないかもしれないのだ。
レイスとラフィーは身体を反転させ、小走りで進みだす。本当は走りたいところだが、何かに躓いたり、もしかしたら人が倒れているかもしれない。そう思うと、どうしても慎重にならざるを得なかった。
「こういうとき、魔法が使えたらなぁ」
「まあ確かに、多少霧を払えたかもしれないな。錬金術でどうにかなったりしないのか?」
「どうだろ。『魔法無効化』の指輪も多分、眠りの効果に対して反応しただけだし、霧自体を消すのは難しいかもな」
この霧が魔法である以上『魔法無効化』が効かないということはないだろうが、恐らくそれにはもっと規模の大きい錬金術が必要になる。どちらにせよ『魔法無効化』の指輪は先ほどレイスが身につけていた一つだけなのだ。レイスの実力を考えると、素材さえあれば霧の無効化もできた可能性は大いにある。しかし、残念ながら手持ちには存在しない。
「剣を振ってなぎ払うというのも難しそうだし……」
ラフィーは軽く剣を振るうが、霧はまったく晴れない。
「普通の霧ならそれでいけるかもしれないけど、魔法となるとまず無理だろうな。慎重にやっていくしかないさ」
話しながらレイスとラフィーが進んでいると、視線の先に人型のシルエットがぽつぽつと浮かび上がってくる。しかし、どれも地面に倒れるようになっているものばかりで、意識がありそうな人影は見当たらない。
「これは期待薄だな……」
近づく前から結果が分かってしまい、レイスは苦い表情。
そしてその予想は外れず、意識を失った大量の人間が倒れていた。レイスとラフィーは一度立ち止まり、倒れている人に近づく。
「アメリアさんと同じだな。眠ってる……」
「これだけ大量の人が意識を失っているとなると、起きている人を探すのは割と絶望的かもしれないな……」
「嫌な結果だよ、まったく」
せめて視界が確保できれば探しやすいというものだが。そう考えたところで、レイスはある一つの手段を思いつく。
「見えなければ、耳に訴えかければいいんじゃないか……?」
大きな声をあげるなどして、周囲に意識がある人物がいるかどうか探すという方法。視界がまともに機能を果たさない以上、確かに効果的な手段ではあった。
「ただ、リスクも大きいぞ」
もしこの魔法を使っている人間が近くにいるとして、そしてその人物が敵意を抱いている場合。一方的にこちらの位置を知られることになる。
「まあでも、逃げるだけなら多分いける」
「本当か……?」
「バフ系のポーションと魔道具を惜しみなく使えばな」
グラの実のポーションなど戦闘はもちろんのこと逃走にも役立つポーションのほか、様々な魔道具がある。最初から逃げる気であれば問題はないだろう。
「確かにそれならいけるかもしれないが……」
「それに、相手が出てくるなら出てくるで都合が良い」
「……そうだな。よし、じゃあ私は警戒しておくから、レイスが声を頼む」
「分かった」
レイスは何度か深呼吸をすると、スッと鋭く息を吸い込んだ。
「誰かいますかー!!」
大音量で叫ばれたその言葉は、不気味なほど静かな王都に響く。閑静な通りいっぱいに届いたであろう叫び声に反応する人間は――
「誰だ!」
ラフィーは鋭くそう叫ぶと、素手で構えを取る。拳を目にも留まらぬ速さである方向へ振るい、空中でピタリと動きを止めた。拳のすぐ前には、衣服に覆われた人間の腹部が見える。そのままゆっくりと霧の先から現れたのは、金髪の男。
「こ、拳を下ろしてくれないか、ラフィー」
エリアルは冷や汗をかきながら、静かにそう言った。緊張感を持っていたレイスとラフィーは、同時に深いため息をつく。ラフィーはエリアルの腹部に添えていた拳を下ろした。
「声が聞こえたから来てみたら、いきなり拳を突きつけられたて驚いたよ」
「こっちも警戒していたんだ、すまない」
「まあ、声を出さなかった俺も悪い。お互い様さ」
お互い謝罪を交わし、そして三人は向き合う。
これで、三人目。二人目のS級冒険者が加わった形だ。
戦力的には申し分ない布陣である。
「さて、エリアル、この状況についてどれくらい知ってる?」
「俺もそこまで詳しいわけではないさ。いきなり霧が出たと思えば、急に人が倒れだすんだ。とりあえず近くに怪我をしている人がいないか調べてから、意識のある人物を探していた」
「私たちと知っていることはそう大差ないか……」
そこまで期待していなかったとはいえ、少しばかり気が落ちる。今レイスたちに足りていないのは情報なのだ。
「ただ、少し分かったこともある。恐らく、今意識を保てているのは魔法に対する耐性を一定以上有している人間だけだ。それ以外の人間は、無条件に眠らされているんだろう。俺とラフィーが眠っていないのが良い証拠だ」
「なるほど、耐性か……」
魔法の耐性というものは、先天的な才能と後天的な努力によって決まる。例えば、冒険者などは魔物から魔法による攻撃を受けることが多い。そうして、経験を積むことで自然と魔法に対する耐性というものが出来上がっていく。
「となると、今この王都で意識を保てていそうなのは……」