89 『お願い』
本日、3巻の発売日です。よろしくお願いします。
始まりはこの国が成り立ってからちょうど三百年。王国の繁栄を願ってと晶竜へ捧げられる祭り事として『王竜祭』は誕生した。年々その規模は広がっており、今では王都全体で執り行うまでになった。
王都に住む誰しもが知る祭りであり、夏の楽しみでもある。毎年、この祭りによって誕生するカップルも多いという。一部の人間からすれば怨嗟を吐きたくなるようなイベントではあるが、目玉である魔法による花火は息を呑むほどの迫力と美しさを持っている。
花火見たさにこの時期に他国から来る人間も少なくはなく、一年で一番の盛り上がりを見せると言っても決して過言ではない。
「おおっ、すごいな!」
そんな盛り上がりを初めて目の前にした田舎者であるレイスは、これからのことも忘れてただ普通に感動していた。
道の両端に並ぶのはたくさんの出店、宙には魔法によってか灯篭のようなものが浮かんでおり、祭りの雰囲気を演出する一役を買っている。
すでに日は沈み、空は暗い。しかし、それを感じさせない熱量が王都全体を包んでいる。
「レイスは初めてだったな」
「ああ、ここまで凄いもんなんだな。確かに毎年楽しみにする人がいるのも納得だ」
ラフィーは白を基調とし、赤い花柄が入った浴衣を身にまとっていた。長い髪は団子のように後頭部辺りでまとめており、いつもは隠れているうなじが露わになっている。
鎧姿とは打って変わって、色気が感じられる装いだ。これも恐らくはシルヴィアの差し金なのだろうとレイスは察する。この恋人の振りが始まってから、いつものラフィーと違う一面を見ることが多い。
「その、綺麗だな……」
自然とそんな言葉が出てくる。お世辞ではなく、本心からのものだ。
「ん、何がだ?」
「……いや、何でもない」
屋台を眺めていたラフィーにはレイスの言葉の意図が掴めなかったのか、キョトンと首を傾げる。二度言うのも気恥しいため、思わずなかったことにした。
「それにしても……」
レイスはチラリと背後を確認。そこには当然のように以前と同じ下手な変装をしたエリアルがいた。幸い、祭りということもあって以前よりは遥かに目立っていないが、それでも目には留まりやすい。
レイスとラフィーの二人が見逃すはずもなかった。
今回は祭りの際の仮装とでも勘違いされそうなので、エリアルが捕まることはないだろう。恋人の振りの手を抜くわけにはいかない。
ただ、レイスにはエリアル以外にも気になることがまだ一つある。エリアルと違って、恐らくは本当にどこかに潜みながらレイスとラフィーの様子を伺っているシルヴィアたちの存在だ。
ただ、怪しくない程度に周囲を窺ってみても、彼女たちの姿は見えなかった。一体どこから見ているのか見当もつかない。
「どこにいるんだか……」
「ん?」
「いや、気にしないでくれ」
***
「おお、なんかこれ見てるこっちもドキドキしてきますね……」
「いやぁ、こんな面白そうなことを教えてくれないなんてレイ君も酷い!」
「早く終わらないかしら……」
「はぁ……はぁ……シルヴィアちゃんにデイジーちゃんにルリメスさんが一度に……」
レイスとラフィーの様子を遠くから見ているのは、シルヴィア、ルリメス、デイジー、ニコラの四人。シルヴィアだけがラフィーと同じく浴衣を身にまとっており、そのほかの面々はいつもどおりだ。そして見ての通り、レイスとシルヴィアとデイジーの三人で相談をしてから新たなメンバーが加えられている。流れとしてはシルヴィアがルリメスを誘い、面白そうだと判断したルリメスが二コラも誘った形だ。
レイスが見れば顔を引きつらせること間違いなしだ。
特にルリメスなんて特に来てほしくない人物だろう。ただ、当の本人はこのイベントを満喫するつもり満々である。レイスにとって唯一良かった点は、アメリアの都合が合わなかったことだろうか。そのため、今彼女はシルヴィアたちとは一緒にいない。
屋台で買った飴を持ちながら、シルヴィアたちはレイスたちの動きに合わせて進む。ちなみに遠視の魔法を使って様子を窺っているため、見つかる心配はない。エリアルとは大違いだ。まあ、その分エリアルの方がまだ可愛げがあるが。シルヴィアたちは持てる力をすべて使ったガチの盗み見である。
ラフィーの気配察知能力を以ってしてもまず発見は困難。ひっそりとレイスとラフィーが慌てふためくところを楽しむ気だ。そして、あわよくば何か手を加えるつもりなのだろう。手口的には犯罪のそれである。
「いやぁ、それにしてもあの二人もウブですねー」
「まあレイ君に関しては異性とのまともな交流がなかったのも関係してるかもねー。普通に友達とかなら問題ないんだろうけど、恋人らしく振舞うのはまだキツイんじゃないかなー」
「うちの姉も冒険者稼業一筋で恋愛とかまったくですからねー、どっちもどっちですね」
酷い言われようではあるが、ほぼ真実なのでたとえ本人たちがこの場に居合わせようと反論はできなかっただろう。どちらとも人生経験が極端な方向に割り振られすぎている。シルヴィアたちにしてみればそれが面白いので別に文句はないのだが。むしろそれを存分に楽しんでいる。
この四人、一見すれば美少女集団だが、悪魔の笑いを浮かべているのですべて台無しだ。
ちなみに二コラは集まった美女、美少女を眺めるのに忙しい。シルヴィアのうなじに熱い視線を注いだり、笑顔のルリメスをうっとりと眺めたり、済ました表情のデイジーに抱きついて邪険に扱われたり。どこに行っても、何が起きていようと彼女の行動指針に揺るぎはない。
ほかの面々がレイスたちを見る中、ニコラただ一人は一度も彼の姿を視界に映していないのだから。この徹底振りである。レイスとラフィーにとっても、そちらの方が幸せだ。
「あの人、めちゃくちゃ目立ってるけど大丈夫なの?」
「エリアルさんはああいう人なので放っておいても大丈夫です」
こちらからもしっかりとエリアルの姿は目視されていた。本来ならレイスとラフィーを困らせる原因となっている人物なのだが、当初の目的を見失っているシルヴィアたちの間では悲しいことに非常に影が薄い。
「おっ、レイスさんが姉さんに飴を買いましたね」
「あれはリンゴ飴かな?」
シルヴィアたちが見つめる先ではレイスがラフィーにリンゴ飴を差し出す光景が。そして、ラフィーがリンゴ飴を受け取る際に少しだけ指先が触れてしまう。途端、弾かれたように距離を取り、顔を赤らめる二人。
「今の見ましたか!?」
「甘酸っぱい、甘酸っぱいよレイ君!!」
自然と見ている側のテンションも高くなる。こっちは爛々と瞳を輝かせ、興奮によって顔を赤くしていた。この二人に関してはもはや周りの目すら気にしていない。傍から見ればかなりヤバ目の人だ。
「デイジーちゃん、二人でどこか行かない? あ、祭りが終わったあとにでも一緒に……」
「行かない」
「素っ気無い、でもそれもイイ! はぁ……はぁ」
「離れなさい……!」
本来ならシルヴィアのストッパー役としてレイスに頼み込まれたデイジーも、二コラの相手をするので精一杯だ。当初のレイスのプランが知らないうちに大崩壊である。
「しっかしあの二人、いい反応はするんですけど中々進展がないんですよね」
「まあこういう状況じゃなければ本来こんなことにすらなっていないであろう二人だからねー。自主的な進展は望み薄って感じかなー」
それはその通りで、二人だけでは決定的な何かが起こることはまずないだろう。このまま祭りを最後まで過ごして終了だ。レイスにとっては最も理想的な展開である。
「むむぅ……」
しかし、それではつまらないとシルヴィアは唸る。何かあの二人をもっと進展させるようなイベントはないのか、と。魔法によって何かしらのアクシデントでも起こそうかとシルヴィアが考え始めたとき。シルヴィアたちの進行方向に、四人の男が立ち塞がる。
「君たちすっごい可愛いね。どう、俺たちと遊ばない?」
「いいね、それ」
いかにもなチンピラ風な男が四人、ニヤニヤと笑みを浮かべながらシルヴィアたちの前に立つ。変な笑みを浮かべているとはいえ、それでも美女、美少女集団だ。男一人さえいないため、ナンパするには格好の的だろう。特に祭りというイベントの真っ最中であるため、余計に誘いやすいというものだ。
――ただ、相手が悪かった。
四人のうち二人はチンピラどころか一流の冒険者が相手をしてようやく『戦い』になるかどうかという魔導師だ。そうとも知らず、チンピラ四人は流れに任せてそのまま押し切ろうとする。
「はい?」
ずっと浮かべていた興奮した笑みをスッと消し、とても美しい笑みを浮かべるシルヴィア。ただ、そこからは人の温かみというものはまったく感じられない。絶対零度という言葉が相応しい笑みだ。チンピラたちもシルヴィアのその笑みに気圧されたのか、一歩後ずさる。
しかし、それでも見た目は十五歳の少女。迫力ある笑みを浮かべたところで、男たちは大人しく引き下がらない。
「いいじゃん、遊ぼうよ。俺たち王都に来るの初めてでさ。色々教えてほしいなー」
「ボクたちも大して詳しくないから別の人を当たったらー」
「それなら皆で回ろうよ、そっちの方が絶対楽しいって」
もはや話す言葉はすべてシルヴィアたちと遊びたいがための口実だ。何を言ったところで引き下がることはないだろう。
「君らも後ろで二人イチャイチャしてないでさ」
男たちの内の一人がニコラに抱き着かれているデイジーの手首を掴んだ。そのまま引っ張られ、デイジーはたたらを踏む。
「痛っ……」
手首に走る痛みにデイジーは顔をしかめる。すると、横から伸びた細い手が男の手首を掴んだ。
「気安く触れないでください」
シルヴィアは低い声でそう言うと、手から冷気を溢れさせる。人体を傷つけるとまではいかないものの、危険を感じるにはちょうどいいだろう。
「つめたっ!」
男は慌てて後ろに下がり、手首を押さえる。
「大丈夫ですか、デイジーさん」
「え、ええ、ありがとう」
シルヴィアはデイジーを庇うように一歩前に出る。
自然と他の男たちの視線も鋭くなった。
「なんだよ、こっちは仲良く遊ぼうって言ってるのによ……」
「お断りしますので、どうぞお引取りを」
「ああ、そうかい」
不穏な雰囲気を漂わせる男は、シルヴィアの言葉を無視して接近。彼女の手首を掴もうとする。
しかし、男の手がシルヴィアの手首に触れる前に、先ほどとは比べ物にならない冷気が男を襲う。
「なっ……!」
「男四人でなら押し切れると思いましたか? これに懲りたら大人しく過ごして……いや」
男四人はようやく目の前の少女が相手にしてはならない存在だと気付いたのか、その場から立ち去る素振りを見せた。
しかし――
「ちょっと待ってください」
とても綺麗な笑みを浮かべたシルヴィアが、男たちを呼び止める。
「少しお願いがあるんです。……聞いてくれますよね?」
男たちの表情が強張る中、シルヴィアの笑顔だけは人形のように変わらなかった。