88 『交渉と不安』
「さて、と」
レイスは鞄を肩から提げ、出かける準備を整える。それを見ているローティアは不満そうな表情だ。
「本当に行くの……?」
「ああ。昼も超えたし、客の数もマシになってくるだろ」
「それでも一人は面倒……」
ローティアがレイスを引き止める理由なんてたった一つだ。レイスもそれは理解しているが、今日の用事を外すわけにはいかない。
「まあ、頑張れ」
「あぁ……」
レイスが投げやりにそう言って出ていくと、ローティアが情けない声を出しながら袖に隠れた手を伸ばしてくる。願いは届くはずもなく、軽やかな鈴の音と共に扉が閉じられた。
「よし」
レイスがわざわざ店をローティア一人に任せて外に出たのには理由がある。向かう場所は、デイジーがいる店だ。何故デイジーの店なのか。それは、王都での暮らしが長い彼女に訊きたいことがあるからだ。
その内容は店の経営に関する疑問――ではなく、王都の祭りに関することである。
以前のラフィーとのデートから、約一週間が経過した。前回は情けなくも女性であるラフィーをまったくリード出来なかった苦い経験をしたレイス。
その反省を活かし、次回の祭りでのデートを少しでも成功させようという考えだ。ただ、そのためにはレイス一人の力では不可能。協力者が必要不可欠である。
そこで浮かび上がってきたのがデイジーの存在だ。最初はシルヴィアやアメリアも選択の一つとして考えていたのだが、直感がやめておけと告げてきたので従った。
残ったのはデイジーとニコラ。ただ、ニコラとはこういったことを相談するほど親密ではないので、最終的に選ばれたのがデイジーなのである。
祭りの当日までに彼女から情報収集をして、プランを立てておかなければ。決意を固めるレイスは、見慣れたデイジーの店までたどり着く。
扉を開けて中に入ると――何故か、シルヴィアがいた。目を疑い、入口で固まってしまう。
「あ、レイスさん」
「……どうしてシルヴィアがここに?」
最悪のタイミングと言っていいだろう。祭りの相談をデイジーだけにするためにわざわざ店を抜けてここまでやってきたのに、よりにもよってシルヴィアがいるのだ。
今、この場所以外で出会うならまだ何も問題はなかったのだが。というか、そもそもシルヴィアとデイジーは知り合いですらないはずなのだ。
レイスはとりあえず動揺が顔に出ないように平静を装う。
「それはですねー……」
ニヤニヤと楽しそうにもったいつけるシルヴィア。こういう顔をしているときは碌でもないことを考えているときだ。これまでの付き合いからそれだけは分かった。
「何かは知らないけど、私に協力して欲しいことがあるらしいのよ」
シルヴィアに先んじて、つまらなさそうな表情をしたデイジーが答える。ただ、すぐには言葉の意味が理解できなかった。レイスは説明を求めるように頼んだ本人であるシルヴィアに視線を向ける。
「まあ、そうですね。レイスさん、姉さんと二人で祭りに行く約束をしたじゃないですか」
「ああ、したな」
「ただ、仕方がないことですが、レイスさんは王都の祭りにあまり詳しくないです。このままでは姉さんをリードして良い雰囲気で祭りを回るのは難しいでしょう」
シルヴィアは人差し指を立て、生き生きとした表情でそう断言する。間違ったことは言っていないので、レイスには反論は許されない。
「そこでです! 私たちがレイスさんのデートのサポートをしようと考えた次第です!」
「えぇ……」
キラキラ輝いた瞳でそう言われるが、レイスはどうにも嫌な予感しかしなかった。というか、建前上はレイスのためとは言っているが、シルヴィア本人がこのイベントを楽しんでいるようにしか見えない。
乗り気になれないレイスを見て、シルヴィアは唇を尖らせる。
「何ですか、じゃあレイスさん一人で大丈夫なんですか」
「いやまあ、確かにそれは厳しいだろうけどさ……」
そう、一人は厳しい。だからデイジーの手を借りに来たのだ。レイスが力を借りに来た当人であるデイジーは、興味なさそうに目の前で繰り広げられる会話を聞いていた。
「それで、結局私にどうしてほしいのよ」
「聞いていた通りです。レイスさんと私の姉のデートのサポートを手伝ってください!」
「どうして私なのかしら……」
「レイスさんのお知り合いだと、どうしても限られてきますからねー」
地味に傷つくことを言われ、レイスは半目になって笑う。
「そもそもレイス、あなたS級冒険者と付き合っていたの?」
「いや、正確には付き合ってる振りだ。ラフィーを好きな同じS級冒険者を諦めさせるために」
「どういう状況なのよそれ……」
デイジーはこめかみを押さえ、一つため息。どう見ても乗り気ではないことは明らかだ。
「まあ、デイジーさんが無理なら次はアメリアさんに頼んでみるしか……」
「え……」
シルヴィアの言葉によって、レイスは死刑宣告でもされたような表情になる。いや、レイスにとっては事実上の死刑宣告に等しい。
シルヴィアとアメリアとなると、あの手この手で余計なイベントを起こそうと奮闘してくるだろう。平穏を保つためにもそれだけは避けなければならない。
「デイジー、頼む! 一生のお願いだ……!」
「どうしてあなたもそんなに必死なのよ……」
「俺にとっては死活問題なんだ……!」
もはや懇願に近い。なりふり構っていられないのだ。
「はぁ……分かったわよ。ちょっとくらいなら手伝ってあげるわ」
「ありがとう! 本当に助かる!」
心の底から救われた気分だった。これで最悪のパターンだけは避けられる。
「話は纏まったみたいですね。それじゃあ、祭りに向けて準備をしていきましょうか!」
この中で一番楽しそうなシルヴィアは、やる気満々の様子だ。彼女に従うしか道は残されていない。
「とりあえずまだ営業中だからその話はまた後にしてちょうだい」
「あっ、ごめんなさい……」
***
デイジーの店の営業時間が終了し、三人は夕食も兼ねて適当な飲食店に入った。注文を済ませ料理が揃うと、待ちかねていたと言わんばかりにシルヴィアが満面の笑みを見せる。
「さて、気を改めまして準備を進めましょー!」
「って言っても、俺は大して祭りのこと知らないけどな」
「そうなんです、ですからまずは知識から身に付けましょう」
王都全体で毎年開催される大規模な祭り。あちらこちらに様々な種類の屋台が開かれ、これでもかというほど王都が活気づくイベントだ。
「祭りの名前は『王竜祭』といって、この国の象徴である晶竜とかけ合わせた名前になっています。祭りの日は表に滅多に姿を現さない晶竜が出てくるんですよ」
「へぇ、晶竜が」
レイスは指名依頼の件で近くで見たこともあれば触れたこともある。あれほど美しい姿をしていれば、見ることができるのを楽しみにしている人も多いだろう。
「晶竜は祭りの最初の方に姿を現すので、まずはそれを姉さんと見ましょう!」
「どこに来るんだ?」
「竜車を見に行った場所があったじゃないですか。毎年あそこの広場に来ます」
中心に大きな噴水があった広場だ。レイスがお金を騙し取られかけた場所でもある。ということは、同時にローティアがお金を騙し取られた場所でもある。
確かにスペースは十分あるだろうし、人を集めるのにはちょうどいい場所だろう。まずはそこで美しい晶竜を見て、祭りのスタートを切るというわけだ。
「晶竜を見たあとは、そこから順に祭りを巡っていきましょう。と言ってもすべてを見て回るわけにもいかないので、私がオススメをピックアップしておきました!」
王都全体で開かれる祭りであるため、すべて回ろうと思えばマラソン大会になりかねない。あるいはラフィー一人なら可能なのかもしれないが、一般人であるレイスには到底無理な話だ。
そんなレイスのために『王竜祭』経験者であるシルヴィアがプランを用意してきたというわけである。自信満々といった様子の彼女を見て、レイスは何とも言えない嫌な予感を覚えた。
「まずは飲食ゾーン! 南門に近い場所には食べ物や飲み物の屋台が多く出ています。ここで気になるものがあれば買って、程々にお腹を満たしてください。歩けないほど食べてしまったら意味がありませんからね」
ピッと人差し指を立て、忠告する。
祭りといえば屋台に並ぶ色々な食べ物だ。『王竜祭』では竜車で運ばれてきた様々な食材が使われており、珍しい他国の料理も数多く並ぶ。
これは実際に見て好きなものを手に取って楽しむのが一番だろう。
「南門から北へ進んでいくと、次は遊戯系の屋台が多く出ています。魔法を利用した遊びなんかも手軽に遊べるので、姉さんと一緒に楽しんじゃってください!」
シルヴィアはサムズアップをしながら瞳に星を散りばめる。まだ言っていることは普通だ。レイスも特に異論はなく、有益な情報としてシルヴィアの話を大人しく聞いている。
「そのままずっと北に進んで遊戯系の屋台を抜けると、最後に色々な小物などが売っているところに出ます。髪飾りや腕輪……中には指輪なんかも」
シルヴィアはチラリチラリとレイスを見てそう言う。要はここで何か買えということなのだろう。口に片手を当てながらニヤリと笑っているところを見ると、恐らくは最後に言ったものを買わせたいのか。
レイスは何とも言えない表情で頬を搔く。
「そして最後は通りを抜けた静かなところで空に打ち上がる花火を見るんです……そして近付く二人の距離。触れ合う指先。……いやー、いいですね!」
「振りであるという前提が抜け落ちていること以外はいいと思うぞ。あと興奮しすぎだシルヴィア」
本物の恋人であるなら中々良いプランであるかもしれない。だが、レイスとラフィーは振りである以上、そこにロマンチックな雰囲気などを期待されても困るだけだ。
シルヴィアが期待しているような展開にはまずならない。精々、純粋に楽しんで終わりだ。
「それで、プランはいいかもしれないけど、私は何をすればいいわけ?」
ここまで大した出番がないデイジー。何のために呼ばれたのか懐疑的な彼女に、シルヴィアはよく訊いてくれたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべる。
「それはですね、当日のサポートです。いくらプランを立てても不測の事態はあるものです。それが起きた場合、私たちが陰ながらサポートに回るというわけですよ!」
「面倒そうね、その役回り……」
この状況を楽しんでいるシルヴィアにとっては役得なのかもしれないが、大して興味もないデイジーにとってはただ面倒なだけだ。レイスに頼み込まれていなければ即刻断っているところである。
「待て、ということは祭りの当日についてくるのか……?」
「はい、バレないようにそうするつもりですよ」
シルヴィアはニコリと笑いかけながらハッキリと口にする。しかし、レイスにとってはできれば避けたい展開だ。ただでさえ緊張しそうな状況なのに、知り合いに見られているなんて公開処刑と何ら変わりない。
「いや、さすがにそれは……」
「大丈夫ですよ、私たちに任せてくださいって!」
もはやレイスが何を言っても着いてきそうな勢いだ。というか、プランがどうこうだったりレイスのためだとか言っているが、本心の九割はただ公然とレイスとラフィーの様子を見たいだけだろう。
ということは恐らくエリアルとシルヴィアとデイジーに見られながらデートをしなければならない。どういう状況なんだと物申したいところだ。
「……余計なことはしなくていいからな」
「余計だなんて、そんな! レイスさんと姉さんのために頑張らせて頂きますとも!」
「…………」
レイスはそれとなくデイジーへ視線をやる。彼女は静かにため息をつくと、ゆっくりと頷いた。デイジーにはシルヴィアのストッパー役として頑張ってもらうことにする。
役割としてはかなり大変な部類だろうが、シルヴィアに妙なイベントを起こされても困る。ただでさえ体力を使う恋人の振りがこれ以上大変になるのだけはごめんなのだ。
「まあ、分かった……邪魔にならない程度に見ていてくれ」
「お任せ下さい!」
純真な笑顔のシルヴィアが、今ばかりは黒く見えてしまう。
レイスにできるのは何事もないように祈るだけだ。どうか普通に『王竜祭』を終えられることを願いながらも、レイスは心の不安を消し切れないのだった。