85 『開店初日』
まだ営業前の静かな店のカウンターで、レイスとローティアは向き合う。ローティアの頭の上のミミはまだ眠そうで、大きな欠伸をしていた。
「さて、今日から店で働いてもらうわけなんだが……ちなみにローティアは笑顔は浮かべられるか?」
レイスは一応、といった感じで確認を取る。
知り合ってまだ一日しか経っていないとはいえ、ローティアの笑顔は今のところまったくと言っていいほど見ていない。流石に接客業で愛想がなさすぎるのもどうなのかと今更ながら思ったのだ。
まあ、ルックスである程度はカバーできると思うのだが。
「多分、大丈夫……?」
言いながら、ローティアは口端を僅かながら持ち上げた。反応に困るレイスは、半目になってローティアを見る。
「……何やってるんだ?」
「笑顔……」
「…………」
レイスは改めてもう一度、ローティアを見る。しかし、いくら見ても口端が僅かに持ち上がっている以外に大した変化はない。
これを笑顔と呼べるかと言われると、難しいというのが本音だ。ローティアにとっては精一杯の笑顔なのかもしれないが、流石にこの微妙な変化を笑顔と言うには無理がある。
「うん、無理はしなくていいぞ……」
「そう……?」
結局は自然体が一番だという結論に至る。ローティアは首を傾げているが、客を困らせるわけにもいかない。
「さて、あとはミミだけど……」
「なんだい?」
「客に高圧的に接するのはやめてくれよ」
レイスが心配している点はそこだ。確かにミミは見た目は愛らしい狐の姿をしているが、精霊だけあってプライドが高い。もしもレイスに接するのと同じように客に接した場合、店の評価が落ちることに繋がりかねない。
それだけは避けなければ。
ミミはレイスの忠告を聞いて、少し面倒そうな表情。物憂げにゆらゆらと尻尾を揺らす。
「分かっているさ。一応、約束は約束だしね。君から破らない限り、僕も協力しよう」
「了解、それさえ守ってくれれば何の文句もない」
事前に確認すべき点はこれくらいだろう。
ローティアもまだ初日で慣れないだろうし、それに昨日作ったチラシを配らなければならないので、今日はレイスもずっと店のカウンターにいるつもりだ。
「じゃあ、始めますか」
まだローティアとミミが加わって初日なので多くの客は望めないだろうが、ここから地道に人を増やしていくのだ。
一人、やる気を漲らせるレイスであった。
***
「うーん、まあやっぱり初日はこんなもんか」
時刻はお昼過ぎ。
カウンターに立つレイスとローティアは、暇を持て余していた。ミミなんて、客の少なさからカウンターの上で眠っている。態度としてはもちろんよろしくないが、レイスもその気持ちは分からなくもない。
昨日作ったチラシもすでに配り終えているので、あとはカウンターにずっと立っているだけの時間だ。ローティアは口数が少ないので、一人のときと大差はない。
時計の針の音だけが店内を支配していた。
そんな折、チリンと軽い鈴の音と共に店の扉が開かれる。中に入ってきたのは、レイスもよく知る二人。
「おー、やっぱりお店って感じがしますね。こんにちは、レイスさん」
「二人ともいらっしゃい!」
ラフィーとシルヴィアの二人だ。寂れた店内に、少しだけ人の活気が戻る。それだけでレイスとしては涙が出るほど嬉しい。
オーバーなレイスの反応に、ラフィーとシルヴィアは苦笑。二人は少しの間店を見て回ると、ポーションと指輪型の魔道具を手に取る。
「調子はどうだ?」
「まあお世辞にも良いとは言えないなぁ……」
「なるほどな」
レイスの反応の大きさに納得したラフィー。彼女の視線は、レイスの横に立つローティアへと移る。
「あぁ、今日から店で働いてもらってるんだ」
「ローティアです……。よろしくお願いします……?」
ローティアから、よく分からないがとりあえず名乗っておこうという適当な雰囲気が感じられる。掴みどころのない様子にラフィーとシルヴィアは少々面食らいながらも、挨拶を返す。
「そ、それでこっちの狐は……?」
ラフィーは頬を少し赤らめながらも、チラチラとミミを見る。相変わらずのその反応には微笑ましさが感じられた。
「ローティアの契約精霊のミミ。ちなみに性格は難ありって感じだ」
「せ、精霊ですか……? しかも、契約精霊って……」
シルヴィアは信じられないものを見るような目でローティアを見る。レイスの言葉の意味するところをしっかりと理解しているのだろう。
しかし、ラフィーにとってはそんなことはどうでもいいのか、眠りながらも揺れ動いているミミの尻尾に目を奪われていた。
「触りたいなら触ってもいいぞ。この場においては二人とも客だしな」
「ほ、本当か!!」
ミミとはそういう約束を交わした。
ラフィーは幸せ絶頂というような表情に早変わり。待ちきれないといった様子でミミの背を優しく撫でる。フワフワの毛並みに魅了され、頬が思わず緩んだ。
「そういや、今日は何か用があったのか?」
「ふぁぁぁ……」
レイスの言葉が届いていないのか、ラフィーは人様に聞かせられないような声と表情でミミを撫で続ける。
「姉さん」
見かねたシルヴィアがラフィーの脇をつついた。すると、ラフィーはビクンと身体を跳ねさせ、顔を真っ赤にする。
「す、すまない! 今のは忘れてくれ……!」
リアクションが大きいとはいえ、それでも女の子らしい反応なので特に恥じらうことはないのだが。ラフィーは深呼吸をして、平静を取り戻す。
「店を見に来たというのも目的の一つではあるんだが……その、恋人の件、でな……」
せっかく戻った顔色が、再び赤くなっていく。レイスとは目も合わせようとしない。それを見てシルヴィアは意地の悪い笑みを浮かべる。
「姉さん、顔真っ赤だよ」
「そ、そんなことは……ない」
ラフィーは顔を俯かせ、消え入りそうな声で否定。前髪の隙間から見え隠れする頬は、誰がどう見ても赤く染まっていた。
「シルヴィア、あんまりラフィーを困らせないでやってくれ」
「はーい、ごめんなさい」
言葉では謝りながらも、シルヴィアは何故かニコニコと嬉しそうに笑っている。彼女はレイスの耳元に近づくと――
「――距離、近づけばいいですね」
一方的に言うと、シルヴィアはレイスへウインク。頑張ってくださいとでも言いたげなそのウインクを見て、レイスは悟る。
シルヴィアまで、アメリアさんと同じ感じになってしまった……。
優しいシルヴィアが今だけは悪魔のように見える。彼女はしっかりと恋人の振りと理解しているというのに。
「はぁ……」
「ど、どうした?」
「いや、何でもない。それより、恋人の振りの件だな」
「ああ。空いている日でいいんだが、一度くらい出かけようと思ってな……」
約束していた恋人の振りの一環である、いわゆるデートだ。デートという言葉は気恥しいので、二人は決して口に出そうとはしない。
「そうだな……じゃあ、一週間後とかどうだ?」
それくらいなら、ローティアも仕事には慣れている頃だろう。まあ、現状では仕事らしい仕事もないのだが。それを考えると悲しくなるので、すぐに思考から追いやる。
もしかしたら一週間後には大盛況という可能性もあるのだ。
「分かった、それじゃあ一週間後よろしく頼む」
「了解ー」
「レイスさん、頑張ってくださいねー!」
ポーションと魔道具の代金を支払い、二人は店から出ていく。最後のシルヴィアの頑張ってという言葉は、店の繁盛を願っての言葉なのか、それとも恋人の振りのことなのか、レイスには分からなかった。
世の中には知らない方がいいこともあるのは確かだ。
レイスが何とも言えない表情をしていると、ローティアの視線が突き刺さる。
「……恋人?」
「正確には恋人の振り、な。本当に付き合ってるわけじゃない」
「どうして振り……?」
「それは……」
レイスが疑問に答えようとすると、カランと鈴の音。客かと思い、反射的にそちらを向く。そこに立っていたのはまたしても見覚えのある人物で。
しかし、決して会いたいとは思えない人物だった。
その人物は鎧を鳴らしながら、レイスの前まで歩み寄る。
「ふむ、ここが君の店か。中々どうして悪くない」
金髪のS級冒険者エリアルはフッと格好つけて笑う。レイスの今会いたくない人物ランキングでダントツでトップだ。
「それはどうもありがとうございます……何か御用が?」
「何、少し話をしようと思ったのだが……む、隣の君は……」
エリアルの視線は、レイスからローティアへとスライドする。急に見つめられたローティアは、目を瞬かせて不思議そうな表情。
「そうだ、竜車の中にいたお嬢さんじゃないか。俺のことを覚えているかい?」
エリアルは自信満々といった表情でローティアを見る。ローティアは紺色の瞳をじーっとエリアルに注ぎ。
「誰……?」
まさかの一言に、エリアルは頬をひくつかせる。しかしすかさず笑みを浮かべると、うんうんと頷く。
「まあ確かに言葉を交わした時間はそう長くはなかったからな……覚えていないのも仕方がない。そういうことだ!」
エリアルは何故かビシッとレイスに指を差し、そう言ってくる。
「は、はぁ……」
別にレイスは何とも思っていないのだが、エリアルはどうしてか体裁を気にしているらしい。空返事のレイスが知りたいことは、もっと他にある。
「それで、話とは……?」
「む、そうだ。レイス、といったかな。君は本当にラフィーと付き合っているのか?」
「それは以前にもお答えしたはずです。付き合っていますよ」
ラフィーと約束をした手前、レイスがそう断言すると。隣から、戸惑いを含んだ視線が注がれる。ローティアは、明らかにレイスの発言に疑問を感じていた。
それもそのはずで、ついさっきレイス自身がラフィーとは付き合っている振りだと言ったばかりなのだから。瞬間、レイスは最悪の展開を避けるべく動いた。
「でも、さっき……」
「いやー、ずっと立ちっぱなしでローティアも疲れただろ! 奥で休んでていいぞ!」
致命的な発言がローティアから出る前に、彼女を工房の方へ追いやる。納得いっていないような様子だが、それについてはあとでしっかりと説明するしかあるまい。
今はこの場を乗り切るのが最優先だ。
「と、突然どうしたのだ……」
「いやー、すみません。彼女が辛そうだったので思わず」
「そ、そうだったか……?」
こじつけもいいところだが、今は適当なことを言ってしのげればそれで構わない。ボロが出ないようにレイスも必死だ。
「しかし、随分と仲が良さそうだな。もしかして浮気では……」
「ないです。ローティアはただの従業員で、それ以上は何もありません」
付け加えると弟子でもあるし、あとこの店に住んでいる。これを知られても十中八九アウトだろう。ミスは許されない。
「そうか……というか、君がお嬢さんが探していたという錬金術師か」
「ええ、まあ……」
「噂によると、君は凄腕の錬金術師らしいじゃないか。何かオススメの商品は?」
「オススメ、ですか」
エリアルも一応は客として何か買う気があるらしい。であるなら、レイスとしても少し安心だ。
「見たところ剣を使うみたいなので、グラの実のポーションなんてどうでしょう。一定時間、身体能力向上の効果がありますよ」
「ほう、それは面白い……よし、一つ頂こう」
思い切りが良く、エリアルは代金を支払いポーションを購入。腰のポーチに満足げに収める。
「しかし、俺にはどうにも君とラフィーが付き合っているとは思えない。確かに頬を赤らめ親密そうではあったが……」
「……ん?」
まだその話題が続くのかと身構えた瞬間、レイスはエリアルの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「もしかして……さっきの、見てたんですか?」
「い、いや、たまたま……そう、たまたま通りかかってな!」
「はぁ……たまたま、ですか」
「なんだ、その胡散臭そうなものを見るような目は……」
どう考えても意図的としか思えず、レイスの視線も自然と厳しいものになる。たった今、会話の主導権はレイスによって握られた。
「そうですよね、まさかS級冒険者のエリアルさんが覗きなんて真似するわけないですよね!」
「あ、当たり前だ!」
心なしかエリアルの額に汗のようなものが滲んでいる気がするが、きっと気のせいなのだろう。エリアルは平静を装って笑みを浮かべる。
「今日はこの辺で失礼しよう。ポーションは有難く使わせてもらう」
瞬時に撤退へと移ったエリアルは、あっという間に店から姿を消す。レイスはその後ろ姿を見送ってから、大きくため息をつく。
「疲れた……あいつが諦めるまで、これが続くのか……」
そう考えると憂鬱になる。再びため息をつくと、フワフワとした何かがレイスの顔に直撃。
「ため息ばかりつかないでくれるかな」
「…………」
レイスはなんとも言えない気分でミミを見る。今だけは、怒る気分にもなれなかった。