82 『実験とトラウマ』
「レ、レイ君がラフィーちゃんたちじゃない女の子を……この浮気者!! ボクはレイ君をそんな子に育てた覚えはないよー!」
「……うるさい師匠。俺は師匠に育てられた記憶はない。ちゃんと両親が育ててくれた。それと俺とラフィーやシルヴィアは付き合ってない」
ラフィーに関しては恋人(仮)とは言えるかもしれないが。とはいえ、ルリメスに教えてもロクなことにならない確信がレイスにはあるので黙っておくことにする。
「グサグサッ、師匠の心に十のダメージ。……そんなこと言ってたら泣いちゃうからなー!」
店に帰ってきて中に入るなり早々、ルリメスによる手厚い歓迎を受ける。歓迎される側がそれを望んでいるかどうかはまた別の話だが。
頬が仄かに赤いところを見ると、昼間から酒を飲んでいたのだろう。妙にハイテンションなのがいい証拠だ。一瞬でルリメスの状態を見抜いたレイスは、軽くため息をつく。
レイスの隣に立っているローティアは、コテンと首を傾げ、不思議そうにルリメスを見つめていた。
「面倒くさっ……」
「今面倒くさいって言った!? そんな心底怠そうな顔しないでよー! もっとボクに構ってよー!」
「いい歳して何言ってんだか……」
酔った勢いでいつもの五割増で面倒くさい性格になっている。両手を上げて恥ずかしげもなく叫ぶ姿は、とてもじゃないが初対面の相手に見せられたものではない。
まあ、ローティアもミミもさして気にした様子はないのだが。
「ボクは可愛い弟子が冷たくて悲しいよ……」
「はいはい、そうだなー」
「雑っ! 応対が雑だよレイ君! もうちょっと優しくしてよー!」
「ちょっ……ほんとに酔ってるな」
レイスはべたべたと引っついてくるルリメスを無理矢理引き剥がし、ローティアを連れて二階へと避難する。階下から「わー、レイ君の薄情者ー!」という言葉が響いてくるが、華麗にスルー。聞かなかったことにする。
「やっと静かになった……はぁ、疲れた」
まだ昼過ぎだというのに、既にレイスの体力は底をつきかけていた。肩にかけていた鞄を下ろすと適当に椅子に腰掛け、一息つく。
「今の人は……?」
「俺の師匠。一応ここに住んでるけど、まあ気にしなくていい。関わるだけ面倒だ」
「そう……」
まさかの紹介だが、あっさりとローティアは受け入れた。
ローティアはキョロキョロと部屋を見渡してから、遠慮がちにベッドへ腰掛ける。
「ほんとにここを使っていいの……? あとでお金取ったりしない……?」
本来なら二階が居住スペースのはずだったので、生活に必要な家具は一通り揃っている。そこらの安宿よりは遥かに過ごしやすい空間になっているだろう。
それ故の心配なのか、ローティアは表情に僅かに不安を滲ませて訊く。
「そんな詐欺しないから安心しろ。一人で暮らす余裕ができるまで好きに使ってくれ」
レイスとしても使っていない部屋を貸すくらい別に大したことではない。それに、ローティアには店の従業員として働いてもらうのだ。きっちり対価は払ってもらう予定である。
これで少しは店が繁盛したらいいんだが。
レイスは体力の回復に努めながらぼーっとそんなことを考える。
正直な感想を言うと、無表情ながらもローティアは十分美少女と呼ばれる類の人種なので、看板娘としてはこれ以上ないだろう。そこにミミが加わるのだから、期待は持てるはずだ。
ローティアを見ていると、チラチラと鞄を気にしていることに気付く。レイスが床に置いている鞄を手に持つと、吸い寄せられるようにローティアの視線も移動した。
それが面白くて、何度か繰り返してしまう。
やがてレイスは、鞄をローティアの方へ差し出した。
「……中、見るか?」
「いいの……?」
「面白いものは入ってないけど、そんだけ気にしてるならな」
ローティアはレイスから鞄を受け取ると、まるで宝箱でも開けるように中を見る。すると、ぽっかりと真っ黒な空間が広がっていた。底が見えず、ただひたすらに黒い空間が続いている。
「それも魔道具の一種だ。空間魔法の応用で、見た目以上に物を入れられる。ま、量産が難しいのが難点だけどな」
ローティアは恐る恐る鞄の中に手を入れる。自分の手が見えないのは絵面的に少し怖いが、特に変わった感触はない。指先に触れたものを掴み、引き出す。
抵抗もなくひょっこりと出てきたのは、瓶に詰まった青いポーション。
「エリクサーだな」
「おおー……」
ローティアは目を輝かせてエリクサーを眺める。見ること自体は初めてではないが、貴重なものであることに変わりはない。
「噂、本当だったんだ……」
「噂?」
「エリクサー、作れるって……」
「そうだな、作れる」
ローティアはエリクサーを中に戻すと、ほかのポーションや魔道具を取り出す。怪しげな黒い指輪もあれば、美しい赤色のポーションなど、様々なものが出てくる。
興味津々といった感じでそれらを眺めるローティアは、飽きる様子もない。やがて満足したのか、鞄を閉じた。
そして、無感情な紺色の瞳でじーっとレイスのことを見つめる。
「……えーと、何?」
「使ってるところ、見たい……」
「錬金術を?」
ローティアは肯定の意味を込めて、コクコクと頷く。レイスが目的でわざわざ王都までやってきたのだから、気になるのは当然のことだろう。
それに、レイスとしても錬金術を教えるとなった以上、ローティアの実力がどれ程なのか気になるところではある。
「僕は寝てるから、何か用があったら起こしてよ」
ミミはそう言うなりローティアの頭からベッドへ飛び降り、丸くなって眠る。
「んじゃま、やりますか」
レイスとローティアは立ち上がり、部屋の外へ。工房がある一階に戻ると、ルリメスがハンモックでだらしなく眠っていた。幸せそうに笑顔を浮かべているので、良い夢でも見ているのだろう。
ただ、腕に抱えている酒瓶がすべてを台無しにしていた。とはいえ、またさっきのように変なテンションで絡まれても困るので、今は良しとする。
もはやルリメスをまともに紹介する気にもなれないレイスは、まるで彼女がいないかのように素通り。道具を揃え、素材を取り出し、ふと手を止める。
「待てよ、そういえば……」
「?」
「ちょっと待っててくれ」
首を傾げるローティアへそう言うと、レイスは再び道具を置いている棚へ。つい最近、竜車を見に行ったついでに買ったものの中で、面白いものがあったことを思い出したのだ。
「えーと、確かここに……あった」
レイスが手に取ったのは、真っ黒な水晶。光すら通さず、禍々しささえ感じる代物だ。と言っても見た目だけで特に害はなく、ちょっとした測定器の役割を果たす魔道具である。
少し重めの水晶を両手で持ち、テーブルの上へ。
「これ、黒白晶……」
「知ってるのか?」
「うん、私の国の魔道具……。『昇華』の要領で水晶に錬金術を使うと、錬金術の練度が分かる……」
ローティアは水晶の前に立つと、ぶかぶかの袖に隠れた手をかざす。集中するように目を閉じ『昇華』を発動。すると、真っ黒だった水晶が段々と透明になっていく。
まるで手品でも見ているようだ。
水晶はある程度まで透明になると、少し黒い濁りを残してピタリと変化が止まった。
「おお、止まった」
「こんな風に、透明になっていく……。熟練の錬金術師だと、大体七割くらい……」
ローティアが錬金術を発動した水晶は九割程透明になっていた。無表情が崩れ、ちょっとローティアはドヤ顔になる。
しかし、事実ローティアのこの結果はかなり良い分類だろう。才能という点においては、申し分ないものを持っている。
「んじゃ、次は俺がやってみるか」
レイスは真っ黒に戻った水晶へ同じように手をかざす。そして『昇華』を発動し――
「……え?」
真っ黒だと思っていた水晶は一瞬で透明になり、それどころか水晶から光が漏れ出す。僅か一瞬でそんな状態になったと思えば、バキリという嫌な音と共に水晶に亀裂が走った。
――瞬間、視界は光で染め上げられる。
レイスは同じような体験の記憶が蘇るのを感じながら、目を押さえてうずくまった。