71 『闇取引(仮)』
とある館の一室。
人目を忍ぶように、二人の人影があった。どちらも男だ。幾つか積まれている箱の前で、ひっそりと会話を交わしている。
「……例のブツは?」
「ここにある」
男が問いかけると、もう一人は箱に手を置いて答える。男は一つ頷くと、箱の中身を覗き込む。頼んでいたものが詰められていることを確認し、ニヤリと笑う。まるで悪人のような笑い方だ。
「……よし、ちゃんと揃ってるな。これが代金だ」
男は徐に鞄から金を取り出し、手渡す。金を受け取った側の男は、微妙そうな表情でそれを眺め――
「……いや、どうしてやばい薬でも取引してるような雰囲気出してるのさ。普通の素材だよ、至って健全だよ」
セスは、目の前でニヤニヤと笑っているレイスへ呆れたように言う。その言葉で雰囲気が崩れたのか、レイスも笑みを消して。
「ノリが悪いなー、もうちょっとなんか反応あってもよくないか?」
「よくないよ。むしろ何かあった方が問題だ」
「次期当主様は大変だな」
「お陰様でね」
軽口を叩き合いつつも、そこに悪意はない。澄ました表情をしながら、肩でも竦めてみせる。
「それより、本当にこれだけで十分なのか」
「ああ、大丈夫。店って言ってもまだ開いてすらないし、とりあえずはこれだけで」
「ならいいんだけど……」
レイスが今日わざわざセスの家にまで足を運んだのは、王家からの依頼のときに約束していた材料の受け取りのためだ。一応めでたくギルドの審査は通過したため、商品の作製に入るべく、その準備の一段階目というわけである。
「ただ、これどうやって持って帰るんだい、レイス」
「大丈夫、大丈夫」
レイスは積まれている箱を持つと、鞄の中へ。すると、質量を無視するように、箱はにゅるりと鞄の中へと吸い込まれた。
少し気味が悪い光景だ。
「なんというか、レイスらしいな……」
「ん?」
「いや、何でもない……」
苦笑するセスはレイスが箱を鞄の中へ詰めていく光景を眺め続け――ふとその途中で部屋にノックの音が響く。思わずレイスも作業の手を止めて、扉の方を見た。
今日はセスが使用人たちにこの部屋に来ないよう言ってあるので、誰も訪れないはずなのだ。
「誰だ? ……まずいぞ、この取引が公になれば……!」
「まだ続いてたのそれ……」
苦笑混じりのセスが扉を開けると、そこに立っていたのはセスと同じ灰色の髪をした少女、リーシャだった。突然の妹の登場にセスは目を丸くする。
「どうしたの……って」
セスが言い終える前に、リーシャはお前に用はないと言わんばかりに彼の身体を押しのける。
部屋の中へ進入を果たしたリーシャが視界に捉えたのは、鞄に箱を詰め込んでいるレイスの姿だ。
彼はわざとらしく焦ったような表情を浮かべ、小さく呻き声を漏らす。見られてはいけないところを見られた――そんな反応だ。
実際には全然そんなことはないのだが、レイスは無駄に高い演技力を見せている。緊迫した雰囲気を醸し出し、逃げ道を探っているように目を泳がせた。
その様子を見たリーシャは驚いたように口元を手で押さえ、そしてキッとセスを睨みつけた。
「見慣れない人と兄さんが一緒にいたと聞いてみれば……兄さん、いつからこんなことを……!」
「え、こんなことって何が……?」
詰問されるようなことをしただろうかと慌てるが、もちろんそんな記憶は存在しない。謂れのない怒りを向けられ、セスは困惑する。
リーシャは事態を理解できずにいるセスに詰め寄り、レイスのことを指差した。
「とぼけないでください! あの人と公にできないような取引をしていたんでしょう!」
「待って、何か致命的な勘違いをしている気がするんだけど……」
まさか、レイスの言葉が聞こえていたのか。
その結論にたどり着いたセスは、慌てて誤解を解こうとする。しかし、セスが口を開くよりも先に、レイスが悪人じみた笑みを浮かべて鼻を鳴らした。
「バレたんだったら仕方がない。悪いが、ここから逃げさせてもらう」
それらしく身構えるレイスを見て、リーシャは完全に警戒を強めている。事情を知るセスにとっては、ただの茶番としてしか映らないが。それでも、リーシャにとってレイスは兄と危ない取引をしている人間に見えているのだ。
「レイスもいい加減……」
一旦リーシャの方を諦め、話が通じるレイスの悪乗りを止めるべくセスが動こうとすると。今度は、リーシャが行動を起こす。
「逃がしません!」
ピンとレイスに向かって手を伸ばしたリーシャは、流れるように魔法を発動。
「えっ、ちょっ……!」
室内に突風が巻き起こり、レイスは為すすべもなく吹き飛ばされて壁に衝突する。そのままレイスは床にバタリと力なく倒れた。時々呻き声を漏らしているところを見ると、気絶しているのだろう。
「…………」
何とも言えない表情で気絶したレイスを見るセス。
こうなったのは本人の責任もあるので、どうにも可哀想とは思えなかった。
ちゃんと誤解を解いていればこんなことにはなっていないのだ。四大貴族相手にふざけられるその気概だけは褒めるべきかもしれないが。
レイスらしいといえば、レイスらしかった。
「兄さんも言い逃れできませんからね。全部話してもらいます」
セスは鬼気迫る表情のリーシャを見て、つい乾いた笑みをこぼしてしまう。ここまで見事な勘違いだと、もう笑えてくる。
「何笑ってるんですか」
「いや、ごめん。ちょっと笑えてきて。……それと、そっちで倒れてるやつは僕の友人だから、これ以上何かするのはやめてやってくれ」
「また言い逃れを……」
言い訳をしていると思っているリーシャは、兄へ疑い深い視線を向けるが。
「いや、それが本当なんだよ」
「……本当?」
「そう、本当」
セスが至って真面目な声音と表情でそう諭すと、リーシャは急激に顔を赤くする。自分の発言を思い返したのだろう。
「ど、どうしてもっと早く言ってくれないんですか!」
「いやまあ、言おうとはしたんだけどね……あいつが悪ふざけし出すし」
セスは未だ倒れたままのレイスへ視線を向ける。リーシャも思い出したようにレイスを見た。
「ど、どうしよう……」
しっかり者のリーシャにしては珍しく、慌てたような表情。レイスが悪いにしても、兄の友人を魔法でぶっ飛ばしてしまったのだ。罪悪感も湧く。
リーシャは倒れているレイスへ駆け寄る。
「あ、あの、大丈夫ですか」
リーシャが控え目に声をかけると、レイスはゆっくりと瞼を持ち上げた。身体の調子を確かめてから立ち上がり、軽く息を吐く。
「……割と死ぬかと思った」
「悪ふざけをするからだよ。僕が止めようとしたのに」
呆れ返るセスに返す言葉もなく、レイスはぐぬぬと唸る。そして、傍らに立つリーシャの存在に気付いた。
「あの、兄の友人とは知らずにごめんなさい!」
リーシャはバッと音がするほどの勢いで頭を下げる。誠実な彼女の性格がよく分かる行動だ。
とはいえ、今回は悪乗りしたレイスに非がある。
「……いや、俺が悪いし大丈夫だよ。こっちこそふざけちゃってごめん」
明らかにホッした様子を見せるリーシャ。
「セスが大好きな妹さんで合ってるよな。俺はレイス、よろしく」
「だ、大好き……?」
「おい、変な言い方をするな……」
恨みがましい視線を向けられるが、レイスに気にした様子はない。セスも若干シスコンな部分があるのは否定できないので、苦い表情だ。
「さて、素材も手に入ったことだし、俺はそろそろ行こうかね」
レイスは床に放置されている鞄を持ち、扉へ。
「それじゃあ、セス。またな」
「ああ、今度は普通にしてくれ」
「善処する」
そう言い残し、レイスの姿は消えた。
セスはやれやれとため息をつく。
「あの人がレイスさん、ですか……その、変わった人ですね」
「そうだね、実力的にも性格的にも、色々と変わってるやつだよ」