69 『竜車』
「あぅ……」
ゴトンと臀部から突き上げるようにして衝撃が伝わり、浅い眠りについていた少女は半ば強制的に目覚めた。紺色の瞳を薄っすらと開き、小さく口を開けて可愛らしく欠伸をする。その動作につられて、両肩に乗るようにして伸びている黒髪がふわりと揺れた。
「……」
半目で窓の外を確認すると、山道を抜け、王都の姿が遠目に見えてきたところだった。少女が乗る竜車の先頭では、ゴツゴツとした黒い鱗を持つ地竜が風を切って駆けている。その速度は馬を優に上回っており、流石竜の一種といったところか。
少女は竜車には初めて乗るが、想像していたよりもずっと速い。
「到着まではまだもう少しかかるね」
「うん……」
少女の膝の上に乗っている真っ白な狐が退屈そうに口を開くと、三つの尾をゆらゆらと揺らす。少女は袖の中に完全に隠れている手で狐の背を撫でながら、外から視線を切る。ふと隣を見れば、金髪の若い男も同じように窓の外を眺め終えたところだった。男は少女の視線に気づいたのか、やたらと気取った笑みを浮かべる。
「初めまして、お嬢さん。俺はエリアル。お嬢さんは?」
「……ローティア」
「そうか。ローティア、見たところ君も王都に何か用が?」
「まあ、とある錬金術師の人に会ってみたくて……」
ローティアは感情を悟らせない平坦な声で答えるが、エリアルと名乗った男は気にした様子もない。変わらず笑みを浮かべたまま、フッと鼻を鳴らす。顔は非常に整っているので、その気障な動作も妙に様になっていた。
「お嬢さんのような可愛らしい方に会いたいと思ってもらえるなんて、その錬金術師に少し嫉妬してしまうな」
「はぁ……そうですか」
エリアルは口にするのも恥ずかしいような台詞を平然と言ってのけるが、ローティアの反応は芳しくない。眉一つ動かさず、無表情を貫いたままだ。何かしらの反応はあると踏んでいたエリアルは、これには困惑。
しかし、すかさず話題を転換する。
「その膝の上の狐は? 尾が三つなんて、見たところ普通の狐じゃないようだけど……」
「……ペット?」
首を傾げながらローティアがそう言うと、狐は不機嫌そうに尾で彼女の膝を叩く。どうやらローティアの発言が気に入らなかったらしい。ローティア本人は、訂正する気もないようだが。
「へぇ、そうなんだ」
エリアルはそんなローティアの様子を見て、会話を広げる気がないと理解。女性に話しかけてこうも大した反応がないのは、エリアルの人生において初めてに近い経験だった。このままローティアに関する話題を振ったところで、思うような反応が得られないのは明白だ。
「俺は王都を拠点とするS級冒険者なんだ。今は依頼を終えて帰る最中でね、良かったら王都に着いてからお茶でもどうかな?」
「……いえ、遠慮しておきます」
ローティアは微塵も興味を示すことなくそう言うと、顔を俯かせて目を閉じる。再び眠りに入ったのだろう。非常に切り替えが早い。
笑顔のまま固まるエリアルは、やがて額に手を当て、やれやれとでも言いたげに首を左右に振った。
「俺も暇ではないしな。一刻も早くラフィーに会いに行かねば……」
エリアルは髪をかき上げ、一人静かに微笑した。
***
「暑いー……」
ルリメスは窓から容赦なく注ぎ込む日光を憎らしげに見ながら、テーブルの上にぐったりと倒れこむ。ただ、そのテーブルさえも日光によって温められているため、余計に暑さを感じるだけだ。
季節はすでに夏。室内も相応の暑さになっており、動く気力を奪うには十分。
ルリメスから言葉にならない呻き声が漏れる中、レイスもまた気だるげな表情を浮かべている。
「師匠、ちょっと黙ってくれ。今頑張ってるから」
「はやくしてー……」
レイスは瓶に細かく砕かれた青白い鉱石を詰め込み、それを部屋の隅に幾つか設置する。冷石と呼ばれるその鉱石はたちまち冷気を放ち始め、室内をゆっくりと冷やしていく。暑い夏には必須の鉱石だ。
「あーー、生き返るー」
緩和されていく暑さにルリメスはふにゃりと相好を崩し、テーブルの上で両手をグッと伸ばす。
レイスは設置した冷石に不備がないか確認し、愛用の鞄を肩から提げた。
「これでいいだろ。んじゃ、俺は出かけるから」
「え、こんな暑いのにどこ行くのー」
「店開くためにはギルドに申請しないといけないらしいから、ちょっと話を聞いてくる。師匠もあんまり家に居すぎるなよ」
「はえー、ほんとに店をやるつもりなんだー。まあ、頑張ってねー」
ひらひらと力なく手を振るルリメス。レイスの忠告虚しく、彼女に外に出るという選択肢はない。
レイスも適当に手を振り返すと外へ。
扉を開けた途端、照りつける日光がじりじりと皮膚を刺激する。レイスは思わず手で日光を遮り、空を見上げた。
夏を迎えた空には雲一つなく、視界いっぱいに広がるのは抜けるような青空。この暑さにも頷ける景色だ。
「とっとと行くか」
人混みの中を慣れたように進んでいく。そうしていると、とあることに気づいた。
妙に見かけない格好の人が多いのだ。それぞれの格好はバラバラで統一性などないが、どちらにしろ王都であまり見た覚えがないことに変わりはない。
不思議に思いながらも、ギルドに到着する。中はいつもと比べて人が多く、ギルドに来るまでに見かけた見慣れない格好の人もいた。
レイスは首を傾げながらも、いつも通りアメリアの前まで行く。
「あ、レイスさん、こんにちは」
「こんにちは」
「今日はどうしたんですか?」
「店を開くためにちょっと話を聞きにきたんですけど……今日はなんか見慣れない人が多いですね」
レイスが疑問に思っていたことを口にすると、アメリアは納得したように頷く。
「レイスさんは初めてですかね。ちょうど今の時期は竜車が訪れる時期なんですよ」
「竜車?」
「はい。地竜という竜の一種が荷車を引いているので、竜車と呼ばれています。異国の人や品を乗せて、定期的に訪れてますね」
「へー、面白そうですね」
人はともかくとして、品には錬金術師としてそれなりの興味がある。中には珍しい素材などもあるかもしれない。
「しばらくは王都に留まっていると思うので、興味がおありなら見に行ってみてもいいと思いますよ。――とまあ、今はそういう理由で見慣れない人が多いわけです」
「なるほど」
竜といえば、レイスは最近晶竜という種類の竜を見ている。地竜は晶竜に比べて珍しさという点では負けるが、それでも竜の一種だけあって数が少なく、貴重な存在だ。
地竜は特に移動手段として非常に利用価値が高い。ルリメスのように転移という超高難度の魔法を使えない大多数の人間にとっては、有用な存在と言える。
「さて、竜車のことは一先ず置いておくとして……店を開くためのお話、ですか」
「はい。知り合いに話を聞いたら、店を開くためにはギルドに申請がいるって言われたので。俺は詳しいことは分からないので、アメリアさんから話を聞こうかと」
「そういうことですか。んー、そうですね、書類上の手続きも勿論必要なんですけど、それ以外にもちょっとした審査があるんですよ」
レイスが首を傾げるのを見て、アメリアは苦笑する。
「審査といっても形式的なものなので、そこまで重く考えなくて大丈夫ですよ。多分、ポーションを作って頂くだけなので」
「まあそれくらいなら」
ポーションを作る程度ならレイスにとっては日常茶飯事だ。審査といえど慌てるようなことではない。少し身構えていたレイスはホッと息をつく。
「ではレイスさん、こちらに」