59 『火の呪い』
「はぁ……はぁ……」
「よう、やく……逃げ切れた、みたいだね」
肩で息をするレイスとセスは、疲れ切った様子で膝に手を置く。背後には魔物の姿はなく、どうにか命からがら逃げ延びることができた。
「ここ、どこだ」
レイスは汗を拭いながら周囲を見る。後先考えず色々な道を適当に進んでいたので、現在地はまったく把握できていない。目の前には、大き目の目立つ赤色の岩石がぽつりとあるくらいだ。
元来た道を戻ろうにも、もう一度魔物と遭遇する可能性がある。こうなってしまえば、ラフィーたちが見つけてくれるのを期待するしかなかった。
「魔物のこともあるし、一応もう少し離れとくか」
「分かった、そうしよう」
体力回復に努めつつ、なるべく安全を確保できるよう歩き始める。赤茶けた地面を踏みしめ、ようやく思考するだけの余裕を取り戻した。
「…………」
黙々と足を進めながら、レイスは火山に来てからのことを振り返る。
ずっと、引っ掛かりを覚えていたことがあった。
魔物に襲われたときであったり、この火山を登り始めたとき。明らかに知性を宿した声が聞こえていたことだ。
「なあ、セス。この火山に入ってから、くぐもった声みたいなの聞こえなかったか?」
「声? いや、僕はそんなの聞いてないけど……」
「そうか……」
「何か聞こえたのかい?」
「もしかしたら勘違いかもしれないけどな」
そう何度も同じ勘違いがあるとは思えないが。とはいえ、レイス一人にしか聞こえていないというのも不思議な話である。
「精霊とは出会えるのかね」
本来の目的を思い浮かべて、思わずため息をつく。この調子では夢のまた夢のように思えて仕方がない。レイスは重くなる足を引きずるようにして動かしながら、ふと隣にあるものを見た。
ぽつりとある、大きめの赤色の岩石。
立ち止まって見上げ、首を傾げる。
「これ、さっきもなかったっけ」
「同じようなものじゃないのかい。そこまで特徴的なものでもないし」
「……まあ、そうか」
どこか腑に落ちないものを感じながらも、上手く言葉には表せない。自分を無理矢理納得させるように頷くと、再び歩き始める。
しばらく二人分の靴音のみが耳に届き、やけに静かに感じられた。鳥の声も、風の音も聞こえない。雑音というものが、世界から消えてしまったような感覚だ。
違和感が拭いきれず、レイスは眉をひそめる。
「なあ、やっぱりちょっと変じゃないか」
「確かに、少し静かすぎるような……」
魔物に追いかけ回されていたときの騒がしさが随分と懐かしく思えた。不気味なほどの静けさに、自然と足早になる。二人して真剣な表情で歩き――その先にあったものに愕然とする。
ぽつりとある、大きめの赤色の岩石。
「おい、これって……」
「……ぐ、偶然かもしれない」
この期に及んでセスは苦々しい表情で希望的観測を口にする。確かに同じような岩石を見るのは三回目。偶然という可能性も捨てきれないのは確かではあるが。
それにしても、とレイスは目を細める。
「俺は嫌な予感がするけどな」
ささやかな希望にまったくと言っていいほど期待をしていないレイス。岩石に近づくと、錬金術で変形させて真横に一本線を入れる。これで、次は見分けることができる。
「僕はこれ以上進みたくないんだけど」
「気が合うな。俺もだ」
言いながら、レイスは立ち止まるセスを置いて進み始める。選択肢はない。セスは頭痛を堪えるように灰色の頭を片手で押さえてから、後を追った。すぐにレイスの隣に並ぶ。
すでに、精神的余裕は失っていた。
「仮に、そう仮にだよ。もし僕たちが同じ場所をぐるぐる回っているとしたらどうする?」
仮に、という部分を強調した質問。
レイスは足下にあった小石を蹴り飛ばし、憂鬱そうに息を吐き出す。
「そうだなー。仮にそうだとしたら、俺たちに打破する手段はないと思うぜ。少なくとも俺には分からん。そういう魔法があるとしても、俺たちには使えないし」
「……よし、偶然であることを祈ろうか」
「こういうときの神頼みほど信じられないものはないけどな。それに心配するな、俺たちが話したのはあくまで『仮』の話だ」
心配するなと言いながらも、仮の内容がやたらと具体的だ。嫌味のような言い回しにセスは思わず責めるようにレイスを見た。
しかし、当の本人は肩を竦めるのみ。セスから仮の話を始めたとはいえ、少しばかり不満を感じてしまう。
「……なあ、レイス。お前は僕の心を折りに来ていないか?」
「諦めって割と肝心なんだ。絶望しなくて済む」
「聞きたくもないアドバイスありがとう」
含蓄が感じられる言葉は、今セスが聞きたい言葉ではなかった。目を細めて空を見上げ、大きくため息をつく。そうしていると、レイスから肩をトントンと叩かれる。
「ほら、見ろよ」
指で示された先には、真横に一本線が入った赤色の岩石。レイスが先程錬金術を使った岩石で間違いない。
つまり、だ。
「確定だな。俺たちは何故か同じ場所をずっと歩いてる」
もう脱出を諦めたのか、レイスはどっかりとその場に座り込んだ。それっきり、ぼんやりとした目で空を見上げる。
「僕、もう一度別の方向に行ってみる」
「無駄だと思うけどな。明らかに方向とか関係なくこの場に戻されてるし」
「それでもやってみるよ」
レイスの言葉を受け入れず、セスはまだ行っていない方向へ走り始めた。
その後ろ姿を見送り、やれやれと思いつつ再び空を見る。流れる雲を放心状態で数分も眺めていると、騒がしく靴音が近づいてきた。
そちらに目を向ければ、息を乱したセスの姿があった。
「な、言っただろ」
レイスは特に誇るわけでもなく、天を仰いで嘆息する。
「これ、どうするの……?」
「一番手っ取り早いのはこのループ状態を作ってるやつを見つけることだろうけど。まあ、この場から移動できない俺らには難しいだろうな。うーん、そうだなぁ……」
他に何か良い方法はないかと腕を組んで唸るレイス。セスは魔法を使えないので、どうすることもできない。錬金術を使えるレイスのみが、突破口に成り得るかもしれないのだ。
何か解決の糸口はないか、記憶の中を探る。
「待てよ、そういや師匠から今の状況と似た話を聞いた気がする」
しばらく経って、レイスは一つの取っ掛かりを得た。
この火山に来る前、サラマンダーについて幾つかの情報を師匠から聞いていたのだ。その中の一つに、このループ状態と似た話があった。
あまり真面目に聞いていなかったので、記憶は曖昧なのだが。
「ええと、なんだっけな……ここら辺の地域の童話に出てくる『火の呪い』っていうものがあって、それが確か人間を迷わせる力を持ってるとかどうとかって話してたような……」
「それで、解決法は?」
「師匠曰く『空間系の魔法と似た感じだねー』らしい」
器用にルリメスの真似をするが、声までは似ていないので端的に言うと気持ち悪い。ただ、もたらした情報は有益で、考察を深めるには十分なものだった。
「空間系の魔法ってことは、座標を固定して繋げて、ループを作ってるってことなのかな……ということは、急激な地形変化とかが起きればもしかしたら……」
「ほう、急激な地形変化とな」
ぐるんぐるんと肩を回し、満面の笑みを浮かべるレイス。準備万端だぜ、みたいな雰囲気を醸し出す彼の次の行動は容易に予測できた。
故に、セスは顔を青くする。
「おい、待つんだレイス。落ち着こう……!」
「大丈夫だセス、俺は十分落ち着いてる」
「だったら今すぐ地面から手を離そうか!?」
「男なら思い切りよく行こうぜ」
サムズアップをして歯を光らせる。もはや話を聞く気がないのは明らかだった。
「お前は思い切りが良すぎるんだぁ!!」
セスの心からの叫びの後、轟音が火山内を駆け巡った。




