58 『分断』
「む、狭いな」
「確かにこれはちょっと……」
魔物を倒してから順調に進んでいた一行。しかし、今は前方に広がる細い道を見て、難しい顔をしていた。壁面に沿うように続く道とも呼べない道は、一歩でも踏み外せば真下へ落下するであろうほど頼りない。
離れた場所に地面はあるが、落ちた場合に生き残れるかは半々といったところだろうか。
下を恐る恐る覗き込んだセスは、ぶるりと身体を震わせた。
「別の道を探すー?」
魔法をそう簡単に使えない今、できる限りリスクは避けなければならない。そう思ったルリメスの提案だったが。レイスが一歩、前に出る。
「いや、俺に任せてくれ。『変形』で道を作る」
ここは錬金術師の力の見せ所。細い道であろうが、作り変えてしまえばそんなことは関係ない。ちなみに、規模にもよるが常人が錬金術で道を作り変えようとすれば軽く一ヶ月以上はかかる。
そんなことはお構いなしと、レイスは地面に手をつける。範囲が広い『変形』になるので、少しばかりの集中を要する。
地面の形が変化しだす、その直前。
『我が領域に手を加えるなど、許されぬぞ』
本日何度目かも分からない、くぐもった声。
更に、バサリと鳥類がはためくような音が頭上から響く。ただ、小鳥がパタパタと羽を動かす可愛らしい音などではない。もっと荒々しく、重い音だ。
頭上から落ちる大きな影と翼の音につられて、レイスたちは空を見上げた。視界に映るのは、赤色の翼を大きく広げた三メートルはある鳥型の魔物。
後方には、逃げ場はない。
「逃げるぞ!」
弾かれるようにラフィーがそう言うと、全員一斉に走り出そうとする。しかし、それよりも一瞬早く魔物は力強く翼をはためかせた。
ラフィーの舌打ちが響くと同時、突風がレイスたちを襲う。身を低くして突風の中を進もうとするが、勢いが強すぎる。とてもじゃないが、抜け出すことはできない。
唯一、ラフィーが動くことができるくらいだろうか。
「ラフィー、どうにか、ならないのか!?」
「無理だっ、あの魔物、こっちに降りてくる気配がない!」
途切れ途切れのレイスの言葉に対し、ラフィーは焦りを滲ませた声で応える。魔物は上空から魔法を使うばかりなので、ラフィーにもどうすることもできない。
剣を投げて撃ち落とすことも考えたが、風によって防がれるのは目に見えている。
「レイス、指輪を使う!」
「分かった!」
緊急事態だと判断。
セスは指輪を使うことを素早く決め、魔法を発動しようとする。
上空で佇む魔物に手を向け――違和感を覚えた。
発動しようとしているのは、魔物と同じ風魔法。しかし、明らかにいつもと魔力の流れがおかしかった。
精霊の力が働いているこの場のせいなのか、それとも別の理由なのか。
セスが疑問に思うと同時、ひゅるひゅると異音を立てて風がその場に渦巻く。セスの狙いから大きく外れた地上に、風が発生したのだ。
「なっ……!」
セスは驚きのあまり目を見開く。魔法の操作ミスなど、ここ数年一度もしたことはない。何かが、おかしい。
セスの意志とは関係なく制御を離れた魔法は、暴走する。
魔物の魔法さえも吸収し、一瞬の間に巨大化した。吹き荒れていた風は瞬き一度の時間ほど収まる。
その後――爆発。
暴虐的な風が円状に拡散し、レイスたちの身体を押す。このときばかりはラフィーさえも必死の様子で風に耐えていた。
術者であるセスは、風の被害が一番強い。それに、意表をつかれた。耐える間もなく身体は容易く吹き飛ばされ、後方に投げ出される。
崖となっている後方に。
苦悶の表情のセスが感じたのは、浮遊感。それが落下の感覚に移り変わるのは、そう長い時間のことではなかった。
そのときセスの頭に思い浮かんだのは、弟であるオルダとの会話。会話の途中に感じた嫌な感覚、更に別れ際の含みのある言葉が鮮明に再生された。
さようならと、オルダはそう言っていた。
「そういう、ことか……!」
総てを察したが、もう手遅れだ。
視界に映ったのは、風に耐え切り、こちらを見て目を見開くレイスたちの姿。
「セスっ!!」
何を考えたのか、レイスは崖際まで駆け寄ると跳躍した。彼の異常な行動に驚くルリメスたちの声が後を追う。
落下が始まり、すぐに風を切る音で周囲の音はかき消される。レイスは必死の表情でセスの手首を掴んだ。そして、迫り来る地面に向かって空いている方の手の平を向ける。
バリンとガラスが割れるような音が響き、レイスの身に着けている『衝撃耐性』の指輪が効力を発揮。落下の勢いの大部分を殺し、レイスたちは重傷を負うことなく着地した。
レイスは地面に身体を投げ出し、ゼェゼェと荒い息を繰り返す。隣のセスも薄らと冷や汗をかいていた。バクバクと鳴る心臓が、自分が生きていることを伝えてくる。
「し、死ぬかと思った……」
レイスは身体を起こして片膝をつき、思わずといった様子で呟く。幾らか寿命が縮んだ気分だ。『衝撃耐性』の指輪があったとはいえ、高所からの落下の恐怖は消えない。
レイスは高所恐怖症ではないが、もう二度と体験したくない感覚だった。
「大丈夫か、セス」
立ち上がり、未だ呆然としているセスに手を伸ばす。
「あ、ああ。すまない、僕のせいで……」
「まあ、気にするな。お前も驚いてたっぽいけど、何かあったのか?」
グッとセスの手を引っ張り、立ち上がらせる。浮かない表情のセスは、どうやら記憶を振り返っているようだった。
「……多分、僕の弟の仕業だ。前日に何かしらの妨害の魔法を仕掛けられていたんだと思う」
「……マジか」
かける言葉が見つからず、ポリポリと頬を掻く。
セスは苦笑すると、大きく息をつく。
「気にしないでくれていいよ。それよりも助かった、ありがとう」
「おう」
レイスは軽く応じると、自分が落下してきたところを見上げる。時間にすると数秒の落下だったが、随分と落ちてしまったようにも思う。
「さて、どうするか」
今の状況は端的に言うと非常にまずい。何せ、戦える人間がいないのだ。レイスの『衝撃耐性』の指輪は使ってしまったし、セスの『魔法強化』の指輪も残っていない。
この火山に魔物が出ると分かっている以上、早急にラフィーたちと合流すべきだ。
ただ、ここからでは上の様子は分からない。ここで探しに来てくれるのを待つべきか、とレイスが考えていると。
「レイス、まずいよこれ……」
セスの声によって現実に引き戻され、レイスはようやく状況を理解した。懸念が時間を置かずに的中。背後を振り返り、その姿を確かめる。
一番最初にレイスたちを襲った、回転する魔物だ。
ギロリとレイスに鋭い視線を向け、くるりと身体を丸める。仲間の復讐のつもりなのか、敵意はレイスにのみ注がれていた。
まるで、誰かに嫌がらせでもされているかのような魔物との遭遇率に泣きたくなる。
「この火山に魔物が出るとか店員さん言ってなかったんだけど……!」
レイスは慣れつつある魔物との逃走劇に嫌気を感じながら、生き残るために走り始めた。