57 『出来心だったんです』
「……愚かな人間よ、我が領域を踏み荒らそうとするか」
くぐもった声が、吹き出る炎と共に放たれる。サラマンダーは、己が棲まう火山に近づく五つの気配を捉えていた。どれもサラマンダーにとっては取るに足らない人間の気配。直接出向くまでもない。
「しかし、所詮は人間。我が領域で生き長らえることはできまい」
能面のような顔にぽっかりと開いた口が、笑みらしきものを浮かべる。それは自身の力に絶対的な自信を持つが故の物言い。強者の驕りと呼ばれるものだ。サラマンダーの周囲を取り巻く炎までも、笑っているかのように激しく揺らめく。
「……む?」
はて、しかし。
サラマンダーはふと違和感を覚えた。
人間の進行が、止まらない。それどころか、火山内へどんどん侵入してきている。
――何が起こっている!?
サラマンダーは慌てて力を使い、炎の中に人間たちの姿を映し出す。モノクロの映像を食い入るように覗き込むと、人間たちは火山の熱をものともせず、涼しい表情。人間ごときに防ぐことができないはずのサラマンダーの力は、完全に無効化されていた。
「な、何いぃぃぃぃぃ!!!」
精霊の絶叫が、火山内へと木霊した。
***
「ん、今何か聞こえなかったか?」
「そうか?」
「くぐもった悲鳴みたいな声がした気がするんだけど……」
レイスは目を閉じて耳を澄ませるが、何も聞こえない。勘違いだったろうかと思い、不思議そうに首を傾げる。まあいいかと足を進めようとすると、複雑そうな表情をしているセスが視界に入った。
「どうしたんだ?」
「……薄々思ってたけど、魔法でも防げない精霊の力を魔道具で防げるのはどうなんだ……?」
「ん、暑いのか?」
「いや、暑くないけどさ。むしろ、それが問題だというか」
自分の首にぶら下がる魔道具を見つめるセス。異常な効力を発揮するその首飾りは、薄らと青い輝きを放っている。
――現在、彼を含め、レイス一行は火山の中まで来ていた。
本来なら暑さで息も辛いはずだが、レイスの魔道具によって防ぐことができている。セスにとってはそれが納得いかないようで、先程からぶつぶつと一人で呟いていた。
ほかの面々はというと。
「まあ、レイ君だからねー」
「そうだな」
「そうですね」
結局は達観したようなルリメスのその一言に片付けられた。「いいのか、それでいいのか……!」と頭を抱えるセスを放置して、レイスたちは目を細めて先を見る。
「それにしても、どこまで行けばいいんですかね」
「精霊がどこにいるかによるよなぁ」
ゴツゴツとした赤い地面が視界いっぱいにゆったりと広がり、ずっと先まで続いている。暑さは感じないとはいえ、登るには相当骨が折れそうだ。
目的の精霊がどこにいるのか分かればいいのだが、見当もつかないのが現状である。流石に頂上まで登るのは無茶があるので、なんとかして出てきて欲しいのが本音だ。
「火山を適当に攻撃したら怒って出てきたりしないかね」
「なんでそう最初から好戦的なの、レイ君」
割とマジな目で考え始めるレイス。彼の頭にぽすんとルリメスのチョップが直撃した。敵対した場合は戦闘と言っていたはずが、自分から喧嘩を売ろうとしている。
とはいえ、精霊と出会わなければ話が始まらないのも確か。
「てい」
レイスは小さくそう呟いて、地面に蹴りを入れる。攻撃と呼ぶには余りにしょぼ過ぎる。まるで幼児のような行動に、ラフィーやシルヴィアは苦笑した。
そんな中、バキリと異音が鳴り響いた。
「……?」
確かに聞こえた音に眉をひそめる一同。
音の出処は、ちょうど真下。
顔を下に向ければ、亀裂が走った地面。
再びバキリと音が鳴り、レイスの目の前で亀裂が広がった。
「……マジ?」
頬を引き攣らせたレイスは、呻きに似た声を出す。脳内ではけたたましく警鐘が鳴り、身に迫る危険を訴えかけていた。
咄嗟に動いたのは、彼の近くにいたラフィー。
抱きかかえるようにしてレイスの身体を横から攫うと、その場から退くように跳躍する。その一瞬後、ぐんぐんと広がった亀裂はやがて地面を破壊し、開いた穴から魔物が現れた。
短い四足を地に着け、背中から尾に至るまで岩の塊が生えている。鋭く尖った爪は、岩場を破壊してきたことから相当な破壊力を秘めていることが見て取れた。
怒りを宿した赤色の瞳は、真っ直ぐレイスのことを貫いている。
「レイス、精霊じゃなくて魔物を呼んでどうする!? しかも結構怒ってるぞ!」
「あんなことで出てくるなんて俺も予想外だよ! どんだけ短気なんだよ!?」
『短気などではない!』
「!? ……今、魔物が喋らなかったか!?」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ!」
レイスが突然聞こえたくぐもった声に戸惑っていると。現れた魔物はくるりと綺麗に丸まり、そのままぐるんと回転し出す。ギャリッと、地面が削れる嫌な音が響いた。
「レイ君、私たちはこの指輪でも使わない限り魔法使えないからねー!」
魔道具は使い切り。つまり、ここで指輪を使用した場合、精霊に対する切り札を失うことになる。命には代えられないが、なるべくそれは避けたい。
「ラフィー、頼んだ!」
「ああ、分かってる」
ルリメスたちに見守られる中、レイスを背後に置いたラフィーは腰の剣を抜く。そして、地面を削りながら直進してくる魔物を見据えた。
ラフィーは凄まじい勢いで接近してくる魔物を避けようとはせず、突貫する。タイミングを合わせて鋭く剣を振るい、魔物と衝突。
甲高い音が響くと、発生した衝撃によってラフィーも魔物も後方に吹き飛んだ。ラフィーは地面に手をつけることで勢いを殺し、静止する。
「地形が悪いな」
前方に広がる斜面を見て、厄介そうに目を細める。魔物はラフィーの前方、つまり斜面の上にいるので、その分攻撃にも勢いが乗る。
ラフィーはその逆。思うように力を込められないわけだ。
「それにあの背中、相当硬い」
見掛け倒しではない岩の塊は、剣を弾き返すほどの強度を誇る。突破は不可能。狙うべきは岩に覆われていない腹部だろう。
どう狙おうか、とラフィーが思考を深めようとするが。そんな暇は与えないと言わんばかりに、魔物は回転を開始。瞬く間に地面を削ると、レイスを蹴散らさんと加速する。
「ラフィー、俺が隙を作るからあとは頼む!」
「分かった!」
レイスは恐怖を押し殺して向かってくる魔物を見据え、地面に手をつく。岩石が多いこの場においては、地形的不利などレイスには関係ない。
「『変形』」
発動した錬金術によって、魔物の真下の地面が急激に隆起する。転がっていた勢いもあり、魔物は天高く打ち上げられた。
「おおー!」
ルリメスの歓声が響く中、ラフィーもまた跳躍。魔物の真下まですぐに追いつくと、そのまま無防備な腹部へ剣を突き刺した。
魔物の悲鳴が上がり、やがて地面へと落下する。ドスンという重い音が響いたあと、ラフィーの軽やかな着地音が続いた。
魔物が動く様子はなく、ぐったりと仰向けに倒れている。
「ふぅ……危なかった」
絶命した魔物を見て、レイスは額の汗を拭う。軽い気持ちで行動した結果、酷い目にあった。責めるようなラフィーの視線に苦笑を返し、軽く頭を下げる。
「でも、これを続けたらもしかしたら精霊が出てきたり……なんてないですよねごめんなさい」
ラフィーの絶対零度の視線に屈し、即座に提案を覆すレイス。守ってもらう立場である以上、文句は言えない。とりあえず歩くしかないと、再び五人は火山を登り始めた。