50 『交渉』
「何か?」
話しかけられるとは思っていなかったので、少し驚きながらも応じる。オルダとは違って好意的に接してくるので、話すこと自体は苦ではない。
「少し話を……いや、君に交渉をしたい」
「交渉?」
表情から訳ありという雰囲気を漂わせているセス。無視する訳にもいかない。思わずレイスが詳しい話を訊こうとすると、彼の服が後ろからグイッと引っ張られた。
たたらを踏むレイスが、引っ張った犯人であるルリメスに文句を言おうとすると。
「その話、長くなりそう?」
ルリメスはお腹を押さえ、げんなりとした表情でそう言った。レイスは、そういえば朝食べてなかったなと今更のように思い出した。
問いかけを受けたセスは、苦笑。
「お時間が大丈夫であれば、僕は食事をしながらでも大丈夫ですよ」
「よし、そうしよー! 異論はないね、あっても認めないけど」
半ば強制的に決定されたが、レイスとしても異論はない。どうせ話をするつもりだったのだ。立ち話もなんだし、腰を落ち着けてやれるならそちらの方がいいだろう。
レイスとセスは一人先行するルリメスの後を追った。
***
「うちの師匠が勝手に選んどいてなんだけど、ここで大丈夫だったか?」
「ああ、お構いなく。僕はそこまで気にしないよ」
「ならいいんだけど……」
貴族なので庶民が入るような喫茶店などはお気に召さないか心配だったのだが、杞憂に終わる。先導していた当人であるルリメスはすでに注文を済ませ、運ばれてきた料理にありついていた。
幸福そうな表情の彼女は、凄まじい速度で皿の上の料理を胃の中に収めていく。レイスは胃もたれしそうな光景から目を逸らし、少しばかり代金の心配。
「さて、そろそろ本題に入ってもいいかい?」
「ああ、大丈夫だ」
セスは軽く頷き、レイスの目を真っ直ぐと見る。そして、ハッキリと交渉の内容を口にした。
「今回の依頼に関して、僕に力を貸してくれないか?」
「ん……どういうことだ? 手柄が欲しいってことか?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。依頼を達成するのは君でもいい。だけど、僕の弟にだけは達成させたくない」
「あー、まあ確かにあんまり良いやつとは言えないけど……でも、国の『象徴』を復活させるための依頼だろ? 正直、達成できれば誰でもいいと思うんだけど」
わざと肩をぶつけられ、平民と見下され、睨まれ。ロクな記憶がない。それでも、オルダに依頼を達成させたくない理由までは分からなかった。
王家も『象徴』を復活させる可能性を少しでも上げるために、有力な人物を集めたはず。ならば、そこに人格の善し悪しは関係ない。結果だけを求めているのだから。
純粋な疑問をぶつけられ、セスは少しばかり苦い表情。痛いところを突かれた、といった感じだろうか。
「そう、君の言う通りだ。別に王家側からすれば、依頼を達成するのは誰だっていい。けど、僕からすれば違うんだよ。あくまで個人的な事情がある」
「訳ありってことか」
「そういうこと」
「ちなみに、その事情っていうのは訊いてもいいのか?」
レイスがそう言うと、セスは困ったような表情で笑う。話したくないというより、恥ずかしさが感じられる雰囲気だ。
「あんまり面白い話じゃないよ?」
「いいよ、ちょっと興味ある」
レイスは手元の茶を飲み、続きを促す。貴族の話、それも同年代となると中々聞けるものではない。レイスは好奇心のままに耳を傾ける。
「僕は、こう言っちゃあれだけど、この国でも上の方の地位にある貴族の家の長男に生まれたんだ」
「あー、なんか家名に聞き覚えがあると思ってたらそういうことかー」
「なんだよ師匠、知ってるのか?」
食事に集中していたはずのルリメスが会話に入ってきたことで、レイスはいつの間にか料理がすべて消えていることに気付いた。
恐るべし、魔の胃袋。ついでに言うと代金が気になるところだ。
「確かあれだよ、薬師として有名な四大貴族の家! ボク、あそこの家の人に結構嫌われてたから覚えてるよー」
「……と、申しているんですが」
「ははは……まあ、ルリメスさんは薬師の役目を潰すほどの優秀な錬金術師ですから。いわゆる商売敵になるわけで、称賛の裏返しと思って頂ければありがたいです」
「元々そんなに気にしてないから大丈夫だよー」
ということは似たような俺も嫌われるのでは、と思ったレイスだが、すでにオルダに嫌われていることに気付いてしまった。悲しいかな、師弟揃って同じ家の人間に嫌われるとは。
「ちょっと話が逸れましたけど、僕はその家の長男なので、当然跡取りとしては最有力候補な訳です。だから、順当に行けば僕が家を継ぐことになるんですが……」
「ふんふん」
「今回の王家の件の結果によっては、家を継ぐのが弟になるかもしれない」
「それを避けたいから俺に協力して欲しいと、そういう訳か」
「あまり褒められた話ではないかもしれないけど、そういうことだね。もちろん、それ相応の報酬は出すつもりだ」
「ふむ」
レイスは再びカップに口をつけると、思案する。
今回の交渉、内容を見ればレイスにとってはそう悪い話でもない。要はオルダよりも早く今回の依頼を達成するだけで報酬が増えるのだ。
店開きを考えているレイスとしては軍資金が増えるので嬉しい提案である。
セスも平民であるレイスに対して物腰が低く、好感が持てる。協力するのも吝かではない。
「その話、俺は受けてもいいと考えてる」
「本当かい!?」
「ああ、ただ一つ訊いてもいいか? 俺から見ればセスって出世欲とか、そういうのが有りそうにはあんまり見えないんだけど……」
どちらかと言うと、積極性に欠けるような印象だ。一人で静かに本を読んでいるような、そんなイメージ。
「なのにどうして当主を目指すかって?」
レイスは肯定の意味を込めて首を縦に振った。
セスは照れ笑いのようなものを浮かべ、目を泳がせる。
「まあ、妹がそう望んでるし、オルダに任せるのも不安が残るし……」
後半の理由は、どうも取ってつけた感じが拭えなかった。そこを見逃す師弟ではない。
「ほほぅ……なるほどねぇ。妹思いの良い兄じゃないか」
「いやはや、可愛いものだねー」
前半部分が主な理由だろうと瞬時に察した師弟は、示し合わせることなく同じような笑みを浮かべる。すなわち、面白い玩具を見つけたと言わんばかりの悪魔のような笑みだ。
セスは頬を真っ赤に染め、顔を隠すように俯く。
「だから言いたくなかったんだ……」
「まあまあ、いいじゃないか。立派な理由だと思うぞ、俺は」
「はぁ……あくどい笑みを浮かべた張本人がそれを言うかな」
「まあ、セスは貴族にしては結構話しやすいからなぁ」
「それは光栄だよ」
セスは棒読み気味にそう言ったあと、一度咳払い。雰囲気を払拭すると、真面目な表情を作る。
「それじゃあ、この交渉は成立ってことで構わないかな」
「ああ、そう思ってくれていいぞ」
正式に交渉が成立する。なぜか大物と知り合うことで定評のあるレイスだが、これでまた一人増えたわけだ。デイジー辺りが聞いたら、また何かやらかしたのかと思うに違いない。
「それじゃあ、これからよろしく頼む。気軽にレイスって呼んでくれ」
「こちらこそ。よろしく、レイス」
軽く握手を交わす。
内心で、レイスはセスと知り合えたことを嬉しく思っていた。何せ、王都に来て初めて出来た同性の友人らしき人物だ。
ウィルスという同性の知り合いはいるものの、レイスは彼のことを苦手に思っているので友人にはカウントされない。
やはり、気軽に話せる関係性というものは大切だ。