46 『責任転嫁』
9月25日発売の第1巻が重版決定致しました!
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ドスンと、重い音が部屋に響き渡る。
「ぐぶっ……!」
同時に、随分と間抜けな声が後を追って発せられた。決して女性の口から出ていると思えない声だ。ハンモックから落下し、床の上でもぞもぞと動く己の師匠をレイスは冷たい目で見下ろす。
頭だけを動かしてチラッとレイスを見たルリメスは、小声で「おおっこわっ……」と呟く。
「虫みたいだな」
「やめてよ! もっと師匠を敬ってー、労わってー!」
ルリメスは鼻で笑うレイスの足を掴み、子どものように駄々をこねる。体裁も何もない光景だ。レイスの絶対零度の視線に拍車がかかった。
「……?」
「その目もやめて」
コイツは何を言っているんだ、とでも言いたげな目のレイス。ルリメスは渋々立ち上がると、ぐすんと鼻を鳴らす。
「しくしく、お師匠は悲しいですよ。優しく起こしてくれるかと思えばハンモックをひっくり返すなんて」
「はいはい、文句は後でなー」
「雑! 雑だよレイ君!」
ルリメスは栗色の髪の毛をあちこちにぴょんぴょんとはねさせながら、両手を上げて抗議する。一目で寝起きと分かる格好だ。
「そう思うなら一人で起きてくれ……」
レイスは疲れた表情でそう愚痴る。朝からルリメスを起こすことに労力を注いだ結果だ。久しぶりにルリメスと会ったせいか、彼女の寝起きの悪さに懐かしさすらこみ上げてくる。一度寝ぼけて魔法を放ったときには、命の危機すら感じたものだ。
別の意味で泣きそうな気持ちである。
と言っても、本来ならルリメスがいくら寝坊しようがレイスは起こさない。ただ、今日に限ってはそういうわけにもいかないのだ。なぜなら、本日は王家からの指名依頼に書かれていた王城へ行く日なのである。
王家相手に寝坊しましたなどと言える図太い精神は、レイスは持ち合わせていなかった。不本意ながらもルリメスを起こし、現在に至るというわけだ。
「ほら、早く準備しろ」
「急かさないでよー、レイ君」
「誰のせいで急かす羽目になってるのか分かってるのか……」
鬼の形相のレイスを見て、さしものルリメスも黙って準備を始める。レイスはとっくに仕度済みなので、頬杖をついて待つのみだ。ルリメスは魔法を使ってはねた髪の毛を器用に整え、服装も指一つ鳴らすだけで外出用のものへと変わる。
女性の準備には総じて時間がかかると思われがちだが、ルリメスに関しては話が違う。……と言っても、よく寝坊をするが故に身についたスキルなので、何とも言えないのが悲しいところではあるが。
準備が整ったことを確認したレイスは、満足げに頷く。
「よし、行くか」
「え、ボクのご飯は?」
「時間ないから無しだ。恨むなら早起きできない自分を恨むんだな」
レイスは愕然とするルリメスの手を引っ張り、外へと連れ出した。レイスの家から王城へは少し距離があるので、悠長としていられない。お腹に手を置いて歩くルリメスは、物寂しげな様子だ。
「師匠はこの国の王族と知り合いらしいけど、実際どれくらいの仲なんだ?」
「んー? まあ、巨竜のときにボクがいなかったら結構な被害があったと思うから、融通は利くよー」
「へー、便利そうだな」
「いやいや、そうでもないよー」
ルリメスは苦笑しながら横にブンブンと手を振る。
「結局、ボクとの関係を途切れさせたくないって狙いがあるだろうし。言いなりになるのは面倒だから、王国から離れてたんだー」
「そんな事情があったのか」
「まあねー、レイ君も気をつけた方がいいよー」
「なぜに俺?」
疑問符を浮かべるレイス。ルリメスは注意を促すように人差し指を立てると、小刻みに左右に振る。
「チッチッチ、考えが甘いですなぁ、我が弟子よ」
「その喋り方は何なんだ……」
「いいですかな、王国側はこれまでの行動を見て、ボクが気まぐれな人物だとすでに気づいているわけです」
どうやら変な喋り方は続行するらしい。ルリメスは得意げな顔で滑らかに語り出す。
レイスは呆れた顔をしながらも、続きを促すように軽く頷いた。
「頼みごとをそう何度も聞いてもらうのは難しい……そう考える王国側が次に目をつけるのは――ボクの弟子であるレイ君」
「ほうほう、つまり?」
ルリメスはサムズアップしながら満面の笑みを浮かべる。
「これからレイ君がボクの代わりに色々頼まれる可能性が高いってことだねー!」
「おいおいおい、勢いだけで乗り切れると思うなよ」
声に静かな怒りを滲ませ、レイスはルリメスを見る。
ルリメスは頬を無理に持ち上げ、ぎこちない笑みを浮かべた。
「あははは……大丈夫だよ! ……多分」
「何が大丈夫だよ、完全に師匠のとばっちりじゃねぇか!!」
「いや、こればっかりはボクのせいでもないよー! ボクは人助けしただけなんだから!」
そうやって師弟であーでもないこーでもないと言いながら歩いていると。ふと、レイスの肩に何かがぶつかる。
思わずレイスがそちらを見ると、灰色の髪を短く刈り上げ、鋭い目つきをした男が立っていた。背はレイスと同じくらいで、見た目のせいか威圧感を覚える。胸元には、家紋らしき紋様が刺繍されていた。
レイスは一瞬ギョッとしたものの、慌てて頭を下げた。
「すみません、ぶつかってしまって」
男はレイスの言葉を受けても何も返さず、徐にレイスがぶつかった場所を見る。そして煩わしそうにレイスに一瞥をくれると、一言。
「どこに目を向けている。気をつけろ、平民。次はないぞ」
その言葉はどこか馬鹿にしたような響きを伴って、レイスへと届いた。レイスの隣に立つルリメスがムッとした表情になる。それに目敏く気づいたレイスは、ルリメスが何か言う前に再び謝罪の言葉を口にする。
「申し訳ありません」
男はふんと鼻を鳴らすと、最後にわざとらしく肩をぶつけて立ち去っていった。完全に遠ざかったことを確認してから、レイスはふぅと一息つく。
隣のルリメスは、怒り心頭といった様子だ。
「どうしてレイ君は言い返さないのー!」
「いや、今のは俺が悪かったし」
「でもちゃんと謝ってるのにあんな言い方はないよー! それに、あっちも結局肩ぶつけてるし!」
「だとしても、多分貴族っぽかったし面倒は起こしたくない」
男の言い草から身分を推測し、一つため息。内心ではレイスも腹は立っている。誰だってあんな対応をされたら不快に思うだろう。しかし、依頼前に無用な争いなど起こしたくはないのだ。何事も冷静さが大切である。
「それに、師匠のやらかしに比べれば可愛いもんだ」
レイスはニヤリと冗談っぽく笑う。ルリメスは途端に苦い表情になり、しゅんと肩を落とした。
「そ、それに関しましては、申し訳ないと思っております……」
「よろしい」
うんうんとレイスは頷いてから、ふと思いついたように男が歩いていった方向を見た。そして、首を傾げる。
「というか、師匠。あの男と俺たちの行き先被ってないか?」
「たまたまじゃないのー?」
「だといいんだが……」
王城はすでに近づきつつある。レイスは懸念が現実にならないよう祈りながら、足を動かし始めた。