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45 『セス・リンフォールドの憂鬱』

 ――幸福とも、不幸とも呼べない人生だと思う。


 王国に存在する大貴族のうちの一つ、リンフォールド家。その家の長男であり、跡取りでもあるセス・リンフォールドは心の中でそう呟いた。


 リンフォールド家は百年以上前に終わった戦争において、優秀な薬師として活躍した血族である。また、魔法の才能にも秀でており、数多くの戦果を挙げたことでも知られている。


 その功績を称えられ、王国に四つ存在する大貴族のうちの一つにまでなることができたのだ。以来、リンフォールド家は代々魔導師、薬師を輩出し続け、その地位を維持してきた。


 今代、そんな家に産まれたのは、四人の子ども。男三人に、女一人。セスはその中でも長男であるため、跡取りとなる可能性は当然高い。


 それを幸福と思うか、不幸と思うかは人それぞれだろう。そしてセスの場合は――どちらかというと、後者に近かった。


 由緒ある家系。募る期待。のしかかる責任感。


 家名に泥を塗ることなど、決して許されない。常に貴族としての誇りを持ち、自己の研鑽に励む。それが当然であり、務めであった。


「はぁ……」


 セスは窓の外に映る灰色の空を見上げ、ため息を一つ。男にしては少し長い自分の髪と同じ色の空は、見ているだけで気が滅入る。


 憂鬱だと叫びたい気分だったが、生憎とそんな元気は持ち合わせていなかった。代わりに、また一つため息が漏れる。


「兄さん、そんなため息ばかりついていると幸せが逃げちゃいますよ」


 扉を開く音と共に、呆れた声がセスへと投げかけられた。セスは思わず窓から視線を外す。扉の前に立っていたのは、セスの妹であるリーシャ・リンフォールドだ。


 セスと同じ、しかしそれよりもずっと長い灰色の髪の毛を揺らし、両手を腰に当てている。


 見慣れた妹に向けて、セスは苦笑を返した。


「そう言われてもね、リーシャ……」

「ほらほら、またそうやって暗い顔をするんですから」


 しょげるセスを見て、リーシャは頬を膨らませる。そのままセスへと詰め寄ると、彼の頬を掴んで無理矢理笑みの形を作らせた。


 ただ、リーシャが手を離すと、またすぐにセスの表情は暗いものへと変わった。それを見たリーシャの口からも、自然とため息が出る。


「……また、オルダ兄さんから何か言われたんですか?」

「それもあるけど……オルダの僕への当たりは今に始まったことじゃないよ」

「なら、お父様が仰っていた、王家からの件ですか」


 セスは言葉を発さず、ただ静かに顔を俯ける。リーシャは兄のその反応で大体の事情は察したのか、やれやれと首を横に振る。


「兄さん、確かに私はセス兄さんに家を継いでもらいたいと思っています。ですが、それがセス兄さんの幸せにならないのなら、無理強いはしたくないです」

「別に僕は家を継ぐことが心底嫌なわけじゃないんだ……それに、僕がその役目を放棄するとオルダのやつがこの家を継ぐことになる」


 穏やかなセスにしては珍しい、敵意の滲んだ言葉が出る。オルダとはセスの二つ下の弟であり、セスのことを目の敵にしている存在でもある。


 性格は控えめに言っても悪く、兄であるセスへの嫌味など毎日のように言っている。ただ、薬師として、また魔導師としての能力自体は高い。


 問題なのは、その能力がセスよりも高いことにある。


 それは決してセスが劣っているという意味ではない。むしろ一般的に見れば優れているだろう。


 その兄よりも優れているという事実はオルダの心に傲慢さを与え、彼の中の欲を増大させた。すなわち、家を継ぐに相応しいのは自分だという思い込み。


 そのことから跡取りに最も近いセスのことを嫌っているのだ。よくあるといえばよくある話である。しかし、セスにしてみればこの上なく煩わしい話。


 家を継ぐということは、当然領地を持つということに繋がる。そのためには人格的にも、能力的にも優れていなければならない。


 オルダは、人格面に少々問題ありといった感じだ。


「まあ、お父様もセス兄さんに家を託すつもりみたいですし、順当に行けば問題はないでしょうが……」

「順当に、ね」


 セスは窓の外を見て、スッと目を細めた。


 ――そう、順当に行けば間違いなくセスが家の主となる。


 ただ、そこには一つだけ問題がある。


「王家の件によっては、その順当が覆る可能性もある」

「それは……」


 セスが暗い顔をしていた理由。

 思い当たる節があるリーシャは、思わず言葉を詰まらせた。


 少し前に王家から直接来たという、とある命令。それを果たす人材として、セスとオルダが選ばれたのだ。内容はまだ聞かされていないが、その結果によっては順当が覆る可能性があるというわけである。


 もちろんセスも全力を尽くす所存だが、オルダの能力が非常に高いこともまた事実。憂慮に堪えないのは仕方ないというものだ。


「まあ、結局僕がオルダより優れていたら何も悩むことがなかった話なんだ。自分でどうにかするしかないさ」


 セスは自嘲気味にそう言って、またため息をつく。思考がネガティブ寄りなセスの癖だ。日に何度もため息をつくせいで、よくリーシャに怒られている。


 例に漏れず、リーシャは少し怒ったような表情をしていた。しかし、今回ばかりは仕方ないと思っているのか、それ以上の反応を見せることはない。


「何もなければいいのですが……」

「どうだろうね」


 セスは他人事のようにそう言ってから、時間を確認する。


「そろそろだ」


 セスはそう言うと窓際から離れ、扉の外へ。不安げな妹の表情を見て、大丈夫という意味を込めて微笑んでから、歩き始めた。


 向かうのは、父親が待つ執務室だ。王家からの命令の内容の説明があるので、事前にセスとオルダの二人が呼び出されている。


 セスが広い廊下を無言で歩いていると、少し先に見知った後ろ姿を発見した。同時に、意図せずとも苦い表情になる。


 セスの前方の男は背後からの靴音を聞きつけたのか、ゆっくりと振り返った。短く切った灰色の髪と長身が、多少の威圧感を纏わせている。


 細く鋭い瞳が、セスの姿を捉えた。


「おやおや、我が兄上様ではありませんか。どうしました、顔色が優れないようですが」

「気遣いありがとう。でも大丈夫だよ」

「それは良かったです。親愛なる兄上様に何かあっては、私としても悲しいですから」


 オルダの皮肉めいた言い回し。


 ――そんなこと、少したりとも思っていないだろうに。


 セスは内心でそう毒づきながらも、表情に出すことはしない。


「ちょうどいいです。父上のところまで一緒に行きましょうか」

「……ああ、そうだね」


 不本意ながらも、セスは頷く。行先は同じなのだ。断る口実はない。


「今日はあの口うるさいリーシャは一緒ではないみたいですね」

「僕ら二人だけしか呼ばれていないから当然だよ」

「おっと、失礼。私としたことが忘れていましたよ」


 こけにするように笑みを作るオルダ。セスに対する態度は毎回こんな感じで、丁寧な口調に反して敬意は一切感じられない。


「いやはや、それにしても王家からの命を私たちが承るとは光栄なことです。これを機に、父上も家を継ぐに相応しい人物が誰なのか、ハッキリと気付くことでしょう」

「……そうだね」


 セスは辟易としながらも、オルダの皮肉や嫌味に適当な返しをする。真面目に考えて返答するだけ時間と労力の無駄だ。


 ――一人で気軽に勉強でもしていたいなぁ。


 セスは心底そう思い、小さくため息をついた。

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