39 『苦手なもの』
「なんで当然のようについてきてるんだよ……」
つい口から漏れた愚痴は、己の師匠に対して。レイスは隣で笑っているルリメスを見て、ため息をつく。
「弟子の工房を見るのも師匠の務めってやつだよー」
「都合の良いことを……」
額を押さえて見上げた空はすでに暗い。人通りも少なくなり始め、宿もすでに埋まっていることだろう。
「今日の依頼の報酬は師匠が貰ったんだから、宿には泊まれただろうに」
今日のデイジーの依頼はルリメスの力ですべて終わったので、報酬は彼女に渡された。レイスとしてもそれ自体に文句はない。
問題はルリメスがレイスの家に滞在しようとしていることだ。
「気にしない、気にしない」
「俺は気にするんだよ」
とはいえ、師匠に野宿を強制するほどレイスは鬼畜ではない。なくなくルリメスを家の中へ入れる。
「ん? レイ君、店を開くつもりなの?」
「興味はあるけど、考え中。正直、軽く手を出せるわけでもないし」
「へー、そうなんだー」
ルリメスは空のままの棚やアクセサリーディスプレイを見て、軽く頷く。
「意外と広いんだねー」
カウンターの奥から工房の方へ。ルリメスは中央の部屋を軽くくるりと見回して、感想を述べた。
「うんうん、過ごしやすそうでボクは好きだよー」
「さいですか」
仮眠用のハンモックに転がったルリメスは、満足気な様子だ。抗議する気すら起きないレイスは、一度腰を落ち着ける。
「王国にいる間はここにいるつもりなのか?」
「うん、そのつもりだよー」
「まあ、でしょうね……」
ということは、だ。レイスはまた師匠の食事を作ったり、放置された洗濯物などを回収しなければならないわけだ。酔ったルリメスはすぐに衣服を脱ぎ散らかすので、これには昔からレイスは困りものである。
「レイ君、ボクは長旅で疲れたよー。お酒ないのー」
「俺の年齢を考えてくれ。まだ飲めん」
「えー……」
抗議の視線を送られるが、すべて無視する。そもそも酒を飲める年齢ではないレイスが家に酒を置いているわけがないのだ。
仮に置いていたとしても飲ませたくはないというのが本音だが。
「というか、どこで何やってたんだ」
「んー? まあ色んなところで色々かなー、素材集めだったり、知り合いと会ったり」
「へぇ」
ルリメスは転移魔法を使うことができるため、比較的気軽に国の移動が可能だ。その分、大量の魔力を消費するので、連発はできないのだが。
「レイ君はどうして王都に出てきたのー」
「あの小屋の付近に魔物が出てきたから仕方なく。お金もないから、ポーション売ったりしてた」
「なるほどー、大変だったねー」
小屋を出てからというもの、やることが多くなったのは確かだ。魔物からの逃亡劇だったり、シルヴィアを助けたり、大量の指名依頼をこなしたり。
今度は王家からの依頼とルリメスとの再会だ。
「何もなければいいんだけどなぁ……」
切な願いを口にするが、内心では叶わないことを薄々察しているレイス。ルリメスのキョトンとした顔を見て、ため息をつく。
「飯にするか」
「おっ、頼んだよー?」
「師匠は動く気ないんだな」
「えへへー、ボクは料理作できないから」
「いや、褒めてないぞ」
レイスは夕食を作ろうと立ち上がったのに対して、ルリメスはハンモックの上からまるで動こうとしない。幸せそうに寝そべっているだけだ。
「どうして錬金術と魔法はできるのに料理はできないのかねぇ……」
レイスは不思議で仕方がないと首を振る。魔法や錬金術には、ある程度手先の器用さというものが必要になるのだ。
故に、料理をできてもおかしくはないのだが。ルリメスは、一切と断言していいほど料理ができない。レイスは一度だけルリメスが作ったシチューらしきものを食べたことはあるが、しばらく腹痛で動けなかったほどだ。
その日以来、レイスは自分で料理をすることを決意した。
「寝転がるのもいいけど、そのまま寝るなよ、師匠ー」
「大丈夫ー、ちょっと時間あるし、ほかの部屋も見てくるねー」
「変なことはするなよ!」
「分かってるよー」
レイスが料理をする間に、工房を見て回ることを決めたルリメス。レイスの忠告を話半分で聞き流し、軽快な足取りで移動する。
「ふんふんふーん」
鼻歌交じりで歩くルリメス。鉄拳を見舞うことはあったものの、久しぶりにレイスの顔を見ることができて機嫌が良いのだ。
「いやー、やっぱり背も伸びてるものなんだねー」
ルリメスがレイスと出会って、すでに七年。レイスの成長を見守ってきたルリメスは、少し懐かしむ。まだ今より幼かったレイスは、ルリメスによく懐いていた。当時のレイスの感覚としては、たまに家に来るお姉さんという感じだった。
師匠になってから、評価は逆転することになるのだが。
「さてさて、そんな弟子の成長を確認しようじゃないかー」
ルリメスはドヤ顔で扉を開き――
「……って、寒!」
約二秒程で、扉を閉めた。
扉を開けた途端、寒風が容赦なくルリメスを襲ったのだ。室内には雪まで降っており、明らかに魔法の力が使われている。
「これ、シルヴィアちゃん辺りに手伝ってもらったのかな……レイ君は魔法使えないしねー。まあ、この部屋はいいや」
ルリメスは目の前の部屋の見物を諦め、次の部屋へ。春、夏、秋、冬と季節ごとに分かれた素材保管部屋を見て、感心する。
「うんうん、ちゃんと管理が行き届いてるねー」
育てられている植物は、一目見て分かるほど手間がかけられていた。しっかりレイスが頑張っている証拠であり、師であるルリメスとしても誇らしい限りだ。
そうして、楽しみつつもちょっぴり師匠らしいことを思いながら歩いていると。
「ん?」
ルリメスの目の前に、新たな扉が現れる。ほぼほぼ工房内は巡り終えたので、恐らくは目の前の部屋が最後だ。
ルリメスは、最後はどんな部屋だろうと、わくわくしながらも扉を開けた。
「……?」
部屋の中は薄暗く、少し湿っぽい感じだ。ルリメスは思わず目を凝らす。
「何か……いる?」
暗闇の中に浮かぶ、無数のシルエット。ルリメスは嫌な予感を抱きつつも、目が慣れるのを待つ。数秒もすると、シルエットの正体が判明した。
同時に、ルリメスに視線が集中する。
部屋中にいる『虫』の視線が。
「――――!」
甲高い悲鳴を上げ、ルリメスは一瞬で部屋の外にまで後退する。勢い良く下がりすぎたせいか、体勢を崩して尻もちをついた。
「なんだなんだ!?」
突然の悲鳴を聞いてか、レイスが慌てた様子で現れる。
そして、座り込んでいるルリメスへ駆け寄った。
「どうしたんだ、師匠?」
「む、虫が! 大量の! 虫が!」
「虫? あぁ、この部屋に入ったのか……って、鼻水を俺の服につけるな!」
涙と鼻水を垂らしているルリメスが、レイスのズボンに顔を押しつける。
「そういえば師匠は虫が苦手だったな。まあでも、役に立つ虫なんだぞ」
部屋の中にいる虫は羽を持たず、特殊な繊維を吐き出す特徴を持っている。レイスはその繊維が目的で虫を飼育しているのだ。
ただ、確かに部屋の中に大量の虫がいるのは苦手な人からすれば地獄だろう。レイスは少しだけ申し訳なさを感じ、ばつが悪そうな表情を見せる。
「あ、そうだ」
「……?」
レイスは師匠の手を取って立ち上がらせながら、何か思いついたような声を出した。
「師匠、夕飯食べたあと、手伝って欲しいことがあるんだけど、いいか?」
ルリメスは涙を拭いながら立ち上がると、静かにコクリと頷いた。