38 『実験と本領』
「へー、レイ君ってここで働いてるんだー」
「まあ、いつもやってるのはポーション作りの手伝いだけなんだけどな」
「何事も経験が大事だからね、いいと思うよー」
レイスは慣れた様子で店内に足を踏み入れる。カウンターでは、いつも通りデイジーが待っていた。彼女はレイスの隣に立つルリメスの姿を見て、首を傾げている。
「そっちの人は……」
「ああ、俺の師匠」
「初めましてー、ルリメスです。よろしくー」
「は、はぁ……デイジーです」
ルリメスはデイジーの手を掴むと、勢い良く縦にブンブンと振る。困惑顔のデイジーは、されるがままだ。いつもの刺々しい言葉は鳴りを潜め、珍しく勢いに呑まれている。
しかし、段々と表情が訝しげなものに変わっていく。
「ルリメス……?」
どうやらその名前に引っかかりを感じたようだ。疑うような視線がルリメスへと注がれる。
「お、もしかしてデイジーちゃんも私のこと知ってくれてる感じ?」
「まさか、あのルリメス……?」
「そうそう、多分そのルリメスで合ってるよー」
ニッコリと笑うルリメスに、眉をひそめたまま動かないデイジー。やがてルリメスの頬が、限界を訴えかけるようにぴくぴくと痙攣し始める。
「あは、はは……」
ルリメスはコテンと首を傾げ、助けを求めるようにレイスを見る。レイスは何とも言えない光景を前に、すでに家に帰りたい気分だった。ただ、そういうわけにもいかない。
「何をやってんだか……」
レイスは深いため息をつくと、壁にかかった時計を指差す。
「デイジー、時間はいいのか」
「そうだった、早くしないと」
デイジーはハッとした表情で頷く。謎の圧力から解放されたルリメスも、安堵の息を吐いている。
「で、その、ルリメスさんに関しては……」
「ああ、手伝いと思ってくれていい。勝手に連れてきたし、もちろん報酬もいらない」
「……そう、それならお願いするわ」
若干の躊躇いが見られたものの、最終的にはそう判断を下したデイジー。当然、ルリメスからも文句は出なかった。
促されるままカウンターの奥へ進んでいく。
「それで、レイ君を雇ってる人はー?」
「デイジーだけど」
「……え?」
ほぼほぼ予想通りの反応をするルリメスに、レイスは思わず吹き出しそうになる。しかし、鋼の意志でそれを堪えた。
もしここで笑ってしまえば、先導するデイジーに後で何をされるか分かったものではない。というわけで、今レイスは表情を動かさないことに全力を注いでいた。
ルリメスは弟子のそんな状態を露知らず、デイジーの鋭い眼光に射抜かれていた。
「私がここの店主ですけど、何か?」
「あ、いや、少し意外だったなーって」
一応敬語は使っているものの、表情はいつものデイジーといった感じだ。ここまでルリメスのペースをかき乱せる人間も少ないので、レイスは心の中で喝采を送る。
いつもルリメスに振り回されているレイスとしては、気分の良い光景だった。
「レイ君、デイジーちゃんってちょっと変わってるね」
「師匠がそれを言うのか」
「ボクは普通だよー」
「ハッハッハ、なるほど、普通とな」
それは面白い冗談だ、とでも言いたげに鼻で笑ってみせるレイス。見るだけで腹が立つような表情をしている。
デイジー相手にこんなことをすれば、拳の一つや二つもらうこと間違いなしだ。実際、手は出してこないものの、ルリメスも半目になってレイスを睨んでいる。
「それで、今日は何するんだ?」
「少し珍しいものが手に入ったから、それの実験よ」
「珍しいもの?」
素材を保管している部屋に入ると、デイジーは棚の前へ。低い背を補うための台を置くと、棚からある素材が入った箱を取り出した。
その光景に少しだけ心が痛んだレイス。心中でデイジーに、いつか大きくなるさと励ましの言葉を送る。五年近く成長がないデイジーにとっては残酷な励ましではあるが。
「っしょ、これよ」
「これはー……クルネかな?」
「正解です」
主に王国の南の熱帯で取れる植物で、干して香辛料として利用したり、薬用、食用としても使われる。使い道が多いクルネは、南ではポピュラーな植物である。
「確かに、王国じゃあんまり手に入らないねー」
うんうんと頷くルリメス。世界各地を巡っている彼女は、もちろんクルネに関する知識を有している。知識量と魔法という点では、ルリメスは世界でも有数の人物だ。
「クルネの使い道は?」
「今回は薬用に使うつもりよ」
「なるほど」
要は、今回の仕事はデイジーの店の新商品の生産のお手伝いというわけだ。
クルネは保温効果と殺菌効果があり、今回はそれを薬用という形で利用する。
「ねえ、ここにある分だけでいいの?」
「はい、一旦はこれだけで」
「なら、すぐ終わらせるねー」
「へ?」
デイジーが言葉の意味を理解する前に、ルリメスは動き出す。
彼女が手をかざした途端、クルネがひとりでに動き出し、その形状を変化させていく。あっという間に細切れになったクルネは、次は緩く回転しながら謎の青い光に包まれる。
「クルネは保温性に優れるけど、温度調節と加熱時間を間違えると独特の臭みが出ちゃうからねー、ボクは魔法で調整する方が得意なんだー」
部屋の中には、宙に浮きながら回転する複数の青い球体。
そのすべてがルリメスの制御下にあり、彼女の魔法と錬金術が組み合わさったものだ。青い光は数秒ほどで消え、中から液状になったクルネが現れる。
少しとろみのある山吹色の液体だ。
「本当なら魔法瓶とかに入れた方がいいんだけどねー、ここには置いてないみたいだねー。レイ君、手持ちにあったりする?」
魔法瓶は品質の保存や保温、保冷に優れた魔道具のことだ。
「残念、現在作製中」
「なら、ボクのでいいかなー」
ルリメスがパチンと指を鳴らすと、虚空に複数の瓶が現れる。宙に浮いていた液体は瓶の中に収まり、やがてゆっくりとテーブルの上へ着地した。
「こんな感じでいいかなー」
ルリメスはニッコリと笑みを浮かべ、デイジーへ訊く。ただ、デイジーにはルリメスの言葉は届いていなかったようで、呆然としていた。
「おーい、デイジー」
レイスが反応のないデイジーの顔の前で手を振る。すると、彼女は突然レイスの腕を掴んだ。
「なによ、これ……!」
「え、何って、錬金術と魔法だけど……というか、師匠の名前聞いても特に反応なかったから、大して驚かないと思ってた」
「ここまでとは誰も思わないわよ……!」
レイスの師匠と聞いて、ある程度の規格外っぷりは予想していた。しかし、想像より遥か上の光景を見せられてしまえば、余裕も崩されるというものだ。
「と言ってもなぁ、師匠は元々錬金術と魔法を組み合わせるスタイルだから、根本的に俺とはやり方が違うぞ」
「苦もなく空間魔法と制御魔法を同時に使う人なんて初めて見たわよ」
ちなみに、空間魔法と制御魔法は共に魔法の中でも最難関と呼ばれる部類の魔法だ。併用できる人間となると、世界でも片手で足りる数しか存在していない。
「弟子が弟子なら、師匠も師匠ね」
それは皮肉の言葉などではなく、デイジーが心の底から思ったことだった。褒め言葉と言っていい。
「おいやめてくれ、師匠と俺を同列にするな。少なくとも俺は師匠より普通だ」
「聞こえてるよー、レイ君」
真顔で否定するレイスを咎めるように、ルリメスから言葉が飛ぶ。デイジーはそんな二人を気にも留めず、机の上に並ぶ魔法瓶を見た。
「自重知らずの師弟ね……」
ボソリと呟いたデイジーの言葉に、師弟は揃って首を傾げる。
そんな二人を見て、デイジーは重いため息をついた。