36 『望まぬ再会』
「いやいやいや、落ち着け。手紙は今届いたばかりだ。師匠が来るまでにはまだ時間があるはず。オーケー、冷静になれ、レイス。お前にできることはまだあるはずだ」
椅子に座り、両手を組む。レイスはその上に顎を乗せ、いつになく真剣な表情で呟いた。その目には如実に焦りが滲んでいる。
「まず……どうする? 手紙が届いていることを考えると、なぜかは分からないけど家の居場所はバレていると考えていいはずだ……」
焦りを抑え、できるだけ冷静な思考を心がける。家の位置がバレているのはかなり痛いが、まだ諦めるには早い。というか、諦められない。
「となると、この場所に留まり続けていると見つかるのは時間の問題。約束もあるし、とりあえずラフィーたちと会うか……」
やっと手に入った安穏な生活だ。そう容易く手放すわけにはいかない。
そのためにも、とりあえずはこの場から離れるのが先決である。
***
客足がまばらな落ち着いた内装の喫茶店でテーブルを囲うのは、レイスとラフィーとシルヴィアの三人。
「緊急会議だ。非常にまずいことになった」
「どうした? 例の王家からの指名依頼の件か?」
「いや、それよりも遥かに重要度は高い」
「そんなこと早々起きないと思うんだが……」
シルヴィアが美味しそうに次々とパフェを口内に放り込む中、レイスは世界の終わりを思わせるような声を出していた。同じテーブルを囲っているというのに、幸せそうなシルヴィアとは真逆の表情である。
レイスとの会話に応じているラフィーは、呆れた顔だ。
「それで、何があったんだ?」
「……俺の師匠が、王都に来る」
そこで一瞬会話が途切れ、シルヴィアがパフェを食べる音だけが響く。
「……それだけか?」
「ああ、それだけだ」
間が空いたあと、ラフィーの口から深いため息が漏れる。レイス自身も、ラフィーの言わんとすることは察していた。普通に考えて、王家の指名依頼の方が重要度は高い案件だ。
「過剰反応と言いたいのは分かる。だけど、俺の師匠だけはまずいんだ。あの人は常識が通じる相手じゃない」
「まあ、レイスの師匠という情報だけで普通の人じゃないっていうのは分かるんだが……そこまで嫌がるものなのか?」
「普通の仲の良い師弟なら感動の再会とかになるんだろうが、生憎と俺はそんな感情は師匠に持てそうにない。むしろ逃げたい。今すぐに」
死んだ魚のような目をしながらそんなことを言われてしまえば、ラフィーとしても強く何かを言うことはできない。
そもそも、この場でルリメスの性格を正確に把握しているのはレイスだけなので、反応に差が出るのは仕方がないことなのだが。
「逃げたいと言っても、どうするんだ? 家の位置はバレてるんだろう?」
「そうなんだよなぁ。そこが問題なんだよ」
レイスは悩ましげな様子でテーブルに突っ伏す。
「師匠が長期間の滞在とかだったら、いつまでも工房を放置しておくわけにもいかないからなぁ」
レイスには工房の管理という使命がある。いくら師匠から逃げたいとはいえ、それを放棄するわけにはいかない。せっかく育てている植物が台無しになってしまう。
となると、だ。今の状況は割と詰みに近い。
「もう諦めて会ったらどうだ? その様子だと、師匠さんの方はレイスに会いたがってるんだろう?」
「まあ、そうだろうけどさ……」
確かに会わなくなってしばらく経つ。手紙の文面を見るに、師匠の方はレイスに会うのを楽しみにしていることも分かった。
「しかし、しかしだ!」
レイスは目を瞑り、拳を握る。
「俺が師匠と暮らしてた頃は、ご飯を用意して、掃除、洗濯もして――」
「うんうん」
「更には師匠が使ったものをすべて片付けて――」
「ふむふむ」
「おまけに死を覚悟するような体験も乗り越えて、ずっと耐えてきたんだ。またあの生活に戻る……なん、て……」
熱く語っていたレイスは、言葉の途中で目を開く。すると、途端に語尾が弱まった。
「なるほどー」
レイスは目の前にいる人物を見て、絶句する。いつから居たのか、いつの間に来たのか、そんなことを考える余裕すらない。
ただ、反射的に身体は席を立ち、迅速に出口へ向かおうとする。それは人間に備わった生存本能と呼ばれるものがなせる技だったのだろう。しかし、肩に置かれた手によって、逃亡が許されることはなかった。
「い、いやぁ……ちょっと急用を思い出しまして」
レイスは無駄だと理解しながらも、震える声で言い訳を口にする。
「まあまあ、久しぶりの再会なんだからゆっくりしていきなよ、レイ君ー」
「……はい」
己の師匠の笑みを見て、レイスは泣きそうな表情で席に戻った。
「いつの間に……」
ラフィーとシルヴィアは、見知らぬ人物の突然の登場に驚いていた。しかも、いつ現れたのか分からなかったので余計にだ。
「レイ君、見ないうちにこんな可愛い女の子と知り合いになってたんだねー! それで、もしかして彼女だったりするの?」
「師匠、初対面でそんなお節介な反応はやめておいた方がいいぞ。それに彼女じゃない、友だちだ」
ピキリと、ルリメスの表情が凍りつく。
「……あはは、それはごめんねー、レイ君。……えいっ!」
ルリメスは一切表情を動かさず、ニコリと笑みを浮かべたまま話す。そして、最後に可愛らしいかけ声と共に、レイスへ拳を突き出した。
そこまで速度はなく、子どもを窘めるような冗談交じりの動きだ。
……しかし、ドスンと鈍い音を響かせて、拳はレイスの腹部に突き刺さった。かけ声の可愛さからは想像できないほどの凶悪な威力を保有している。おそらく、先ほどのレイスの熱弁に対する報復も含まれた一撃だ。
「ぐっぁ……!」
レイスは腹部を押さえてドサリとテーブルに倒れた。時折、苦しげな呻き声が上がる。
「レイ君、行儀悪いよー」
そんなレイスの姿を見て、平然とそう言ってのけるルリメス。
目の前でその光景を見たラフィーとシルヴィアは、苦笑を浮かべるしかない。そして、ラフィーは心の中でレイスに謝罪を繰り返していた。
――すまない、レイス。お前の言っていたことが少し分かった気がする。
「どうも、初めまして。レイ君の師匠をやっているルリメスといいます」
「こ、こちらこそ、初めまして。ラフィーです」
「シルヴィアです」
栗色の長い髪の毛を二つに纏め、上半身のみを覆う薄手の紺色のローブ。下半身は少し長めの赤色のスカートと茶色のロングブーツと、少し派手な格好をしているルリメス。
くるりと丸い碧眼に幼さを残した可愛らしい顔は、話し方も相まって子どものようにしか見えない。
彼女はラフィーとシルヴィアを面白そうな表情をして見ている。
「いやーそれにしても、レイ君は私がいない間に色々やってたみたいだねー。少しだけ噂は耳に届いてたんだー」
「ぐ、別にそこまで何かやってたわけじゃないぞ……」
痛みが引いてきた腹を押さえて、レイスは何とか身体を起こす。威力は抑えられていたので、比較的復活は早い。もしルリメスが本気を出していたら今頃レイスの身体は粉々になっているので、当たり前なのだが。
「それよりも、何しに王都に来たんだ。今まで音沙汰なかったのに」
「あー、それね。ちょっと知り合いに頼みごとされたんだー」
「知り合い?」
「うん、これ」
そう言ってルリメスが取り出したのは、一通の手紙。
それは、レイスにも見覚えがあるものだった。
当たり前だ。レイスもまったく同じものを持っているのだから。
「王家からの手紙……?」