33 『工房作り⑦』
――工房作り三日目。
「おおー、こんな感じになるのか」
「まあ、まだ陣も描いていなければ供給も開始していないので、完成ではないですけどね」
現在レイスの目の前には、銀色の台のようなものがいくつも並んでいた。一見ただの台に見えるが、その素材はミスリル製のものだ。ミスリルは魔力の伝導において最高の性能を誇る素材である。陣に魔力を供給するための媒体としては、これ以上ないほど打ってつけだ。
無事、二日目に話し合ったレイスの案は形になっていた。
昨日話したばかりですぐさま形になったのはニコラの優秀性によるところが大きい。ニコラの腕は確かというデイジーの言葉を思い出し、レイスは確かにその通りだと一つ頷く。
「とりあえず、レイスさんが陣を描いて頂ければ、あとは私の方で何とかしますので」
「了解です」
台の数は全部で五つ。
描ける陣の数は台につき一つなので、自動的に五つのみだ。
陣の種類は数十に渡る。その中から魔道具として売り出したい効果を選ばなければならない。
基本的には誰にでも扱えて、なおかつ利便性が高いものが優先だ。レイスは脳内で有用なものを選り抜く。
「よし、決めた」
選択は早かった。そもそも、レイス自身使う陣の数はそこまで多くない。中には知識としては知っていても、一度も使ったことのない陣もあるくらいだ。
つい先日魔道具へと進化したばかりの鞄の中から、小瓶を取り出す。中に入っているのは、白銀色の絵の具のようなものだ。
ミスリルは魔力の伝導率は高いほかにも、非常に硬度が高い鉱石として知られている。そのため、直接陣を刻み込むのは難しい。その対策としてレイスが取り出したのは、ミスリルを加工した半液体状のものだ。
ミスリルはたとえ形を変えても魔力の伝導率は依然として高い。そのため、この絵の具を使って陣を描けば問題なく魔力が通る。ちなみに、金銭に換算すれば結構な金額になる。必要出費なので仕方がないが、少し懐が寂しくなってきていた。
「懐を潤すためにも頑張りましょうかね」
気合十分。
レイスは魔道具の鞄作りにも使用した筆に絵の具を付ける。描く陣はいつも使っているような描き慣れたものなので失敗の心配は少ない。
とはいえ、これから長く使うことを考えれば、普段よりは丁寧かつ慎重に描かなければならない。
「ふっ、俺は昨日、筆の扱いを覚えたのだ。失敗はせん!」
レイスはフラグのような言葉を高らかに叫び、筆を動かし始める。これでやらかしたらただの馬鹿としか言いようがない。
デイジーの冷たい視線に晒されること間違いなしだ。
しかし、技術面に関しては定評のあるレイス。筆を動かす手に迷いはなく、スラスラと美しい陣を描いていく。何だかんだ手先は器用な男なのだ。
その器用さは師匠の雑用係として酷使された結果身についたものだが。今はそこには目を瞑るとしよう。悲しくなるだけだ。
レイスは時間にして十分ほどで陣を五つ描き終えた。失敗もなく、フラグを無事折ることに成功している。
「うむ、会心の出来だ」
レイスはどこか満足げに呟く。
工房作りにおいて仕事が少ない立場にあるせいか、ちょっとした仕事でも充足感を覚えているのだ。このまま成長すれば、無事立派な社畜になれるだろう。
素質は充分にある。……悲しいことに。
「完成したみたいですね。それじゃあ、あとは私が魔石から回路を引いておきます」
「ほかに俺ができることってありますか?」
「いえ、特にはないです。残っている作業は設置した魔道具に魔力を供給する回路を引くことくらいですから。ただ、回路を引くには少し時間がかかるので、それまではお待ちを」
「なるほど、了解です」
つまり、魔力の供給さえ始まれば工房はほぼ完成と言える。
「なんか……暇だな」
作業も終わりに近づいていたため、今日はデイジーとシルヴィアは来ていない。つまり、ぼっちである。
「邪魔はしないので、作業見てていいですか?」
「ん、大丈夫ですよ。まあ、作業と言っても大したことはしないので」
レイスは魔石に関する実験などは一度もしたことがない。今後のためにも、一度見ておくのも悪くはないという判断だ。
「それじゃあ、お言葉に甘えまして」
ニコラは二日目にレイスたちで魔力を込めた魔石を持ち、歩き始める。レイスはその後を追った。
「ちなみに回路ってどうやって引くんですか?」
「ああ、もう引き始めてますよ」
「……え、ほんとですか」
レイスにしてみれば、魔石を持ってただ歩いているようにしか見えない。本当にこれで回路が引けているのか疑問だ。
「この作業は魔術的要素が多いので、錬金術師の方は見ただけじゃ理解は難しいと思います」
「なるほど」
錬金術に関しての才能はあったレイス。しかし、残念ながら魔法の才能は皆無だった。
故に、ニコラが魔法で回路を引いていることにまったく気付けない。
作業の様子を理解できない以上、ここからはニコラが歩く後ろをただついて行くだけの時間になってしまう。まあそれでも、一人でぼーっとするよりは幾分かマシだが。
「そういえば、ニコラさんは昔はデイジーと冒険者をやってたらしいですね」
手持ち無沙汰になったレイスは、ニコラへ言葉を投げかける。会話する程度の余裕はあるニコラは、それに素直に応じた。
「そんな時期もありましたね。そもそも、私とデイジーちゃんの出会いはそこが始まりですし」
「へー、なんか想像つきませんね」
「今から三年くらい前ですかね。デイジーちゃんはあの性格ですから、誰ともパーティーを組めなくて。そこを私が誘ったって感じです。いやー、一目惚れでしたね」
「ああ、それは想像つきます……」
この場にデイジーがいたら、間違いなく二人とも極刑ものの発言だっただろう。ただ、レイスにはニコラの言った光景がありありと目に浮かんだ。
何せ、今もデイジーの性格は変わっていない。デイジーと仲良くなれるのはよっぽどのお人好しか、同じく変な性格の人間だけだ。
レイスを分類するならば、お人好しと変な性格の中間地点だろう。
ちなみにニコラは振り切れている。どちらにとは言わないが。
「まあそんなわけで、短い間だけでしたけど冒険者をやっていましたね。今となっては懐かしい話です」
「ちなみに冒険者を辞めようと思ったきっかけとかってあるんですか?」
「んー、そうですね。ただ単に、こういった物作りが好きというのもありますし、とある人と出会った影響も大きいですね」
「とある人?」
「ええ。私に職人としての道を示してくれた人です」
どこか嬉しげな表情のニコラ。その『とある人』という人物のことを慕っていることが分かる表情だった。
「誰なんですか?」
気になって、訊いてみる。
「ルリメスというお方で、王国では『英雄』とも呼ばれている人です。それはもう見目麗しくてですね、私の初恋はあの方だったと今でも――」
「…………ちょっと待ってください。今なんて言いましたか?」
どこかで聞いたことのある名前に、レイスは思わず話の腰を折って訊き返す。
「はい? ルリメスという人です」
「…………えぇ」
残念ながら聞き間違いではない。その事実を確認して、レイスの口からはドン引きの声が漏れた。何せ、ニコラの語り方ではまるでルリメスが偉大な人物であるかのようだったのだ。
あの、どうしようもないレイスの師匠であるルリメスが。
思い出されるのは、散々な日々。慈愛の欠片もない師匠による教育とも呼べない修行。
ただ、目の前のニコラにとっては憧れの人っぽい感じなのだ。レイスは思わず頭を抱えたくなる。
「ニコラさん、悪いことは言わないからその人だけは目標にするのをやめたほうがいい。弟子である俺が言っておきます」
「え? ……弟子?」
ニコラはレイスの言葉に戸惑いを見せる。当たり前だろう。急に自分の憧れの人物の弟子だと言われたのだから。
驚きが大きかったのか、ニコラは危うく魔石を落としかけていた。
「そういえば確かに、弟子がいるって言ってたような……」
「ええ、俺がその弟子です。どういった経緯で知り合ったかは分かりませんけど、あの人だけは手本にしちゃダメです。ホントに」
「そ、そこまでなんですか……?」
レイスの必死な様子に若干引き気味のニコラ。ただ、レイスとしては師匠のような人間を更に生み出すまいと命懸けだ。
「と、とりあえず分かりました。というか、ルリメスさんの弟子だったんですね……。道理で並外れた実力を持っているわけです」
「まあ、色々ありまして……。はは、ははは……」
光を失った瞳と乾いた笑みが、暗黒のオーラを作り出す。すべてを呑み込みそうなその闇に、ニコラは苦笑しか返せない。
「でも、私は諦めてませんよ! もう一度、ルリメスさんに会って、そして……えへ、えへへへ……」
ニコラは脳内でピンクな妄想を繰り広げ始める。今の彼女は、淑女にあるまじき表情をしていた。レイスは、そんなニコラに哀れな人を見る目を向ける。
「俺は師匠と恋愛が成立する人間がいるなら見てみたい……多分、命が幾つあっても足りないけど」
修行時代の経験が彼にそう言わしめる。師匠を引き取れるものなら頑張ってくれという感じだ。
「あ、これで作業は完了ですね。魔道具の動作も確認しましたけど、問題ないです」
――と、そうこうしているうちに回路を引き終えた。何気ない会話で、まさかの事実が発覚したわけだが。
「ありがとうございます」
答えるレイスの声音は、どことなく弾んでいた。
ついに夢にまで見た自分だけの工房である。大金を注ぎ込んだ甲斐があったというものだ。
「代金はこれにちょうど入ってます」
金貨の入った皮袋を手渡し、正式に依頼は完了する。これで、ニコラの仕事は終了だ。
「それでは私はこの辺で。何か不備とかあれば気軽にどうぞー」
「分かりました、ありがとうございます!」
工具を回収したニコラを見届け、レイスは心を込めて感謝を述べる。……が、なぜかニコラが出ていく様子がない。
レイスが疑問に思っていると、
「……あの、最後に一ついいですか」
「? 何ですか?」
「お弟子さんなら、今ルリメスさんがどこにいるとかって知ってたりします?」
まさかの質問に、レイスは微妙な表情になる。
そこまでしてあの師匠に会いたいのか、この人は……。
心の内で、いっそ尊敬の念すら抱く。自分から師匠に会いたいと思うなんて、レイスには有り得ないことだ。
「すみませんが、師匠の居場所は俺も知りません。あの人気まぐれなんで、行き先も言わないで俺の前から突然消えましたから」
「そうですか……では、今度こそ失礼します」
ニコラはものすごく残念そうな表情をしたあと、工房を去っていく。こと女性関係になると、分かりやすい反応をする人物である。
「さて、と」
ニコラが去ったことにより、工房内にはレイス一人に。数日前とは違って、ちゃんと形になった工房だ。
「祝、俺だけの工房入手!!」
喜びのあまり、雄叫びを上げる。
以前のようなフル設備とまではいかないが、環境的にはかなり良くなった。錬金術も捗るというものだ。
――というわけで。
「まずは瓶を作るか」
工房での初めての錬金開始である。