30 『工房作り④』
「おはよう、シルヴィア」
「おはようございます、レイスさん」
工房依頼を終えてから一週間。
約束の日を迎えたレイスは、シルヴィアの下を訪ねていた。
シルヴィアはすでに出かける準備は終えていたようで、真っ白の髪とは対照的な黒の衣装で全身を統一している。
「じゃあ、行くか」
「はい!」
向かう先はニコラのところだ。
今日のためにいろいろと準備をして待っていることだろう。
デイジーは先に向かっているので、あとはレイスとシルヴィアの到着を待つのみである。
「そういえば、身体の方は大丈夫?」
「はい、特に何もないですよ」
「それは良かった」
シルヴィアの身体は順調に回復しているという報に、レイスは安心。死にかけたレイスの努力も報われるというものだ。
「安易に手伝いを申し出たのはいいんですけど、私って今日は何をすればいいんですか?」
「んー、どうだろう、着いてから考えるって感じかな」
「なるほど……」
一週間前、ニコラに依頼を頼んだときに工房に配置する道具などは見た。とはいえ、工房作りの工程は基本的に職人であるニコラに一任する形だ。
それに、レイスは知識はあるとはいえ自分の工房を作るのは初めてだ。実際に行動に移さなければ分からない部分もある。
というわけで、手伝いの内容は現場に行ってから決めるという、何とも適当な感じになった。
とはいえ、そんなことは工房作りの知識さえもないシルヴィアには分からないことだ。
……師匠あたりに知られると呆れられそうなものではあるが。
レイスは、嫌な想像を頭から追い出す。
「あー、そうそう。シルヴィア以外にも手伝ってくれる人が一人いるから、できれば仲良くしてあげてほしい」
「誰なんですか?」
「デイジーっていう、俺がよく依頼を受けてる錬金術師なんだけど……年齢は俺とそう変わらないから、変な気は遣わなくていい。ただ、性格にちょっと難ありだからそこは目を瞑ってほしい」
「デイジー……そういえば、姉さんがレイスさんの話をするときに、そんな名前が出てきたような……」
「ラフィーって俺の話するのか」
少し意外、という表情のレイス。
「最近はよく話題に挙がりますよ。まあいろいろすごいですからね、レイスさんは」
「そんなもんか。……まあ、そういうわけだからよろしく頼む」
「分かりました」
シルヴィアは可愛らしく拳を握り、やる気を漲らせる。ただ、レイスはデイジー以外のあともう一人の話をしていなかった。
レイスの目の前で深いデイジー愛を見せた女性。
果たして、あの愛はデイジーのみに向けられるものなのか、はたまた可愛らしい少女全員に向けられるものなのか、レイスに知る由はない。
後者だった場合、毒牙は間違いなくシルヴィアにも向けられるのだが、レイスはあえてその事実は語らなかった。
第一印象は大切だと思うのだ。
レイスからニコラへのせめてもの気遣いである。意味があるのかは微妙なところではあるが。
「さて、ここが工房作りの職人と手伝いしてくれる人がいる場所だけど……」
レイスは多少の嫌な予感を覚えながらも、ニコラの店へ入る。
中には、ソファーに腰掛けるデイジー。
レイスに続いて店に入り、彼女の姿を見たシルヴィアは目を輝かせて、
「レイスさん、誰ですかあの子! 可愛いですね!」
その声音はどう聞いても幼い子どもを目にしたような、愛らしい小動物を見たときのようなもので。
「あー……言うのが遅れてごめん、あいつがデイジー。あと、シルヴィアより歳上」
「へ?」
レイスの言葉に動揺するシルヴィア。
どうやらシルヴィアの発言が丸聞こえだったらしい本人は、静かに笑みを浮かべてソファーから立ち上がった。
デイジーは苦笑いを浮かべるレイスの目の前まで来ると、隣に立つシルヴィアの顔を見据える。
「初めまして、私はデイジー」
「わ、私はシルヴィアです。一応、冒険者をやってます」
十七歳のデイジーと、十五歳のシルヴィア。
悲しいかな、年齢はデイジーのほうが上だが、見た目ではシルヴィアの方が完全に歳上という現実がある。
デイジーは申し訳なさそうにしているシルヴィアの身体――主に胸部を見て、悔しそうな表情をする。
実に分かりやすいその行動に、レイスは深い悲しみを覚えざるを得なかった。
シルヴィアは決して大きいというわけではない。むしろ、年齢相応といっていいだろう。
ただ、デイジーと比較するとなると、結果は一目瞭然となってしまうのは確かだった。
「……まあ、いいわ。今日はよろしく」
「あ、は、はい」
特にシルヴィアに対して怒るわけでもなく、静かにソファーに座り直したデイジー。レイスは思わず内心でホッとする。歳下、それも同性だから許されたのだろう。
シルヴィアの発言がもしレイスだったら、とても素敵な笑顔をしたデイジーを見ることになっていたはずだ。もちろん、そんなことはレイスは望んではいないが。
とりあえずレイスたちもソファーに座ろうか、と思い立ったところで、階段を降りてきた人間が一人。
姿が見えなかったニコラだ。
彼女は階段を降りきったところで静止し、レイスたちの方をじっと見つめている。
「レイスさん、あの人は――」
思わず、シルヴィアはレイスに声をかけるが。
「誰、この子……!!」
突然、猛スピードで接近し、シルヴィアの肩を掴んだニコラ。シルヴィアの言葉は途切れ、代わりに困惑の色が表情に現れる。
動揺するシルヴィアを置いて、ニコラの息は徐々に荒れ始め、頬は上気する。シルヴィアを見つめるニコラの碧眼は、獲物を狙う猛禽類のそれだ。
「私はニコラ、よろしくね!」
「私はシルヴィアです……よ、よろしくお願いします」
もはや不審者にしか見えないニコラの姿に、シルヴィアは目に見えて引いていた。慌ててニコラの前を離れると、レイスの後ろに隠れる。
「か、可愛い……天使よ……抱き付きたい……」
初対面の相手にそんなことは流石にできない。
ニコラのダダ漏れの欲望は、残念ながら叶いそうもなかった。
「と、とりあえず、準備は大丈夫ですか、ニコラさん」
「はい、大丈夫ですよ。用意したものは魔道具の鞄に詰めてます」
苦笑を浮かべながらも問いかけるレイスに、ニコラは肩から提げている鞄を見せて答える。
「魔道具の鞄、ですか。そりゃまた随分と珍しいものを持ってますね」
魔道具の鞄は、空間系の魔法が施されており、見た目以上に物が入る優れものだ。ただ、高度な魔法が施されている分、その絶対数は少ない。
レイスでさえ、魔道具の鞄は持っていない。師匠が持っているのを見たことはあるが。
「知り合いの魔導師に協力してもらいまして、何とか作ることができた感じですけどね」
「へー、協力ですか」
レイスは思わず自分の記憶を掘り起こすが、残念ながら他人と協力して何かを作った思い出は出てこなかった。
ただ、今なら凄腕の魔導師の知り合いはいる。それも、自ら手伝うと言ってくれている。
「…………」
「……?」
無言でレイスに見つめられたシルヴィアは、首を傾げてきょとんとした表情。
――思いのほか、凄いことになるかもしれない。
予感を抱きつつ、レイスは工房作りに思いを馳せた。感覚としては、秘密基地を作るような気分だ。
「もう向かいますか?」
「そうですね、私はいつでも大丈夫ですよ」
手持ち無沙汰といった様子のデイジーも、特に準備は必要ない。
「それじゃあ、行きますか」
……余談ではあるが、工房に行く道中、シルヴィアは決してニコラの隣に並ぶことはなかった。