26 『工房作り①』
――工房。
それは錬金術師にとっては、とても大きな意味を持つ場所だ。他人に迷惑をかけず、好きに実験をできるのだから。
それはレイスにとっても例外ではなく、森に住んでいた頃は地下の工房に籠りきりというのも珍しくなかった。
さすがに食事や風呂など、生活に必要なことは工房の外で行っていたが、それ以外の時間は概ね工房に居たと言っても過言ではない。
レイスは、王都に来た頃は金銭面での問題や、生活に慣れていなかったので工房のことなど考えもしなかった。
しかし、ある程度の余裕ができた今――
「工房を作ろうと思う」
「はぁ」
レイスの突然の宣言に気の抜けた声で返事をするのは、デイジー。急に店に来て言われたことがそれなのだから、対応が雑になるのも仕方あるまい。
しかも、今日は手伝いをする日でもないのだ。閉店ギリギリの時間帯で他の客がいないからいいものの、普通なら即追い返しているところである。
「で、急にどうしたのかしら」
「いや、さ。まとまったお金が手に入ったから、工房を作ろうかなと」
「それで、どうして私のところに来るのよ」
「俺、それ専用の技術者の居場所とか知らないから……」
当たり前だが、基本的に工房は錬金術師一人では作れない。レイスの師匠は一人で作ったが、例外中の例外だ。
なので、建築関係の技術者、もしくは魔道具作製の技術者などを頼るのが普通である。ただ、生憎とレイスにはそんな知り合いは存在しない。
というか、知り合い自体そこまで多くはないのだ。それなのになぜかS級冒険者や大貴族という大物と知り合いなのだが。
「ちなみにデイジーは工房をお持ちで?」
「いえ、私は持ってないわ。今のところ、そこまで複雑なものを作る気はないし。……でも、そうね。工房作りができそうな人なら心当たりがあるわ」
「お!」
持つべきものは友だ。などとレイスは内心で喜ぶ。
ただ、そう上手く話が運ぶわけもなく。
「ただし」
表情を輝かせるレイスに言い聞かせるように、デイジーは指を一本立てる。
「……ただし?」
嫌な予感を覚えながらも、レイスは訊き返した。
「私も連れて行って」
「……工房作りに?」
「そうよ。将来作ることもあるかもしれないし、単純に興味もあるから」
「うーん……」
デイジーの申し出に渋るレイス。
煮え切らない様子のレイスを見て、デイジーは不機嫌そうに目を細める。
「何よ、私がいるのが嫌なのかしら」
「いや、そういうわけじゃなくてだな。デイジー以外にもいるんだよ、工房作りの手伝いをしたいって人が一人」
「他に人がいるから何だっていうのかしら」
「……いや、お前人付き合い苦手そうじゃん?」
レイスは己の発言の直後、空気が凍りつくのを感じた。
デイジーは、笑みを浮かべたままぴくりとも表情を変えない。
――しまった、失言だった。
レイスがそう悟ったときにはもうすでに手遅れで。
「絶対、ついていくから」
デイジーは語尾を強めて、威嚇するかのように言葉を発する。
「うっす」
レイスは冷や汗を流しながら、小さく、そう答えるしかなかった。
「よし、決まりね。それじゃあ今から行きましょう」
「え、店はいいのか?」
「いいのよ。今日は元々、昼までしか営業しないし」
「あ、そう」
デイジーは、レイスの目の前で素早く店を閉める。
そのままくるりと身体を反転させると、歩き始めた。
「それで、私以外に手伝いをする人っていうのは?」
「今日はいないけど、ラフィーの妹のシルヴィアって子。知ってる?」
「知ってるも何も……あなた、S級冒険者に手伝わせようとしてるの?」
「いや、俺から言い出したわけじゃないんだけどな」
レイスが工房を作ると言い出したとき、シルヴィアからどうしてもと頼み込んできたのだ。手伝ってくれるのはレイスとしても助かるので、断る理由はなかった。
シルヴィアは魔力晶病が治ったとはいえ、まだ戦闘などの激しい運動は禁止なのだ。レイスの手伝いは、運動が解禁されるまでの暇つぶしも兼ねていると言える。
「そういや、工房を作れる人ってどんな人なんだ?」
「一言で言うなら――変わった人、かしら」
「変わった人ねぇ」
変わっていると言えば、デイジーもかなり変わっている部類の人間に入るのでは。
と、内心考えたレイスだが、口には出さなかった。同じ轍は踏まない男なのだ。
出会ったときからすでに何度も地雷を踏み抜いていることは棚に置いておくことにする。
「着いたわ、ここよ」
「ほう」
何の変哲もない二階建ての建物が、レイスの目の前にはあった。立ち止まって建物を見上げるレイスを置いて、デイジーはそそくさと中に入って行く。
慌ててレイスも後を追うと、
「デイジーちゃん! 久しぶりぃ!」
「久しぶり」
――デイジーに抱きつき、彼女の頬に自分の頬を思い切り押し付けている少女が一人。
レイスはその衝撃的な光景に驚き、思わず硬直してしまう。
「あぁん、相変わらずもちもちのお肌、幼い瞳、身体! お人形さんみたい! はぁっはぁっ!」
「やめなさい、今すぐはなしなさい! このっ、近いのよっ……!」
「あぁ、相変わらず冷たいのね……でも、それがいい!!」
……これはあれですか。百合というやつですか。
というレイスの内心の問いかけはデイジーに届かず。いつまでも入口で突っ立っているわけにもいかないので、恐る恐るデイジーの隣に立つ。
「いい加減に……離れなさい!」
「ぶへっ」
デイジーに突き飛ばされた少女は唇を尖らせると、悲しそうな表情をする。
「あぁん、久しぶりの再会なのにぃ……」
「あなたはいつ会っても対応が変わらないわよ……!」
「それは私のデイジーちゃんへのいつまで経っても変わらない愛情の証なの……」
「必要ないから切り捨ててくれるかしら」
少女はしくしく泣く素振りを見せたあと、ふとレイスの方を見た。
「それで、君は誰?」
「俺はレイスだけど……」
「レイス? あぁ、そういえばなんかそんな錬金術師が噂になってたような……。私はニコラよ」
「よ、よろしく」
ニコラが急に普通の様子になり、レイスは戸惑いを隠せない。
「それで、今日はどういったご要件?」
「あの、工房を作ろうと思って、するとデイジーがここを紹介してくれたからさ……」
「なるほどね。えへへ、さすが私のデイジー!」
レイスが生きてきた中で師匠の次くらいにキャラが濃い人物だ。デイジーとどういう繋がりで知り合いなのか、まったく想像がつかなかった。
「んー、とりあえず座ってちょうだい。そういうことなら、話を聞くわ」