17 『ビビりは治らない』
「大丈夫ですか!」
近づいてみると、余計に出血の酷さが分かった。と言っても、直接命に関わるような深い傷はなく、全身に多数の傷がつけられているといった感じだ。
裂傷がほとんどだが、噛みつかれたような痕もある。おそらく、魔物による仕業だろう。
「ラフィー、支えてあげてくれ」
「ああ、分かった!」
「『解析』」
傷の状態を見るべく錬金術を発動。見たところ、傷口に毒などは含まれていない。傷の治癒と増血のみの処置で大丈夫だ。
レイスは鞄から二種類のポーションを取り出し、冒険者に飲ませた。すると、たちまち傷が塞がる。苦しそうだった冒険者の表情も、柔らかくなった。
「大丈夫ですか?」
冒険者は立ち上がり、腕を回したりして身体に異常がないか確かめる。
「あ、ああ……助かったよ」
冒険者はホッとしたようにそう言ったあと、緊張から解放されたように大きく息を吐いた。
「差し支えなければお聞きしたいんですけど、どうしてあんな場所で倒れていたんですか?」
「この先の森で魔物に襲われたんだ……」
何となく想像はついていたとはいえ、やはり言葉にされると気分が重くなる。どうやら、レイスの家が存在する森には、まだ魔物がいるらしい。
「どんな魔物でしたか?」
「あれは多分、ブラッドウルフだ」
「確か……Cランクの魔物だったか」
顎に手を当て、ボソリとラフィーが呟く。Cランクというと、新人冒険者には少々厳しい相手だ。無論、S級冒険者のラフィーの敵ではないだろうが。
「他には何かいましたか?」
「いや、逃げるのに必死で何も見てなかった……」
レイスも魔物と遭遇しようものなら、逃走のみに全力を注ぐ。周りの状況なんて確認する余裕なんてないだろう。
「とりあえず俺たちはもう行きますけど、一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、助けてくれてありがとう」
「そうですか。お礼とかは大丈夫なので、俺たちはここで失礼しますね。お気をつけて」
冒険者を見送り、レイスたちは再び馬車に乗る。
「とりあえず森にブラッドウルフがいるのは確定か。まあ、魔物除けのポーションが効きやすい相手な分、まだマシだな」
嗅覚が鋭い魔物ほど、魔物除けのポーションの効き目は強くなる。狼系の魔物は正にその代表的な例だ。
レイス単独でも比較的対処がしやすい相手と言える。
「あの冒険者の傷を見る限り、数はいそうだけどな。私なら大丈夫だが、レイスは危険だぞ」
「ま、そうだろうな。……頼りにしてるぜ、ラフィー!」
「あ、ああ……」
女子に頼る男子という何とも言えない構図。微妙な表情のラフィーは、曖昧に頷くことしかできない。
とはいえ、レイスは師匠とは違って戦闘力が皆無なのだ。冗談抜きで、魔物に囲まれればまず間違いなく死ぬ。逃げるためのスキルは昔から磨かれているが。
「見えた。俺が住んでた森だ」
レイスの言葉とともに、動き続けていた馬車が止まる。パッと見た感じでは、深い森といった印象しか受けない。
「ここからは歩きで行こう。道なら俺が分かる」
「分かった」
魔物がいないなら、馬車で広い場所を通って行ってもいいのだが。襲われる危険性がある以上、そういうわけにもいかない。
レイスを先頭に、二人は森の中へ足を踏み入れる。
ラフィーは常に周囲に目を配り、魔物がいないかを確認。S級冒険者の名は伊達ではなく、いつでも戦闘に入れる準備はできていた。
レイスはそんなラフィーを見て安心感を覚えながらも、決して油断しないように前をしっかりと見る。今は魔物らしき気配はないが、いつ襲われてもおかしくないのだ。
「……ぜんぜん見ないな」
レイスは忙しなく視線を動かしながら、ボソリと呟く。見ないな、とは魔物のことだ。いることが分かっている以上、遭遇を覚悟していたのだが、まったく出会わない。
すでに家までの道のりの半分は過ぎている。そろそろ出会ってもおかしくはない頃だ。
レイスが警戒を強めながら歩いていると、
「冷たっ……」
ポトリと、頬に水滴が落ちる。レイスは雨でも降ってきたかと考えながらも、頬に手を触れさせた。
すると、やたらと粘性のある液体が手に付着する。
「……ん?」
「上だ!」
レイスが疑問を感じるのと、ラフィーが叫んだのは同時だった。レイスは何も分からないままラフィーに抱えられ、横に転がる。
「うおっ!?」
レイスは乾いた土の上を転がりながら、視界の端に見たくはなかった生物を捉えた。その生物は木の上で牙を剥き、瞳を爛々と赤く光らせている。
「ブラッドウルフだ。――囲まれた」
ラフィーの冷静な声で、レイスは状況を完全に把握した。
軽く二十匹以上いるブラッドウルフが、木の上で待ち伏せをしていたのだ。しかも、全方位ぐるりと囲むように。
これでは、逃げる隙がない。
レイスが立ち上がる間に、ブラッドウルフは次々と木の上から地面へ着地していく。
「ハハハ、これが絶体絶命ってやつか……」
「ん、案外落ち着いているな、レイス。結構焦る状況だと思うんだが」
「いや、こういう状況に慣れてるだけで内心超ビビってるよ。そりゃもう今すぐ逃げ出したいくらい、ハイ」
レイスはハイライトの消えた瞳で受け答えをする。自分の命を狙っている生物に囲まれているのだ。ザ・一般人のレイスの心臓には悪すぎる状況である。
「逃げ出したいか……分かった、じゃあそうするとしよう」
ラフィーがそう言ったと同時に、レイスの目の前で血飛沫が舞った。レイスへと飛びかかってきたブラッドウルフを、ラフィーが切り伏せたのだ。
「ここは私が受け持つ。レイスはここから離れて、隠れていてくれ。さすがの私でも、この数を相手にレイスを完璧に守りきれるかは分からないからな」
「……一人で本当に大丈夫か?」
どう見ても、数では圧倒的に不利だ。流石のラフィーといえど、無傷とはいかないのではないだろうか。
そう心配するレイスだったが、すぐにそれは杞憂だと悟る。
「――私なら大丈夫だ」
三匹のブラッドウルフが、一瞬にしてラフィーの剣によって絶命する。レイスの目には映らないほどの速さだ。
「あ、はい」
そんな光景を見せられてしまえば、レイスとしても口を挟むことはできない。
「今だ、走れ!」
「了解ッ!」
レイスはラフィーに指示されるまま、綻びが生まれたブラッドウルフの包囲網を潜り抜ける。
獅子奮迅の活躍を見せるラフィーなら、宣言通りブラッドウルフを壊滅させることができるだろう。
「俺はそれまで適当なとこに隠れてっと……」
レイスは若干の情けなさを感じながら、適当な隠れ場所を探す。あまり遠くに行き過ぎても合流が難しくなるので、近すぎず遠すぎない場所でうろちょろしていると。
「あ」
まったくの偶然。……けれど、最悪の遭遇だった。
草むらをかき分けた向こうにいたのは、血で染まったかのような毛並みをしている狼――ブラッドウルフが三匹。
「ちょっとこれは聞いてないですねぇ……!」
引きつった笑みを浮かべたレイスは、すぐさま身体を反転。命を守るために、走り出した。