118 『唐突』
心地よい風を全身に受けながら、レイスは穏やかな表情で悠々と雲が泳ぐ空を見上げる。
憂いもなく見上げる青空がここまで美しいとは、数時間前の自分に教えてあげたいくらいだ。
微笑を浮かべ、もうしばらく風に身を任せようとしたところ。
「あの、浸ってるところ悪いんですが、手伝ってもらえますかー」
「……はぁ」
ルリメスの平坦な声により現実に引き戻され、レイスは視線を空から地面へと移した。
見ていて心落ち着く空とは違い、地面は酷い凸凹がこれでもかというほど目立つ有様である。
ルリメスの魔法による被害ではあるが、ゴーレムを止めるために協力してもらった手前、手伝わないというのも気が引けた。
普段の態度を考えると手伝わなくても良心は痛みそうにはないのだが、まあ学院にいるもののついでだ。
腰を落として、一つ一つ穴を塞いでいく作業に入る。
「結局、昨日の件はどうなったのー?」
「ゴーレムの魔石に問題があったらしいから、俺には特に責任はないってさ。本来、あの魔石じゃゴーレムが作り上がるわけがなかったらしいし」
「何それ、レイ君そんな魔石でゴーレム作れたの……」
「俺に言われても知らん。できたものはできたんだから」
作業をしているときも特に作りづらいと思わなかったし、ゴーレムの暴走がなければ魔石の不備になんて気づかなかっただろう。
「ボクはもうしばらくはレイ君のゴーレムは見たくないよ。面倒くさい」
「それは同感だ」
レイスとてあと数ヶ月は何かない限りゴーレムを作ることはないだろう。
護衛として作ることができればこれから役立つかもしれないが、それでもいざ必要になったときだ。
「あと、ここで教師を続けないかってさ」
「へー、返事はどうしたの?」
「断ったよ。俺が教師に向いてると思うか?」
誰か一人に付きっきりで教えることならできるかもしれないが、生徒一人一人のことを考えて向き合っていくのはレイスには到底できそうもない。
それに、忙しかったのであまり時間が取れていなかったが、ローティアに錬金術を教える約束もあるのだ。
すでに弟子がいる身で、別のことに手を焼いている暇はない。
「まあレイ君、友達少ないしね。錬金術以外であんまり生徒の相談とか乗ってあげられなさそう」
「なんだ喧嘩売ってるのか? 乗るぞ?」
ルリメスが軽い調子で心臓にナイフを突き刺しに来たので、レイスは防衛本能からか咄嗟に反撃の準備をした。
ぼっち生活が長かった人間にその言葉は効くのだ。
「いいんだよ、今の俺にはラフィーたちがいるから」
「ほんとに王都で良い人たちに巡り会えてよかったねー」
せっせと穴を埋めながらいつもの調子で雑談をする師弟。
ルリメスはふと作業の手を止めて、ぼーっと空を見上げた。
「どうしたんだ?」
「……んー、いや、そろそろ私も行こうかなって」
「どこに?」
具体的な場所がないので、また酒場にでも行くとでも言い出すのかとレイスは警戒を強めた。
ルリメスならば作業を放り出してレイス一人に任せて行ってしまうこともありうる。
しかし、ルリメスにそういった悪巧みをしている様子はなかった。
迷いなく、遠くの空を指差してみせる。
「王都じゃないとこ」
「また急な話だな」
つまり、王都から出ていくということだ。
元々、ルリメスが王都に立ち寄ったのも王家からの依頼と弟子であるレイスに会うためだったので、とっくの昔に目的は達成されている。
とはいえ、ずっと王都に留まっていたので、急な話に驚くのは無理もなかった。
「いつものことだよ」
「そりゃそうだけども……行先は決めてるのか?」
「いや、出ていくのも今決めたから」
「無鉄砲だな」
横目で思わずルリメスを見る。
「それもいつものこと」
そう言ってにししと笑うルリメス。
レイスにはルリメスが何を考えているのかよく分からないが、大抵は何も考えていないだけなのだ。
気の赴くままに適当に生きている人物である。今回の思いつきもそんなものだろう。
「……まあ、そうか」
以前、レイスを残して姿を消したときも、本当に唐突のことだったのだ。今回は事前に宣言しているだけマシなのかもしれない。
まあ、こればっかりはルリメスが決めることだ。レイスがとやかく言うことではない。
「なになに、寂しくなっちゃったー?」
ルリメスはニヤニヤと口端を持ち上げて、弟子に詰め寄った。
しかし、レイスは鬱陶しそうに眉をひそめ、シッシッと雑に手を振る。
「絶対にないから安心しろ」
「そんなに断言されたら泣くよ、ボク」
欠片も迷う素振りのない物言いに、ルリメスは白い目でレイスを見る。
やがて大きく息を吐いたルリメス。
仕方ないな、というような大人びた表情になると、レイスにニコリと笑いかけた。
「まあこうやってちっちゃかった弟子の成長も見れたわけですし、そろそろまた旅に出ようと思うよ」
「…………まあ、送別会くらいならやってやるよ」
ぶっきらぼうにそう言い放ったレイスは、ルリメスに顔を向けずに黙々と穴を埋める。
弟子の言葉にルリメスは破顔し、顔を背けるレイスの頭を強引に撫でた。
「このツンデレめー!」
「やめろっ、頭を撫でるなっ! 俺に変な属性をつけるんじゃない!」
しばらくそうして攻防が続いたあと、満足そうなルリメスとどっと疲れた様子のレイスの姿があった。
別にツンデレでもなんでもないが、たまには師匠に優しくてもいいと思ったのだ。
「あ、レイスさん」
師弟でそんな珍しいやり取りを交わしていると、背後からここ数ヶ月で聞き慣れた声が届いた。
振り返ると、リーシャが凹凸を避けながらもこちらに歩み寄ってくる。
「どうしたんだ?」
「どうしたんだって……それを訊きたいのは私の方なんですが……」
凸凹になった周囲の地面に視線を向け、呆れたようにそう言う。
何も知らない人間がこの光景を見れば、何があったのか疑問に思うのも当然の反応だ。
「暴走してたゴーレム止めるために頑張ってたら魔法で吹き飛んだ」
「えぇ……」
決して間違ったことは口にしていないのだが、一言に詰められた内容としては中々衝撃が大きい。
レイスは苦笑しながらも、地面を指さす。
「それで今、直してるとこ」
「これを直すの、結構大変じゃないですか……」
「その通りだけど……まあ最後の仕事だし、頑張るさ」
「最後?」
驚いたように言葉を繰り返すリーシャ。
「ん、まあな。元々テストまでの契約だったし、教師はこれで引退だ」
「そうだったんですか……」
優秀な錬金術の教師がいなくなるのは、一生徒であるリーシャとしては残念に感じてしまう。
「セスにありがとうって伝えといてくれ。教師も結構楽しかったし、報酬的にも助かった」
「分かりました、兄に伝えておきます」
言い終えたあと、リーシャの視線はレイスのすぐ側にいるルリメスへ向かう。
「そちらの方は……」
「俺の師匠。ちなみに地面を直接こんな状態にしたのは師匠で、俺じゃない」
「どうも、レイ君の師匠のルリメスだよー。あ、でもわざとじゃないから」
「ルリメス……って、え!?」
レイスの師匠がルリメスなんて一切知らなかったリーシャの驚きの声が、その場に響き渡った。
ルリメスは言い訳のように弁解をしているが、リーシャは地面の状態なんてどうでもよくなるくらいには驚いている。
王国の魔導師なら知らない人間はいないであろう名前なので、当然の反応だろう。
「あのルリメスさんですか!?」
「うん、ほかにもルリメスさんはいるかもしれないけど、多分そのルリメスさんで合ってると思うよー」
リーシャは興奮からか、足元の凸凹に足を取られそうになりながらもルリメスに詰め寄る。完全に周りが見えていない。
ただ、ルリメスもそんな反応をされるのにも慣れてきたのか、苦笑しながらもリーシャが転ばないように気を配っていた。
シルヴィアという前例もあるため、以前のように面食らったりはしない。
レイスにしてみれば『堕落英雄』という名前が付けられる人物にそこまで目を輝かせて憧れられるものなのかという疑問はあるが。
ルリメスを質問攻めするリーシャを見て、ひっそりと苦笑した。