115 『攻防』
息を潜め、反応が消えたところまで急ぐ。
相変わらず警備の人間は色々な場所をうろついているが、幸いにもゴーレムがいた場所にはいないようだ。
身を低くして、視線を巡らせる。
すると、闇の中で横たわる一つの影が見えた。
「……あれか」
あれから姿を変えたのか、覚えのある狼の形は見間違えようもない。レイスはピクリとも動かないゴーレムをじっと観察する。外傷は特になく、予想通り恐らくは魔力切れを起こしている。
確保するには絶好のチャンスだ。
だが、念には念を入れる。
「師匠、ゴーレムが逃げられないようここらを魔法で覆えないか?」
「まあ、突破されちゃうかもしれないけどねー」
「ないよりマシだ」
ルリメスは頷き、ゴーレムが倒れているうちに周囲を土の壁で覆う。警備の人間が来れば一発でバレるが、この際構わない。ここでゴーレムを止める覚悟だ。
レイスはラフィーたちと目を合わせ、ゴーレムに近づく。そして、手を伸ばせば届く距離までくる。あとはこの身体に触れ、魔法で持ち上げて回収するのみだ。
レイスたちが見守る中で、ルリメスの手がゆっくりとゴーレムへ近づく。
そして、その指先が触れる直前。
――まるで察知していたかのように、ゴーレムの身体が勢いよく跳ねる。
俊敏な動作で後ろへ飛び、臨戦態勢を整えるゴーレム。やはりと言うべきか、そう簡単には終わらせてもらえないらしい。
ただ、こうなると一つの疑問が浮かぶ。
なぜ、急に魔力が感じ取れなくなったかだ。この場所に来る直前までは、間違いなく魔力の反応がなかった。これはルリメスたちに逐一確認してもらっていたので間違いない。
「師匠、今は魔力は感じ取れるのか?」
「うん、今は感じられるよー」
「……妥当なのは、動いていないときは魔力を消費しないとかか?」
だとするのなら、もしかしたら――
「ラフィー、もう一度剣で攻撃してみてくれ」
「だが……」
「いや、攻撃は当てても当てなくてもどっちでもいい。確認したいことがあるんだ」
「そういうことなら任せておけ」
ラフィーは改めて剣を構える。
ゴーレムは周囲を囲む壁を警戒しているのか、先ほどまでのように突然走り出そうとはしない。
仕掛けるのなら今のうちだ。
「っ!」
ラフィーは息を鋭く吐くと、最初の遭遇のときを思わせる踏み込みを見せる。一気に肉薄した勢いそのままに、横なぎに剣を振るう。しかし、これもまたぎりぎりのところで回避され、ゴーレムは素早く後退。ラフィーは回避されても気にすることなく、レイスの言う通り攻撃を仕掛け続ける。
右に左に、激しく動き回るラフィーとゴーレム。
レイスの目には捉えられないほど激しい攻防だ。もっと昔からこのレベルのゴーレムを作れたなら、レイスが身の危険を感じる事態は遥かに少なかっただろう。
金属の足が土を蹴る音と固い靴底が土を蹴る音が混ざり合う。そのあとに空気を切る音が何度も耳朶を打ち、それでも攻撃は止まらない。
少しすると、永遠に続くかと思われたその攻防に変化が訪れた。
土を蹴る音と剣が空を切る音だけが存在していた空間に、甲高い金属音が響いたのだ。
その瞬間は、レイスの目でも捉えることができた。
ラフィーが振るう剣の切っ先が、わずかにゴーレムの身体の側面に届いたのだ。かすかな切り傷を身体に残したゴーレムは、警戒するように大きく後退する。
「当たった……」
本人もまさか掠っただけとはいえ当たるとは思っていなかったのか、驚いたように自身の剣を見つめている。ただ、レイスはその時点で自分の予想が的中していることを半ば確信していた。
不思議に思っていたのだ。
なぜあれだけの機動性を持ちながら、人に化けるなんて面倒な真似をしているのか。もちろん、人間を騙すという意味もあっただろう。しかし、一度看破された時点で狼の姿で全力で逃げてもいいはずなのだ。その方がゴーレムにとってはよっぽど安全だろう。
しかし、現実は魔力の反応が消えるという謎の現象が起きた。
自由に魔力の消費を操れるのかは分からないが、確かなのはゴーレムの魔力が足りていないということだ。その証拠に、ずっと当たる様子もなかったラフィーの攻撃が当たった。わずかだが、動きが鈍くなり始めているのだろう。
いつ魔力切れを起こすのかは分からないが、このまま攻撃を加え続ければその瞬間が訪れることは間違いない。
――いける。
剣も魔法も効かず、最初はどう止めるか頭を悩ませたが、ゴーレムである以上魔力がないと動けないという基本的なことは変わらないのだ。その異常な性能の分だけ、消費する魔力は多い。
それに、生徒たちのゴーレムから魔力を奪ったときのように、近くにそう都合よく魔力が込められた魔石は存在しない。現状からの魔力の補給はほぼ不可能と見ていいだろう。
「ラフィー、もう少しだけあのゴーレムを動かし続けられるか。可能なら破壊してくれていい」
ラフィーには悪いが、もう少しだけ頑張ってもらわなければならない。だが、ラフィーはレイスを見ておらず、ずっとゴーレムの方を注視していた。
つられてレイスもゴーレムに目を向ける。すると、そこにいたのは狼の姿をしたゴーレムではなかった。そこに立っていたのは、甲冑のようなものを身につけ、両手に銀の剣を持った人型のゴーレムだ。
レイスが実験のときに作った形とは大きく違う。まず甲冑なんて身につけていなかったし、剣も一本だけだ。姿だけを見れば、騎士に見えなくもない。
ゴーレムは静かに剣の切っ先をラフィーへと向ける。
これまでずっと回避するばかりで交戦の意志を見せなかったことを思うと、大きな変化だ。
それでも、レイスから見てもゴーレムに戦意はあっても殺意はない。唯一安心できる点といえばそこだけだろうか。
これまでのゴーレムの性能を見るに、戦闘形態のようなこの姿に嫌な予感しか覚えない。魔力切れに期待はしているが、今すぐに訪れるようなものではないだろう。
それまで、あのゴーレムを逃がさずにいられるだろうか。
「……いくゾ」
「え、お前喋れるの!?」
レイスが警戒を強めてゴーレムを見ていると、歪な機械音で言葉を発する。知性に近いものはあるとは思っていたが、まさか言葉を話すとは思っていなかったレイスは驚愕。その瞬間、今度はゴーレムが強く地面を踏み込み距離を詰めた。
「……ッ!」
振り下ろされた一本の剣をラフィーは超人的な反射で剣の腹で受け止める。残ったもう一本の剣が横から迫ってくるのを尻目に、受け止めた剣を滑らせ、その勢いを利用して剣が迫ってくる方向に合わせて回避。リーチの外側に逃れることに成功する。
「強いな……というか、喋る知性があるなら大人しく止まってくれないものか」
ラフィーはさして期待もせず、独り言のように呟く。対してゴーレムはガシャンと重く甲冑を鳴らし、剣を構えた。
「ムダ、だ」
直前まではもしかしたら魔力切れを待つまでもなく破壊までもっていけるかもしれないと考えていた部分があったが、今の攻防を見る限りラフィーだけでは厳しいだろう。
「師匠、シルヴィア、ローティア、ラフィーの邪魔にならないように魔法で援護してやってくれ」
三人はレイスの言葉に頷き、集中してゴーレムの姿を見る。銀一色で染められたあの身体に果たして魔法が効くのかは分からないが、多少身動きを妨害できるのならそれで十分だ。
再びラフィーとゴーレムが剣を交える中、ゴーレムの足元から蔦が伸びる。ただ、ゴーレムの反応は素早く、ラフィーと交戦中であっても一瞬にして蔦を切り落としてみせた。
ゴーレムは防戦になるどころか、変わらずラフィーを攻める。
レイスは魔法が飛び交い、剣戟の音が鳴り響く目の前の光景を見守る。戦闘能力皆無のレイスにできることは、まったくと言っていいほど存在しない。あの場に介入できる能力がレイスにあったのなら、試してみたいことはあったのだが。
あの戦闘にレイスが割って入っていったところで、斬り殺されはしないだろうが気絶でもさせられるのがオチだろう。何よりラフィーたちの邪魔になる……のだが。
レイスの想像よりも、ずっとゴーレムのタフさが目立つ。一度は動きが鈍くなったというのに、人型になってから未だに攻撃が当たる様子がない。本当に魔力切れが近いのか疑問に思える光景だ。
このままずっと戦いが続くのではないかと思わされる。
「……やるだけやってみるか」
レイスは立ち位置を変え、ラフィーたちの方に近づく。ラフィーたちも突然動き出したレイスに気づいたのか、一度戦闘の手を止めた。
「どうしたんだ、レイス?」
「いや、このままじゃきりがないように思えたからさ。少し試したいことがあって。あのゴーレムに近づきたい」
「レイ君だと厳しくない……?」
どう考えてもレイスの身体能力じゃ近づくことさえ無理がある。ルリメスは自殺願望がある人間でも見るような目で己の弟子を見る。
「そんなの俺が一番分かってる。だから、師匠たちには一瞬でいいからあのゴーレムの動きを止めて欲しい」
「一瞬でもって言うが、随分と難しい話だな……」
「まあ、できたらでいいよ。できなかったらできなかったで、このままゴーレムを動かし続けてくれればいいし」
「頑張ってみるか……」
「分かりました!」
「……早く帰りたい」
一部、文句を言っている者もいるが、なんとか了承を得る。ゴーレムの動きを止められるかは半々といったところだろうが、そこはもう賭けだ。
「んじゃ、頼んだ」
その声を合図に、ルリメスたちが魔法の準備に入る。レイスはそれを見届けることもせず、ラフィーと同じタイミングで走り出した。とはいえ、ラフィーの速度についていけるはずもないので、当然取り残される形となる。
ラフィーがゴーレムのところへたどり着く頃には、レイスはまだ数メートル分の距離があった。だが、魔法の準備時間を考えるとこれくらいがちょうどいい。
レイスはルリメスたちを信じ、自分の目的だけを頭に残してそのまま足を動かす。レイスがゴーレムまであと少しといったところで、後方から魔法が放たれた。
氷の囲いが、一瞬にしてゴーレムを覆う。
それはゴーレムの破壊を目的としたものではなく、あくまでも動きを止めるためのもの。
しかし、当然の如くゴーレムは氷を破壊する。パリンと甲高い音が響き、月の光を受けて輝きながら氷の結晶が宙を舞った。
どこか幻想的にも思える光景の中、ゴーレムの目の前には手を伸ばすレイスの姿が。
「ヌ?」
今まで接近して攻撃をしてきたのはラフィーただ一人だけだったせいか、ゴーレムはどこか困惑したような声を出す。余裕のないレイスはその声さえも意識の外に置き去りにし、必死にゴーレムに手を伸ばしている。
そして、その手が銀色の甲冑に触れた途端。
「『変形』」
ゴーレム作製の手順のうちの一つを、その場で実行する。ただ、この状況の場合、形を作り上げることが目的ではなく、崩すことが目的であるわけだが。
これまでのゴーレム作製ではすいすいと形を変えていたレイスだが、今はそう簡単にはいかない。どうやらゴーレムもレイスの意図を察してか、抵抗しているようだ。銀色の甲冑が歪んだり元に戻ったりと、不思議な現象が起きている。
「大人しく、作り手の言うことを聞けよ……!」
「グぬ……ムダ」
拮抗しているように思える両者の力。
レイスの錬金術によって生み出されたせいか、レイスの錬金術に抗う力があるようだ。
しかし、少しづつではあるが甲冑の歪みが大きくなりつつあった。レイスは足にグッと力を込め、力を振り絞る。
「ヌ、おおおおお……!」
機械音が叫びを上げると同時に、甲冑の胸の辺りが弾け飛んだ。そこから露わになったのは、紫色に光る魔石。つまり、ゴーレムの核となる場所である。
ここを叩けば、このゴーレムといえど終わりだ。
今のうちに魔石の活動を停止させようとして――ふと、目の前のゴーレムの様子がおかしいことに気づく。
「なんだ……?」
胸に埋め込まれた魔石が、妖しく明滅している。やがて強く輝きを放った魔石は、周囲一帯に強い風を引き起こした。
ゴーレムの近くにいたレイスは軽く吹き飛ばされ、地面に倒れ込む。
「レイス、大丈夫か!?」
「あ、ああ……だけど」
レイスは身体を起こしながらゴーレムを見る。
「なんか……デカくなった?」
レイスとそう大して変わらなかったはずの身長は、今や二メートルを超える巨体へと変貌している。腕や足も太くなり、両手に持つ剣は分厚い大剣へ。
胸部の魔石は変わらず無防備に晒されたままだが、どうにも先程よりも不気味に輝いているように見えた。心なしか、心臓のように脈打っているように思える。
「……お前のゴーレムは何度パワーアップを繰り返せば気が済むんだ」
「あはは……さすがはレイスさんと言うべきなんですかね」
苦々しくそうこぼす姉妹の言葉は、レイスとしても誰かに理由を訊きたいくらいだ。確かに物語のラスボスなどは第二形態やら第三形態やらズルのように思えるパワーアップを何度も繰り返すが、現実にまでそういった要素を持ち出して欲しくはない。
第二回戦などここにいる誰も誰も望んでいないのだ。
「レイ君、前言ってた魔力の流れの異常の原因分かったかも」
「師匠、今そんな話してるときじゃないから。目の前を見てくれ。もうアイツ立派な化物だよ」
「いや、割と重要な情報。あのゴーレム、多分外界から魔力を取り込んでるよー。だから魔力の流れに異常が起きてたんだと思う」
「……それはつまり?」
「自力で魔力の補給が可能ってことだね」
レイスは軽い目眩を覚える。
ゴーレムの弱点である魔力消費はどこへいってしまったのか。
「もうなんでもありじゃん!? ほんとどうすんのあれ!」
「まあ、といっても十全な活動に必要な量の魔力は賄えないと思うけどねー。魔力の反応が消えてたときも、多分魔力の消費をせずに吸収に専念してたんだろうし」
「……それもそうか」
冷静なルリメスの言葉に、レイスも落ち着いて頷く。確かに動きが鈍る場面もあったのだ。魔力が不足しているであろう事実は変わらない。
それに、今は剥き出しになっているもう一つの弱点がある。
「魔力切れが先か、あの魔石をどうにかするかが先か……まあどっちにしろやるしかないな」
言葉にならない唸り声のようなものを上げ続けているゴーレムを見据え、レイスは空笑いを浮かべた。