113 『偽装』
レイスたちが学院にたどり着く頃には、すでに日は落ちていた。気温も下がり、冷え冷えとした空気が辺りを包んでいる。
暗闇の中、レイスたちは物陰からひっそりと学院の方を見ていた。その様子はさながら侵入者のようだ。元々、堂々と学院に入れるのがレイスだけなので、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
意図せずして、レイスが望んでいたように人の目を盗んでゴーレムを探す形となる。
「……くそ、警備が多くなったのが仇になるとは……」
「ねぇ、なんでボクたちこんな盗人みたいになってるの?」
「なんだろう、何も悪いことはしてないのに罪悪感が凄いな……」
「ちょっと申し訳なくなっちゃいますね」
「寒い……眠い……」
一箇所に固まってひそひそと喋るレイスたちは、現在は侵入ルートを模索中だ。ただ、ゴーレム破壊事件のせいで警備の数が通常より多くなっているので、容易なことではないだろう。
間接的な犯人とはいえ、こんなところで苦しめられる羽目になるとは思ってもみなかったレイスである。
「さて、どうやって忍び込むか……」
「警備の人を穏便にぶっ飛ばす?」
「パワーワードを生み出すのをやめてもらっていいですか?」
レイスはぐるりと首を回し、突然物騒なことを言い出すルリメスの方を見る。ちょっと散歩でも行ってくるかのような軽さでとんでもないことを口にしている。
「冗談だよー。……それは最終手段」
「なるべく取りたくない手段だな……」
警備の人には罪はないので、なるべく手を出したくない。
「正門から行くのはさすがに厳しそうですね……」
「まあ、そうだな」
学院の外側を回りながら、警備が手薄そうな場所を探す。まあ、いざとなれば空から侵入するという手もあるのだが、夜とはいえ目立つことには変わりない。
「さすがにそう簡単に入れそうな場所はないなぁ」
警備が手薄そうな場所とは言うが、事件が起きた直後であるせいかどの場所もある程度の人数は揃っている。この中を五人と一匹で忍びながら侵入するのは中々難しそうだ。
「なんかもう素直に話して入れてもらった方が早い気がする」
「それはバレてどうしようもなくなったときだ。俺は諦めない……」
ウィルスなら事情を理解してくれるとは思うが、それが責任に問われないかはまた別の話だ。レイスの懐事情であの量の魔石の弁償となると、破産は確実だろう。
想像しただけで身体が震えてくる話だ。
「なんか、透明になる魔法とかないのか」
「レイ君、魔法を過信しすぎ。ボクだけならともかく、さすがに全員は無理だよ」
「あるにはあるのか……」
レイスとしては冗談のつもりで言ったのだが、存在自体はしているらしい。悪用したらとんでもないことになりそうな魔法だ。さすがにルリメスでも悪用はしていないだろう。
……してないよね?
ちょっと疑念を込めた目を向けてしまう。
「その目は何」
「いや、別に……」
「何やってるんだ……それで、どうする?」
呆れたように師弟を見るラフィー。
悩むのもいいが、そろそろ手段を講じなければ闇雲に時間を浪費するだけだ。
「……やっぱり強硬手段を」
「却下」
面倒くさがって魔法を使おうとするルリメスを制止し、レイスは仕方なくあるものを鞄の中から取り出した。
いざというときのために工房を出る直前に持ってきたものだ。
「それって……」
「そう――学院の制服だ」
と言っても上から下まで一式すべて揃っているわけではなく、ブレザーだけなのだが。
レイスが学院に務める前に諸々の資料と共にセスから送りつけられてきたものだ。
捨てるのも忍びないので一応保管しておいたのだが、ついに役立つときがきた。
まあ、こんなことに使うとは思ってもみなかったが。
「まさか、レイスお前……」
レイスが何をしようとしているのか理解したのか、ラフィーが表情を凍りつかせる。
「そう、これを着て正面から堂々と入る」
「……いや、さすがにそれは無理があるんじゃないか?」
まさかの手段に、ラフィーは反射的に否定的な姿勢になってしまう。
これから侵入しようとしている場所に堂々と入り込もうとするのは、どうしても違和感を覚えてしまうのだ。
「警備も多いですし、一概にナシとは言えない手段かもしれませんね……」
「だろ? もしかしたらって思って一応持ってきたんだよ」
シルヴィアからの援護を受け、レイスは調子づく。
「……まあ、好きにしろ」
他に入り込む有用な手段が特にないのも事実であるわけで。
ラフィーは一応の納得はしたのか、それとも諦めなのか、レイスの考えに身を委ねることに決めたようだ。
「早く帰れるならなんでもいい……」
ローティアは手段にこだわりはないため、自動的に賛成。
残るはルリメスだが――
「…………」
気まずそうに目を逸らし、黙りこくる。
レイスは己の師匠のそんな様子を見て、一体何を考えているのか概ね察した。
というのも、レイス、ラフィー、シルヴィア、ローティアの四人は制服を着たとしても、年齢的にもまだそこまで違和感はない。
問題は実年齢が十代に留まっていないルリメスだ。
彼女が高等部の学生の制服を着たらどうなるのか。
レイスは実際に想像してみる。
「……まあ、ギリ?」
何とも言えない表情でぼそりとそう呟く。
ただ、今の敏感なルリメスには聞こえていたようで、バッと音がするくらい勢いよくレイスのことを見る。
「ギリってなんだよぅ! この世には言っていいことと悪いことがあるんだよ!? 師匠に対してなんて言い草だぁ!」
「ちょっ、師匠うるさい……! 悪かったって!」
レイスは唇に人差し指を当て、必死な表情でルリメスを諌める。
こんな間抜けなやり取りで警備の人間に見つかったらそれこそ笑えない。
「ボクだって、ボクだってまだいけるさ……」
しょげた様子でぼそぼそと呟くルリメス。
普段の彼女からは想像もできない姿に、他の女性三人の責めるような視線がレイスを貫く。
「……いや、ほんと悪かった。師匠も結構若く見えるし大丈夫だって」
レイスのその一言によって、一応は場の雰囲気が持ち直される。
居心地の悪い視線から解放されたレイスは、ホッと一息ついた。
「さて、じゃあ試してみるか」
会話もそこそこに、レイスたちはブレザーの袖に手を通す。
サイズの調整なんてもちろんできていないので、ブカブカだったり逆にキツかったりするが、そこは仕方のないところだろう。
「なんか新鮮だな」
ここ最近ずっと目にしてきた服装をまさか自分が身につけることになるなんて想像もしていなかった。
学生という身分も経験したことがないので、なんだか不思議な気分だ。
「皆は……大丈夫そうだな」
他の四人も特に問題はなさそうだ。
思ったよりも違和感はない。
「これ、下はどうするんだ?」
ブレザーで覆われた上半身はともかく、下半身は各々の服装のままだ。
このまま行けば、何故か上だけ制服の変な五人組になってしまう。
「師匠、魔法で誤魔化せないか?」
「まあ、全員透明にするよりはよっぽど現実的だから大丈夫だよー。適当に暗闇に紛れさせとくよ」
時間帯的にも暗闇が少し濃くなっている。
魔法の補助を受ければ上手く誤魔化せるだろう。
これで準備は整った。
「よし……行くか」
レイスたちは元来た道を戻り、再び正門までたどり着く。
相変わらず警備の人間が多く立っており、抜け道なんて一つもないように見えた。
今からこの場所を堂々と通るのだ。
「すみません」
レイスはラフィーたちより一歩前に出て、警備の人間の一人に話しかける。
警備の人間は一瞬不審そうにレイスたちを見たが、制服を見ると、幾らか表情を和らげた。
「どうしたんですか?」
「その、忘れ物をしてしまいまして……テストにも関わるものなので、どうしても必要で」
理由なんて今この場で適当に考えたでっち上げだ。とりあえず中に入ることができるならそれでいい。
レイスがそれらしく苦笑してみせると、警備の人間の視線は後ろのラフィーたちに向いた。
「後ろのご学友も忘れ物を?」
「ええ、まあ……」
さすがに五人全員が忘れ物で通すのは苦しかったかと、内心焦る。
しばしの間、静寂が訪れた。
「いいでしょう。暗くなってきましたし、足元にお気をつけて」
「お気遣いありがとうございます」
なんとか正門を突破。
レイスに視線が集まる中、彼は手振りでついてくるように指示を出す。この中で学院の構造を把握しているのはレイスだけなので、信じて頼る他ないのだ。初日に迷っていた頃のレイスとはもう訳が違う。
警備の人間を警戒しながら慎重に進んでいく。どこにゴーレムがいるのか見当もつかないので、とりあえず今は破壊されたゴーレムが保管されているグラウンドの倉庫を目指している。
いつもとは違うルートを使っていることもあって、決してスムーズとは言えないのだが。
「ゴーレムが保管されてるのがあそこだ」
グラウンドにたどり着くと、今朝と同じように立ち入り禁止の文字が書かれた倉庫があった。倉庫の前では、何人か警備の人間が立っている。
「学院側はもう犯人特定してるのかな」
「……もう見つけられて止まってるかも。だから帰ろう」
「いや、ローティアは帰りたいだけだろ。とりあえずもう少し調べる」
とは言ったものの、この警備の数の中未だに手がかりもないゴーレムを探すのは骨が折れる。
「魔力で探知できたりしないのか?」
「いやー、それは学院に入った時点でやってるけど、それらしき魔力が……って、あれ?」
ルリメスはむむむと唸り、周囲へ視線を飛ばす。
「どうしたんだ?」
「なんか、急に変な魔力が……」
シルヴィアもルリメスと同じ魔力を感知したのか、怪訝な表情。
「行ってみよう」
「そうですね」
シルヴィアとルリメスの案内を頼りに、感知した魔力の場所まで急ぐ。警備の人間の視線を掻い潜りながらも、なんとか進んでいく。
「これ、移動してるねー……」
「その魔力が?」
「そうですね。そこまで速くはないんですけど……」
ルリメスもシルヴィアも何故か、腑に落ちないといったような顔をしていた。魔力を感知できないラフィーとレイスには、一体何が起きているのか分からない。
「何かあったのか?」
「いえ、この魔力……仮にレイスさんのゴーレムだとして、どこを移動しているんだろうって」
「どこって……そりゃ、空を飛べるわけでもあるまいし、普通に歩くか走るかしてると思うけど」
「そう、なんですかね」
やけに歯切れの悪い返事。
気になりながらも、口ばかりを動かしてはいられない。感知した魔力に置いていかれぬよう、進み続ける。
「近いです」
五分ほど歩き続けると、足を止めたシルヴィアが低い声で言う。レイスたちは物陰に潜みながらも、周囲を窺った。ゴーレムらしき影がないか、視線を巡らせる。
「…………」
しかし、中々見つからない。
全員が無言で視線を動かし続けるが、ゴーレムの存在は影も形もなかった。
「本当に近いのか……?」
「そのはずだよー。そろそろ見えてもおかしくないくらいには近いのに……」
少しずつ進みながら探すが、近いという情報とは裏腹にそれらしき影はまったくと言っていいほど見当たらない。闇に紛れてレイスたちが見落としているのか、それともまた別の理由があるのか。
「さすがにおかしくないですか……?」
「まあ、全然見えないな」
「隠れているんじゃないのか?」
妥当な発想をするラフィーだが、シルヴィアが首を左右に振ることで否定する。
「この魔力、ずっと動き続けてるんです。時々止まったりしてるなら隠れてるのかもしれないけど、こうも動いてたら警備の人か、もしくは私たちに見つかるはずなんですよ」
ルリメスも同様の考えをしていたのか、コクコクと頷いて肯定する。
だとすれば、だ。
レイスはパッと空を見上げ、目を凝らす。月の明かりを頼りに学院の上空付近を隅々まで見るが、鳥の一匹も見えない。
「さすがに飛んでるわけないよな」
「まあ、翼が生えてたらバレずに止めるなんて不可能だね」
もしかしたらと思ったが、空を飛んでいる可能性も無さそうだ。なら、一体何処へ行ってしまったのか。
「……なあ師匠、その魔力の詳細な位置って調べられるか?」
「ん、まあ、できなくはないよー。ちょっとだけ時間ちょうだい」
ルリメスは目を閉じて集中する。
一分ほどそうしたあと、スッと目を開いた。
「見つけた」
そう言って、ルリメスは移動を始める。
そうしてたどり着いた場所にはやはりと言うべきか、ゴーレムの姿はなく、警備の人間が一人いるだけだ。
「……もう多分いないよ」
ローティアは眠そうに頭を揺らしながら投げやりにそう言う。確かに、この魔力がレイスのゴーレムであるという確証もないのだ。すでに学院の外に出て行ってしまっているという可能性もある。
ラフィーたちが揃って難しい顔をしていると――
「え……?」
何も言わずに、レイスが突然物陰から出た。止める間もなく行ってしまったものだから、ラフィーたちは驚いて目を見開く。
一番隠密行動に徹していたレイスが、何故わざわざ自分からバレるような真似をしたのか。疑問に思うが、レイスの姿はすでに一人立っていた警備の人間に見られてしまっている。
ついに自分たちだけで探すのを諦めてしまったのか。ラフィーたちは一瞬そう思ったが、すぐに間違いに気づく。
「やっぱりそういうことか」
レイスは一人立っていた警備の人間を睨む。
いつまで経ってもレイスに詰め寄ってこないどころか、声の一つも発さない警備の人間を、だ。
「見ない間に変な機能追加するんじゃねぇよ……!」
レイスがそうぼやくと同時に、警備の人間の姿はドロリと蝋燭のように溶けて形を変える。再び形を取り戻したときには、見覚えのある狼の姿になっていた。完全に正体を現したゴーレムは、四肢を地につけて鋭い爪を食い込ませながら走り出す。