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109 『呼び名』

25日に4巻が発売となっております。是非ともよろしくお願いします。

 実習を終えてから学院の設備の整備をする生活を何日か繰り返した頃。

 手慣れてきた生活に少し変化が訪れた。というのも、次回の実習でテストが行われるのだ。


 事前に告知されていたので驚きは存在しないが、生徒たちにとっては胃の痛い問題だろう。学生はテストというものから逃れられないのだから。これで成績がほとんど決まると言っても過言ではないので、準備は怠れない。


 そのせいか、レイスのところにはいつも以上の数の生徒が集まっていた。レイスも仕事なので一人一人の質問に懇切丁寧に答えていくのだが、如何せん生徒の熱量と数がすごい。やはり秀才の集まりなのか、不真面目な生徒はレイスの知る限りほとんど存在しないのだ。


 頼られるのはレイスとしても嬉しいことだが、最近は設備の整備もあるので実習外ではあまり時間が取れない。悩ましい問題だった。


「ええい、少しくらい帰るのが遅れてもいいか……」


 とはいえ、必死に学ぼうとしている生徒を放っていくのも忍びないと思い、レイスはわざわざ実習外にまで時間を割いた。その結果、質問する生徒がいなくなる頃には夕日が空に顔を覗かせていた。


 いつもならもう帰っている頃だが、整備の仕事も引き受けた以上、そういうわけにもいかない。レイスは疲労を感じながらも、黙々とグラウンドの整備を進める。


 次の実習ではテストも控えているのだ。できるだけ綺麗にしておくに越したことはない。そうして、ずっと一人で作業を進めていると。


 ふと、背後から気配を感じる。


 最近同じような経験をしたことを思い出し、レイスは密かに身構えた。心構えもできてから振り返ると、しかしそこには誰もいない。てっきりニコラがいるものだと思っていたレイスは、首を傾げた。


 まあ、何もないのならそれでいいのだ。


 そう思い、再び作業を進めようとする。だが、グラウンドのある部分にレイスの目は留まった。


 その場所は地面が少し抉れていた。


 一見すると他と同じように魔法によって抉れた跡としか思えないが、よくよく観察すると少し違うことが分かる。土の一部に爪で引っかかれたような跡があるのだ。


「足跡……?」


 確証は持てないが、足跡らしき土の抉れだ。だが、大きさ的に考えて人間のものではない。グラウンドで行われるのは錬金術の実習だけではないので、他の授業でできた跡だろうか。ただ、それにしても妙な跡だ。


 この学院は何か動物でも飼っているのか。しかし、そんな話は聞いたことはない。周囲を改めて見渡すが、動物の影どころか人っ子一人いなかった。


「……まあ、いいか」


 レイスはすぐに思考を放棄し、土を平らに戻した。




 ***




「あ、レイスさん、おかえりなさい!」


 いつもより遅く工房に帰宅したレイスを出迎えたのは、エプロン姿のラフィーとシルヴィアだった。眠そうに前後に揺れているローティアとだらだら過ごしているルリメスはいつものこととして、彼女たちが今日来ることは聞いていない。


 とはいえ、レイスは別にいつでも来てもらって構わないとは言ってあるし、ラフィーたちもルリメスには確認を取っている。


 レイスは特に驚くことなく、席につく。


 テーブルの上には既に料理が並べられていた。誰が作ったかは言うまでもないだろう。


「来てたんだな、二人とも。今日は結構帰るの遅れたし、夕飯を作ってくれたのは助かったよ」

「助かったんだったら作った甲斐があった」

「お疲れ様ですレイスさん!」


 そう言って笑いかけてくるラフィーとシルヴィア。是非ともルリメスは彼女たちに見習ってほしい。レイスはそう願わずにはいられなかった。


 レイスの帰宅を待つばかりだったのか、料理が冷める前に食事を始める。普段は自分で料理を作ってばかりなので、たまにこうして他人が作ったものを口にするのはとてもいい。


 労働の疲労もあって、特別美味しく感じられた。


「あれからどうなんだ?」


 ラフィーの言葉に一瞬なんのことかと考えたレイスだが、すぐに学院のことを訊いているのだと気づく。確かに前回ラフィーたちが来たときにはこの世の終わりのような雰囲気を漂わせていたのだ。最終的には開き直ってやけくそになっていたが。


「ちょっとした手助けをもらって、今はなんとか上手くやってるよ。次はテストだから、今日は遅くまで質問に答えてたんだ」

「そうか、結構良い先生やってるんだな」


 微笑むラフィーを見て、レイスは少しばかり気恥しさを覚える。そこまで良い先生かと問われると首を傾げてしまうが、それなりに頑張っているのもまた事実。


「やーやー、良い働きじゃないかレイス先生ー」


 ニヤニヤしながらルリメスに茶化すようにそう言われ、むずがゆい感覚が全身を襲う。


 それこそレイスがもう覚えていないほど昔からルリメスからはレイ君という呼称が定着していたため、余計にそう感じられた。


 やはり先生という言葉にはどうにも慣れない。


「やめてくれ……鳥肌立ってくる」

「そこまで?」


 レイスはしきりに両腕をさすり、ぶるりと肩を震わせた。

 言葉一つでここまでの効果を発揮するのかと、ルリメスは感心したように弟子を見る。


「私は結構好きですけどねー、レイス先生!」


 元気良く笑顔でシルヴィアがそう言う。

 悪気はなく、フォローのつもりなのだろう。


 しかし、レイスの脳は半ば反射的に自分の名前のあとにつく『先生』というワードに拒否反応に似た何かを発していた。


「ぐっ……なんだこれ……新手の攻撃か」


 胸を押さえ、苦しげに唸る。


 さすがに過剰反応ではあるが、レイスにしてみれば胸にグサリと突き刺さる一種の精神攻撃に近い。


 あわあわと慌てふためくシルヴィアを他所に、ラフィーはレイスに白い目を向けた。


「いやまあ、慣れないかもしれないがどういう反応なんだ……」

「割と真面目に結構キツいぞ。例えば俺がラフィーのことをラフィーお姉ちゃんとか言い出したらどう思う?」

「……確かに気持ち悪いな、それは」


 たっぷり間を置いて放たれた言葉に、レイスは殴りつけられるような衝撃を覚えた。


 ダメージでいえば『レイス先生』という言葉の優に数倍はいく。


 クリティカルヒットどころではない。

 言葉のナイフが心臓に直撃だ。


「何故だろう、泣きたくなってきた……」


 自分で例を持ち出しておいて致死級のダメージを心に負ったレイスは、ほろりと一筋の涙を流す。


「そういえば、あの魔力の流れはなくなったんですね」

「あれ、そうなのか?」


 ルリメスはシルヴィアの言葉に思い出したように手をぽんと打った。


「そうそう、なんか急になくなったんだよねー」

「なんだそれ。結局原因は分かってないんだろ?」

「まあねー。でもなくなったんだし、いいんじゃないかなー」

「適当だなおい……」


 魔力の流れなんてものを感じ取れないレイスは気づかなかった変化だが。今まであったものが急に消えるというのは、些か変な気分だ。原因も分かっていないので尚更である。


「今日のいつ頃かなぁ、本当に急に魔力の流れが元通りになったから驚いたよー」

「魔力の流れってやつも乱れたり元に戻ったり忙しいなぁ」


 別に魔力は生物ではないので、自由意志によって動いているわけではないのだが。だからこそ、不可解な現象と言える。


「そういえば、テストって何をするんですか?」

「ゴーレムの作製。評価項目は造形と耐久性らしい。……と言っても、俺はそんなに関係ないけどな」

「レイスは何もしないのか?」

「まあ、臨時教師だしな。テストの評価とかは仕事じゃない」


 レイスがすることといえば、テストの準備の手伝いと事故がないか見ておくことくらいだ。まあ、レイスとしてもテストには興味があるので不満があるわけではない。逆に評価をしろと言われても困るだけだ。


「あと、最近だと学院の設備の整備も始めた」

「……教師じゃなかったのか?」

「いや、まあ、うん……そうなんだけどさ」


 確かに教師だ。

 しかし、お金のためならば致し方ない。元々、そのために学院に行っているのだから。


「整備といえば、ニコラさんとも何故か偶然会ったな」

「ニコラさんって……」


 シルヴィアにとっては印象的だろう。何せ、初対面でガッシリ肩を掴まれて、息を荒らげ始めた相手だ。忘れるはずがない。


 直近で言えば『王竜祭』のときも行動を共にしていた。


「はえー、そんな偶然あるんだねー」


 ニコラと昔から面識のあるルリメスは、お酒を飲みながら間延びした声を返す。


「まあ、上手くいってるなら安心だ。このまま頑張れよ」

「ありがとう。何も起きなきゃいいけど」

「あはは、そうですね……」


 テストが近いということは、臨時の教師の仕事もあともう少しで終わりということだ。割の良い仕事ではあるが、レイスは自分に向いているとは思わない。


 このまま何事もなく無事に教師の仕事を終えたいものだ。

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