大根の味
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大根の味
「街路樹の黄葉した銀杏や紅いもみじがまだ散っていませんね」
朝のニュースでアナウンサーが言っている。立冬が過ぎたのに、昨日は暑いくらいだった。暖冬という予報も耳慣れたが、植物にも少しずつ異変が起きているらしい。
「温かいから、葉っぱも散り時が分からないのかな」
朋美はゴミ箱の紙屑集めながら、同居の母に話しかけた。八十二歳の母は食後に飲む薬の仕分けに忙しく、生返事をした。
ゴミ出しのために玄関の戸を開けると、朝のひんやりした空気が体を包んだ。葉っぱが赤くなった南天の木の横にガレージがある。そこに昨日の夕方にはなかったダンボール箱が一つ置いてあった。不審に思い、開けてみると野菜が入っていた。大根、赤カブ、泥付きネギ、密封容器に入れた梅干しまである。手紙が添えられていた。
「近くまで来たので寄りました。我が家で作った野菜です。たくさん採れたので使ってください。それと今年漬けた梅干し。食べてみてください。ゆっくりお話ししたいですね。長谷部英子」
一週間前、四十数年ぶりに再会した小学校の同級生、長谷部英子が届けてくれたのだ。早朝なのについでとは思えなかった。英子の流れるような文字を眺めながら、貰ってよいものやらと、野菜を手にとって見た。大根は太く首の緑が瑞々しかった。赤ん坊の頭くらいの赤カブはどっしりして、立派だった。こんな芸術品のような野菜が作れるなんて、たいしたものだと思った。
英子は地元の高校を卒業後、東京の女子大を出て、向こうで就職したと聞いた。東京での生活は裕福そうで華やかだったと、風の便りで聞いた。泥まみれになって土を耕したり、除草している姿は想像もできなかった。こうして家まで届けてくれた心遣いを有難いと思う反面、心の隅に英子に対するわだかまりがあった。
朋美たちは来年還暦を迎えるが、今まで一度も小学校の同窓会をしたことがなかった。還暦を機会に集まろうと、名簿作りから始めることになり、一年がかりで三十二名の所在が判明していた。あだ名がミッキーの幹子とも最近連絡が取れ、しょっちゅう電話しているのに、顔を見る機会がなかった。そこで年末になる前に、一度会うことになったのである。
集まったのは先週の金曜日のことだった。半世紀近い歳月は半端な時間ではない。就職、結婚、子育て、親の介護も経験して、今や自分の老いも目前である。戻りたくないとてつもなく長い時間を経て、満を持した邂逅だった。
約束は夕刻六時だが、気が急いて早目に家を出たので、指定された料亭に二十分も早く着いた。朋美は妙な緊張感に襲われ、すぐに店に入る気持ちになれず、車の中で少し時間を過ごすことにした。これから会う幼馴染たちがすぐ見分けられるだろうかと、不安もあった。電話で連絡してきたミッキーの鼻にかかった声を思い返した。
「市内にいる女子だけで一度集まろうという話だけど、日と場所が決まったわ。出席は四人よ。出席してね」
「長谷部さんは出席?」
「出るって。彼女、今回の名簿作りに早い段階から尽力してくれたがよ。私も電話とメールでしか連絡していないから、楽しみだわ。英子さんと朋ちゃんは家が近くて仲良しだったんだよね」
「ええ、まあね」
とは言ったものの、中学校卒業以来、一度もあったことがない。なぜか避けていたような気がする。遠い気憶の断片が思い浮かんだ。
英子とクラスのプリンセスだった。バレエとピアノを習っていた。日本人形のように可愛らしくて、勉強ができ、はきはきしている。誰もが好きにならずにいられない完全無欠の小学生。もちろん先生のお気に入りで、学芸会ではいつも主役だった。
「傘地蔵」のおばあさんの役。「浦島太郎」の乙姫様。クラスでも学芸会でも自然に主役に収まっていた。
朋美は村の子どもの一人か、名もない魚だった。セリフのある役はただの一度もなかった。先生の目には留まらなかった。要するに朋美には抜擢される光るものがなかったのだ。意地悪に言えば、英子のような子供は先生にとっては好都合だったと思う。
なんとなく不公平。見え見えの依怙贔屓。世の中そんなもんさ、それを小学校時代に学習したことは果たしていいことだったのか。
朋美と英子は実はお互いに無関心だったのではないだろうか。何十年、年賀状一枚のやり取りもなかったのだから。三月生まれの朋美は四月生まれの英子より一年遅れていた。一年の差は越えられない川のように幅広く深かった。英子は朋美など歯牙にもかけていなかったと思う。
中学校は一学年十四クラスあり、一度も英子と同級になることはなかったし、高校は別々だった。
風が出てきて、料亭の前の幟がはためいていた。車から降りると風が冷たく、朋美は身をすくめた。
どっしりした木戸を押して店に入る。中央に生簀があり、潮の香がした。金曜日の夜だが、生簀を囲む客席には数人の客がいるだけだった。仲居さんに畳の個室に案内された。床の間の菊や蔓をあしらった豪華な生け花が目をひいた。壁が青で天井が網代の凝った作りであった。先客が二人向かい合い談笑している。一人が朋美に気づき、
「朋ちゃん! わぁー久しぶり」
席を立ち抱きついてきたのは、オスミこと澄子だった。彼女の生家は煙草やで、店番をしていた母親にそっくりだった。顔を見たとたんに子供のオスミがそこにいると思った。負けん気が強く、いつも口元をキュッと結んで、怒ったような顔をしている子だった。ドッジボールのときは強い玉を投げてきた。目元はきりっとしていたが、今は優しさと穏やかさが加わっている。握った手から温かさが伝わってきた。
メガネをかけているのは、ミッキーなの? 太って貫録がある。濃いめの化粧、アップに結った髪、高級そうなスーツ。すぐには信じられないほどの変貌ぶりだった。
「朋ちゃん」と呼ぶ声は確かにミッキーのものだった。朋美の知っているミッキーは色白で物静かな少女だった。大声を出すのを聞いたことがなかったが、素早く運動神経抜群だった。彼女の家に卓球台があって、試合をするとたいてい朋美が負けた。
今は証券会社の営業主任である。電話からうかがう様子では、世話好きで頼りになるキャリアウーマンという印象だ。想像以上の貫録である。
「今夜の集まりを企画してくれてありがとう」
と抱き合った。
そこへ中肉中背でショートカットの女性が案内されてきた。グレーのカシミアのコートが似合っていた。昔と変わらない面差しの英子だった。
「ほんとにお久しぶり。お元気でしたか」
朋美が先に頭を下げた。
「朋ちゃんだよね。道で会っても分からなかったかもしれない」
英子は目を丸くしている。
「ほんとに英子ちゃんけ。うーん面影あるわ」
ミッキーは驚きを隠さない。英子は背が高いと思っていたが、朋美とほぼ同じだった。朋美は親しい言葉を掛けることもできずにいた。英子、オスミ、朋美、ミッキ―の順に円卓を囲むと、いつの間にか子供時代に戻り、なつかしさが込み上げてきた。
おそろいになりましたね、と仲居さんが料理と飲み物を運んできた。乾杯のあと、順番に近況報告をすることになった。では私からと英子が言った。
「家で療養中の父を介護しています。母はもう亡くなりました。週に一度総合病院でボランティアをしています。子供は娘が二人いて、一人は結婚しています。東京から戻って、三十年になるわ」
小首を傾げ、手を動かしながら話す声は、子供の頃と変わらないアルトだった。声は歳をとらない。朋美は正面から英子を見た。薄化粧でクリーム色のセーターを着ていた。目が合うと、英子は笑顔を送ってきた。三年生ごろまではよく遊んだが記憶がある。
五年生の一学期、横浜から転校生がきた。真奈という転校生は美人ではないが、優しさに溢れた印象だった。標準語が美しく、クラスのみんなは新鮮な衝撃を受けた。真奈は勉強もできた。父親は某都市銀行の支店長だった。社宅が朋美の隣の町内にあったので、なんどか一緒に下校した。しかし、いつの間にか真奈は英子のパートナーになっていた。英子に盗られたようで淋しかった。朋美の出る幕はなかった。六年の二学期を終え、真奈は横浜へ戻ることになった。
「見送りにいくがぁ。いっしょに駅へ行かんけ」
朋美は英子を誘ったが、あいまいな理由で断られた。真奈の出発の日、T駅へ行くと、数人の同級生たちが真奈を囲み、英子が花束を渡していた。見てはいけないものを見たようで、心がざわついた。綺麗な花束を見るのがつらかった。朋美を仲間外れにする英子のやり方は初めてではなかったのだ。
「朋ちゃん、来んがかと思った。間に合ってよかったね。真奈ちゃん朋ちゃんがきたよ」
ミッキーのやさしい言葉に気を取り直して、別れの挨拶をした。向日葵の絵を渡すと、真奈は「ありがとう、横浜へ遊びに来て」と言って握手してくれた。
その夜、変な夢をみた。朋美は熱い砂漠を歩いていた。はるか前方に英子の姿が見えるのに追いつくことができなくて、息が切れそうだった。待ってよ、と叫びながら追っていく。脂汗が流れ、時折吹き上げる砂塵に息が止まりそうだった。やがて倦怠感に包まれ、下半身に不快感を覚えた。その朝、朋美は初潮を見た。
自己紹介はオスミに変わっていた。
「うちは転勤族で、関西に長くいました。四年前に夫が定年になって故郷へ帰ってきました。子供は三人で、長男だけ結婚して、孫が一人います。四歳の男の子。かわいいよ、いっしょにプールへいっているの」
幸せが溢れそうなオスミの報告が終わって、朋美の番になった。
「私はずっと富山です。今もパートで働いています。夫は十八年前に亡くなって、未婚の娘がいます。実家の母を引き取って三年ほどになります。趣味の絵だけは続けています。次はミッキーどうぞ」
「もう知っていると思うけど、証券会社に勤めています。フルタイムで働いているのは私だけやね。趣味はゴルフと海外旅行です。子供は息子二人います。六十五まで仕事を頑張るつもり」
オスミは同級生たちのあだ名や特徴をよく覚えていた。「でこぼこ」君は病院の院長になっているというし、「関取」君は居酒屋をやっているという。
彼方にあった古い記憶が、少しずつ蘇ってくる。おはじきやお手玉、ゴム跳び、ドッジボール。時間を忘れて遊んだこと。給食のコッペパンと脱脂粉乳のまずかったこと。暗いくみ取り式のトイレ掃除が大嫌いだったこと。オスミもミッキーもトイレは最悪だったと顔をしかめた。
英子の家は駅前の商店街にあった。母親は喫茶店を営んでいた。喫茶店など少ない時代で、会社帰りの勤め人や恋人たちで繁盛していた。住まいは店の近くにあった。低学年のころ遊びに行くと、一人っ子の英子は両親のいない部屋で、三毛猫と留守番をしていた。窓にはレースのカーテが揺れ、ピアノが鈍い光を放っていた。ホットケーキやオレンジジュースを振る舞ってくれる英子が大好きだった。雑誌のグラビアのような暮らしぶりをうらやましいと思う気持ちを、好きだと勘違いしていたのかも知れない。
朋美の家は看板屋で、祖父母、両親、弟、妹、使用人が三人いる大家族だった。電話の音や子供たちの喧嘩の声が響く家で、母が食事の準備に走り回っていた自分の部屋はないし、弟たちは朋美の邪魔ばかりした。商売に忙しい両親は子どもの教育などほったらかしで、ハイカラなものはなにもなかった。
英子の誕生日に、彼女のお父さんが映画に連れて行ってくれた。毎年誕生日に、英子は父と映画にいくといった。その日ディズニーの「バンビ」を観に行くと聞いて、どうしても行きたかった。朋美は家に内緒で連れて行ってもらった。お父さんは、背が高くて英子とそっくりの顔だった。誕生日にどこかへ連れて行ってもらったことのない朋美にとって、自分の誕生日のように嬉しかった。
総天然色のアニメは音楽もストーリーもすばらしかった。祖母と観た東映の時代劇とは、感動の質が違った。夜九時過ぎに帰宅すると、心配していた両親にこっぴどく叱られた。英子の家に迷惑をかけた。
英子の父は出張が多かったようだ。家にいる日が少ない分、なおさら娘を可愛がったのではないだろうか。一人で食べる夕食はおいしかっただろうか。さわがしいけれど弟妹がいなかつたら寂しい。英子は朋美の家へ遊びに来たことはなかった。騒々しくて野暮ったい家族を見せるのが恥ずかしかったのだ。
和食で有名な店だけあって、刺身は氷室牡丹のように盛られ、てんぷらと茶碗蒸しは温かく、釜飯は熱々だった。おいしい料理を食べ、笑い、楽しい時間が過ぎて行った。
「卒業式の謝恩会で劇をやったね。覚えとる?」
朋美が訊くとミッキーが歌いだした。
「あはは、おほほ、えへへのへ、『お笑い三人組』だろう。覚えとるちゃ。私がショウちゃん役。朋ちゃんが酒屋の金ちゃん。クリーニング屋の八ちゃんは誰だったっけ」
「英子ちゃんだよね」
「学芸会で主役なんかしたことなかったから、朋ちゃんが企画して、出演、監督までやったね」
白黒テレビの時代、NHKで「お笑い三人組」という高視聴率のコメディ番組があった。三遊亭金馬、江戸屋猫八,一柳差斎貞方の三人が、いつもドタバタで笑わせるホームドラマだった。
「劇の主役を一回やってみたかったの。あのとき小道具も作ったし、公園やミッキーの家で何回も練習したね」
「みんな熱が入っとった。衣装も作ったね。体育館のステージってすごく高かった」
「大きい声で演技するのが難しかった。客席が大爆笑でバカ受けだったね。私ね、あれから積極的な性格になった気がするわ」
先生の目に留まらなかった朋美たちは、「お笑い三人組」から自信と勇気の芽をつかみ、チームワークの力を知ったと思う。歯痒いくらい自己表現が下手だったけど、あれが内から殻を打ち破るきっかけになった。
「ところでお玉ちゃん役の君恵ちゃん、消息がまだわからんけど、朋ちゃんなんか知らない?」
「結婚して東京へ行った頃までは連絡とっていたけど、三十年以上音信不通だわ」
「来年の同窓会までになんとか見つけたいね、東京の方にも頼んでみるわ」
と英子が言った。九時になると、英子は父のことが心配だから帰るという。次の再会を約束して、英子を見送ってから、オスミとミッキーと朋美は、またひとしきり話に花を咲かせた。
「英子ちゃんってほんとによく世話してくれる。いい人だわ」
「彼女と中学時代いっしょのクラスになったことある? 私は一度もない」
朋美は二人に訊いた。
「私は二年のとき同級だった。英子ちゃんって中学のとき私らと遊ばないもん。多分一生懸命勉強していたんだと思うよ」
とオスミが言った。
「もともと頭いいしね。私とは違う」
ミッキーがニャっと笑った。
「そんなことないよ。今のミッキーはすごいやり手じゃないの。パソコンの腕前もたいしたもんだわ」
「そう、そう、今は負けてない。アッハハハ」
大きな笑い声が広がった。
オスミは兵庫にすんでいたとき、阪神淡路大震災に遭っていた。家具が倒れ、テレビが飛び、家中カチャカチャだったが、家族は無事だった。水や電気が止まって、ひどい生活だったと話した。姑の介護も何年にもわたったようだ。
ミッキーは十年前に乳癌の手術をしたこと、中学高校とテニス部でインター杯に出たこと、家族や趣味の海外旅行のことを話した。朋美は父が早く病死して、母を助けながら弟たちを進学させたことや、夫の勤める会社が倒産したことを話した。なにより大切なのは健康なので、元気に長生きして、いつか一緒に海外旅行へいこうと約束した。
四十七年の歳月を三人が必死で生きてきたことを確信することができた。次は男子も誘って、毎年クラス会を開こうとミッキーが言った。三人は別れがたくて閉店までは話し込んだのだった。
英子の野菜は大いに母を喜ばせた。
「えー、立派なのを作るねえ。今晩おでんにしられ。赤カブは酢のものにして」
手作り野菜を何度も貰うと、英子への見方が徐々に変わっていった。新鮮な野菜や梅干しは、まごころの代名詞のようで、無駄なく大切に料理した。大根は軟らかく、赤カブは酢に染まって、真っ赤になった。柚子と切り昆布を入れて食卓に並べた。出来栄えは上々で、母がおいしいと舌鼓をうった。
電話では照れくさかったので、メールで礼をいった。それからたまにメールがくるようになった。食事や排泄の介護が必要な父の状況や、その後消息が分かった同級生の消息が書いてあった。その中に君恵がすい臓癌で三年前亡くなったとあった。
君恵の笑顔はぼんやりとしか思い出さないのに、川べりの彼女の家や庭の無花果や柿の木がたわわに実をつけていたのが鮮明に浮かんできた。三十数年前、職場の上司と結婚が決まったとうれしそうに報告してきた君恵。彼女が黄泉の人になってしまったことがすぐには信じられずただ悲しかった。
十二月に入ると、また早朝の玄関先に色とりどりの小菊や大根の甘酢漬け、梅酒が置いてあった。
「畑で作っている小菊です。お仏壇にどうぞ。梅酒は毎年作っているのですが、飲んでみてください。寝酒にいいですよ。朋美ちゃんとは話し足りないと思っています。いつかゆっくり会いましょう。 長谷部」
と手紙が添えられていた。
先週も漬物を届けてくれた。いつも手作りの品を届けてくれるのが嬉しい反面、どう答えればいいのか困惑した。こんなにもらう理由がない。気にしないで受け取って、と英子からメールがくる。
今朝は電話で感謝の気持ちを伝えようとプッシュボタンを押した。留守電だったので、近いうちに会いませんか、と伝言を残した。
夜電話があって、再会は数日後の土曜日に決まった。ショッピングセンターの喫茶室で待ち会わせることになった。朋美のよく利用するショッピングセンターだが、英子もたまにそこで買い物をするという。広いフロアーに食品スーパーやクリーニング店、花屋、百円ショップもあり、今まで知らずに会っていた可能性もあった。
店内はジングルベルが流れクリスマスの飾りつけが煌めいていた。親子連れや若者たちで賑わっていた。
二階にある喫茶室はほぼ席が埋まっていた。座席をふやすため席の間隔が狭くて、居心地が悪い雰囲気だった。奥の隅っこの空席に座った。英子はまだこない。目を閉じて小学生だった自分を思い浮かべた。あのころは幼くて、確たる自分を意識することもなく学校へいき、身の回りの出来事になんの疑いも意見も持たず、当然のこととして受け止めていた。
横の席で四十代ぐらいの女性が向き合って話している。何気なく聞こえてくる会話は、子供のいじめを話題にしていた。昭和三十年代にいじめという言葉があっただろうか。いじめと自覚したことはなく、誰にも言えなかったやるせない記憶があった。
理科の実験でグループ研究を発表したときのことだ。朋美は英子がリーダーのグループにいた。放課後集まってみんなで纏めるのに、朋美は呼ばれなかった。集まりのことを後で知った。
また、朋美が高熱で終業式を休んだとき、英子が通知表を預かってきてくれた。封が開いていた。後日、預かった通知表を英子が友達に見せていたことが分かった。同級生たちの話題になっていて、恥ずかしく、教室にいたたまれなかった。そのことが一番嫌な記憶だった。意地悪の理由は何だったのだろう。朋美が勝っていることなど一つもなかったのに。
防災習慣のポスターが原因だったのか、と思う。朋美の作品は「火の用心」という炎の文字を、子どもの消防士が水をかけて消している絵だった。漫画で見たのを少し真似して、炎の色を工夫した。それがコンクールで入賞したのだ。全校生の前で表彰状をもらったのは、あのときだけだった。賞品は鉛筆だった。いっしょに出された英子は入賞しなかった。ポスターは一カ月後に帰ってきた。帰り道、公園で英子がポスターを破っているのを見た。金網のゴミ籠に引き裂かれた絵が捨ててあった。悔しさを絵に八つ当たりしていると思った。先生の前では優等生なのに、別の一面を見た。
言葉は力を持っている。だから、いじめという言葉を認めたらそこから負の感情が芽生えて、英子を憎んだり恨んだりしただろう。憎んでもつらさが消えるわけではない。それなら馬鹿に見えても平気を装ってやろうと思った。朋美の心に先生は全く気付いていなかった。先生があてにならないのは昔も今も変わらない。先生にも先入観があり、目にみえることしか分からないのである。
あのころ英子の中に誰も知らない孤独な小鬼が住みついていて、時々悪さを楽しんでいるのだと思うことにした。小鬼は誰かが悲しんだり苦しんだりするのが楽しいのだ。誰かが仲良くするのをぶち壊したいのだ。自分より優秀だったり綺麗な人には意地悪したくなる。童話のなかの継母のように。
十五分ほど待ったが英子はまだこなかった。まさかすっぽかすつもりではないか。昔の英子なら分からない。話し足りないという英子の誘いに応じたのだから、心穏やかにもう三十分待とうと思い直した。
十分後、英子が息を切らせて来た。
「遅くなってほんとにごめんなさい。父に食事をさせてきたら手間取ってしまって。おむつをさせてきたから、二、三時間は大丈夫」
席に着くなり英子は父の介護の日常を話し始めた。映画へ連れて行ってくれた背の高いお父さんである。重い糖尿病で透析をうけているという。父親の食事や排泄の介助をするのは重労働だが、出来る限り家で世話をする覚悟だといった。それが一人娘の自分の役目だという言葉に迷いは感じられなかった。夫も協力的で環境は整っているようだ。言葉を選び淡々と話し、愚痴めいたことは一切いわなかった。賢く非の打ちどころのない娘だった。
朋美は母に対して英子ほど献身的にはなれなかった。
母はいつもどこか具合が悪いと不機嫌で、整形外科、内科、歯科、皮膚科と医者回りをしても、加齢によるものであるらしく、重篤な病気ではなかった。その上神経質な性格で、掃除や洗濯について朋美のやり方を厳しくチェックした。実の親だけに遠慮がなかった。親の姿は自分の行く道だと友達にいわれる。そうだとしても不機嫌な顔を見ているだけで、ストレスが溜まった。英子のように自分より親を優先するには忍耐が必要だった。
「母と喧嘩が絶えないんだよ。いつまでも子供扱いで」
「でもおかあさんは娘の朋ちゃんを頼りにして、感謝しておられると思う」
愚痴をいうと英子に励まされた。
「父は週に二度デイケアに通っているので、助かるわ」
「うちの母は一度行ったけど、疲れるといってやめてしまったわ」
親の話題はつきることがない。
「英子ちゃん、大学は津田塾でしょう」
「そう、卒業して東京で就職して、職場で夫と知り合ったのよ。母が大病をしたので子供が小学校に入るとき、帰ってきたの」
「ご主人がよく決心されたわね」
「いずれ帰るという約束で結婚したから。昔は富山が大嫌いで飛び出したのに、親はほっておけないでしょ」
「一人っ子だから? 富山のどこが嫌いだったの?」「閉鎖的だし、どこの学校を出たとか職業とか、そんなことばかりで人を評価するから」
「あなたは勉強ができる優等生だったじゃない。昔も今も優等生だわ」
「とんでもない。あのころは優等生を演じてただけよ。知らなかったでしょ」
英子はからかうような口ぶりで言う。演じていたという言葉に返す言葉が見当たらなかった。小学生が日常を演じ続けたとは、信じ難かった。事実なら勉学優秀で誰にも心配を掛けない子供を演じ続けた英子に脱帽だ。一人で留守番をし、食事をし、ネコと遊んでいた英子の姿が浮かんできた。楽しそうでもなく、嫌々でもなく、与えられた役のように。英子は記憶していないだろうが、あの意地悪も演技だったのか。
泣いたり笑ったり怒ったり、姉弟げんかしたり、無邪気な朋美とはあまりに違っていた。昔の話をするのかと思ったが、そうでもないらしかった。
「話足りないと言ってたけど、なにか気になることがあったの?」
「小学校の友達って特別なものがあるじゃない。私たちも年取ったし、気を張らない良い友達になりたいと思ったから、私をもっと知ってもらいたいの。私たちは高齢の親と同居しているし、悩みを話し合ったりしましょう。これからもよろしくね」
英子の笑顔は自然で、演戯しているとは見えなかった。いつも演じているうちに十八番の持ち役になることもある。演じ続けて、本物の優等生になったのだろう。朋美は英子の笑顔を信じようと思った。先入観のない新しい気持ちで、英子の顔をみつめた。
「今日、英子ちゃんと初対面のような気がするわ。古い知り合いだけど、初めましてって感じ。立派な野菜をつくり、お父さんの介護をして、ボランタィアもしている、私の知らないあなたをたくさん見たから」
「こちらこそ、よろしくお願いします。朋美ちゃんもいろいろ教えてください」
「大根、おでんにしたらおいしかったわ。家族にも好評だったよ。たくさん作っておるがやね」
「夫と畑をするのが趣味なの」
「いい趣味ね、梅干しもおいしく頂きました」
「お口に合ってよかった。家にもぜひ遊びに来てね」
味が染みて鼈甲色になった大根は素朴で懐かしい味がした。大根の味に免じて、昔のことは全部水に流そう。いや、「お笑い三人組」をいっしょにやったとき、もう英子を許していたのかもしれない。ただ自分の劣等感が問題だったことに気付いた。これからは朋美の前で演じなくてもいい、自然体の英子でいてほしいと思った。
喫茶店は人の出入りが頻繁だった。隣の席の女性たちはいつの間にかいなくなっていた。若い男女が入ってきてコーヒーを注文した。
喫茶店を出て、ショッピングセンターの前で英子と別れた。雨が霙に変わっていた。本格的な冬の到来だ。フラワーポットに植えられた温室育ちのパンジーに、うっすら白い雪が積もっていた。 了