第七話
予告状には、明確にいつ、というのは書かれていなかった。ジェラルド・ブレンの屋敷には常に彼が雇った用心棒がいて、指輪は厳重に保管されていた。最近になって警備体制が厳しくなったことを、ジェラルドの婚約者であるクロエは気がついているようだが、その理由までは知らないらしい。どうもジェラルドはパパラッチ対策だの何だのと理由をつけてクロエを誤魔化しているようだ。結婚前だからと同棲はしていないので、どうにでも言い訳できるというところか。
アーロンやアウルがブレン邸に出入りする件については、たまたま立ち寄ったカフェで出会って意気投合した友人という設定で通している。クロエは祖母から頼りにしている探偵の話を聞いていたようで、特にアウルの外見が目立つためすぐに結びついたようだが「ジェラルドのお友達がおばあさまの知り合いの方だなんて」と単に偶然のことと思っている。
(騙されやすそうなお姉さんだ……)
アウルがそのように感じてしまうのも無理からぬ話である。だが裏を返せば純粋で素直ということでもあり、それは彼女の美徳とも言える。美しく可愛らしい顔立ちの印象を裏切らない。そんな人柄だからこそ他人の信頼を勝ち得て商売に繋げることができるのだ。
お似合いの二人だ、とアウルは思う。美男美女ということを差し置いても、互いに商売をやっていて相手のことに対して理解があるわけだから、長い付き合いになる生涯の伴侶としては上手くやっていきやすいだろう。金のある者同士であるから生活が逼迫するという心配もなさそうだし、心の余裕にも繋がる。魔族は老いるのが遅いので、たとえ顔に惹かれたのだとしてもそれが損なわれることは相当に先の話であるし、まず失敗ということはないだろう。何にせよ幸せそうなことは良いことだ。自らの家庭環境が良くなかったアウルからすると、少々眩しくもあるが。
一緒に話を聞いているナイトオウルは、結婚ということについて、いまひとつ理解できていないらしい。
「アウル殿、結婚とはどういうものなのでしょう」
よくよく考えてみれば、ナイトオウルは生まれてからそう年月を経ているわけではない。アウルよりずっと記憶力がよく、背も高くて力もあり頼りになるから忘れていたけれども、ナイトオウルは若いアウルよりずっと子供であり、さらに言えば人でもない。思えば結婚なんて話は、フェアファクス探偵事務所ではあまり聞かない話題であるし、自然と知る機会もなかった。
「ううん、なんて説明したもんかな」
「良いことだというのは私にもわかります。なんだか幸せそうです」
「まあ、そうだね。なんだろ、一生支え合う約束っていったらいいのかなあ。おめでたいことだと思うよ」
「一生支え合う……ですか。それは、素敵なことですね」
「そうだね」
一般的には、とアウルは小さく呟いたが、それはナイトオウルの耳には届かなかったようだ。聞こえないならそれでいい話だ。結婚というものが必ずしも良いものかといえば、親同士が決めたとか子供ができてしまったからとかいう理由で望まない結婚をする者もいれば、長く付き合ううちに相手の嫌なところを知って壊れてしまう家庭もある。だがそんなことは、ジェラルドとクロエがそうだというわけでもないのだから、別にナイトオウルが知らなくても良いことだ。
ところで、アウルの師であるアーロン・フェアファクスは、犯行予告が本物であった場合、狙われるのは警戒を強めている今ではなく、結婚式の当日なのではないかと予想している。
「わざわざ警備の目を掻い潜り、どこに隠されているかもわからない金庫を探し出して、それを破るなんてのは非効率的だろう。単純に時間がかかりすぎる。もたもたしている間に即お縄だ」
アウルも言われてみればそのとおり、という気がしてくる。
「確かに盗む気があるならそんなに成功率の低そうな手段は選びませんね……もっとこうシュッとした感じにします」
「シュッとした感じかどうかは知らんが、犯行予告なんか出してくるようなやつが、そんな面白みのない手口でくるとは考え難い。わざわざ人目を引くようなことをするんだ、私があの予告状の送り主なら観客が欲しい。そうすると、金庫から指輪が出される結婚式の当日こそ、最高のタイミングというやつじゃないか。ちょうど客も沢山来るだろうからな」
そうした見解については、アーロンからジェラルドへ伝えられた。ジェラルドはその忠告を聞き入れて、式の当日の警備をより強化するつもりでいるようだが、そうしたことを即決できる金と行動力があるのは流石レイファンでも名のあるセレブと言わざるを得ない。人を雇うには金がいるが、恐らくアウルには考え付かないような額の金が動いているに違いなかった。
ともかくアーロンの予想というのは本当に的中していたようで、結局結婚式までの間に泥棒が来ることはなかった。来ないからこその緊張が続き、ついに、結婚式の当日がやってきた。
式場として使われているのはブレンコンツェルンが経営するクイーンズグランドロイヤルホテルで、王都でも最上級の高級ホテルである。建物の外観は白を基調として清潔感があり、繊細な彫刻で彩られた玄関からして格調高い雰囲気がある。結婚式ができるようにとレイファンで信仰の厚いベエル教の教会が併設されており、ブレンコンツェルンの会長がここを使わずしてどこへ行く、といった印象もある。
宿泊施設としても人気が高く、なんといってもアメニティが充実しており、ベルボーイの出迎えは勿論、専用の蒸気自動車の送迎もある。世界各国のセレブが泊まりに来るというそこは一泊するだけでもアウルの一年分の給料で足りるかどうかわからないほどである。通常ならアウルには一生縁のなさそうな場所だ。
ジェラルドが盗みの予告を恐れてあれこれと手を回していることは露ほども知らないクロエは、自分の結婚式を目前に控えて、嬉しそうな笑顔を浮かべて待機している。それは単純に恋人と結ばれることを喜んでいるというのもあるが、商売のチャンスだとも考えているのだ。
「だって、沢山のお客様がいらっしゃるわ。色んな方に私のドレスを見ていただけるんですもの、それってとっても素敵よ」
自らデザインしたドレスを纏い、神に愛を誓うことは、クロエブランドの宣伝活動も兼ねているらしい。それは商魂逞しいというよりは、単に自らの服という芸術を発表する場として見ているようだったが、ともかく結婚式のためだけに特別にドレスを用意できるという辺りが正しく上流階級である。袖付きの、フリルやレースをふんだんにあしらった純白のドレスは、確かに清楚さや気品を感じさせる。
さて、オルタンス家はそうしたクロエの結婚を素直に喜んでおり、どうやらジェラルドのほうからは何も知らされていないと見える。ジェラルドにフェアファクス探偵事務所を紹介したオルタンス夫人さえ、その理由については詳細は聞いていないようだ。とはいえ警備が厳重になっていることについては「万が一のことがあっては大変だから」と説明を受けており、なまじ有名人二人の結婚であるだけに、その説明で充分納得はしているらしい。一族もろとも騙されやすいのだろうか、とアウルが疑ってしまうのは致し方ない。
これから化粧などの細々とした準備があるからと控室を追い出されたアウルたちは、ジェラルドの様子を窺いに行く。白いタキシードを着た花婿は、やはり浮かない顔をしている。
「指輪はどうなされたのですか」
アーロンが問いかけると、ジェラルドは「私が持っています」と答えた。
「夜のうちに密かに懐へ入れています。誰にも知られていないと思います――警備の者たちにも目を光らせておけと強く言い含めていますが……今日、例の怪盗が来るかもしれないのでしょう」
「もしも本当にあの犯行予告を実行するつもりがあるのなら、ですがね。何せ多くの人が集まるでしょう」
「ええ、祝いの席ですから、招待した方も多いのです。式場には招待状がないと入れないようにはしていますが……」
「大切なことです。とはいえ、相手がどのような手段で来るのか、どのような相手なのかもわかりません。油断はできません――が、あまり暗い顔をしていては、クロエ殿に知られてしまいますよ。眉間に皺が寄っていては良くないのでは?」
アーロンの指摘に「これは失礼」とジェラルドはすぐさまにこりと笑顔を作って言った。流石は商売人というべきか、愛想の良い笑顔を作るのが上手い。これだけ堂々としていれば、招待客も怪しみさえしないだろう。何よりも妻となる人に憂いを与えないために、ジェラルドは徹底している。
アーロンがジェラルドと警備体制の最終確認をするというので、その間アウルとナイトオウルは手分けして辺りに怪しいところはないか確認して回ることにした。
「では、私は建物の外を」
「じゃあ僕は中のほうを見てるよ。よろしく、ナイトオウル」
ナイトオウルを送りだしてから、アウルはホテルの廊下を歩き出した。
招待客は徐々に集まってきている。その中にはアウルの見知った顔もある――メグだ。父のアントニオと共にやってきたらしい。
メグはアウルの姿を見つけると、優雅に手を振り近づいてくる。祝いの席ということもあり、メグは長い髪を後ろで三つ編みにしてひとつにまとめていた。
「やあメグ」
「こんにちは、アウルくんも来ていたのね。さっき外でナイトオウルを見たわよ。あっ、もしかしてオルタンス夫人の繋がりで招待されたのかしら?」
「そうだって言いたいところだけど、ちょっと違うかな……一応表向き招待客だけども」
ここへ来たのは仕事のためだ。二人の結婚を祝う気持ちは勿論あるが、それ以上に警戒せねばならないことがある。
アウルは口を濁してしまうだけだったが、皆まで言わずとも何かしら悟ってくれたらしいメグは、周りから見られていないことを確認すると「頑張って」と耳打ちしてきた。
それから何でもないような顔をして「また後でゆっくりお話できたらいいわね」と言って去っていった。こちらのことは深く詮索しないでおいてくれるのはありがたい。探偵には守秘義務というものがあるし、今となっては予告状のことなど知られたら無用な混乱を招きかねない。メグならば知っても冷静でいてくれそうなものだが、今はまだ言えない。
見知った顔と出会ったからか、アウルは何とはなしに気持ちが落ち着いた。どうも数日間に渡って正体もわからぬ怪盗相手に警戒し続けているせいで、妙に緊張しすぎてしまっていたようだ。
一つ呼吸を置き、改めて会場を見て回る。教会のステンドグラスやオルガンも、ホールの豪奢な絨毯もシャンデリアも、特にこれといっておかしな点は見当たらない。辺りはジェラルドが雇った警備員たちがいるので、そうそう簡単には部外者は侵入できないようだが、果たして怪盗はどこからやってくるつもりだろう。そもそも人なのか、人形なのか。
式の進行予定自体は、誓いの儀式をやった後、そのまま披露宴へと移行し幾つか催し物があるというくらいで、これも特におかしなことではない。勿論ゲストは招待状を持っていなければ式場に入ることはできない。
(僕が怪盗ならどうするかな)
これから式場に入りこむには、少々頭を使わなくてはならない。もしくは既に誰か招待客の中に紛れ込んでいるのか。
刻一刻と、時間が迫ってきている。時計を見ると、もうすぐその時なのだという気分になってくる。その時、アウルの肩を叩く者があった――ナイトオウルが戻ってきたのだ。
「アウル殿、来てください」
「何かあったのかい?」
「司祭殿が、倒れているんです――!」
早く、と急かすナイトオウルに緊急性を感じて、アウルも駆けだす。どうにもこの仕事は容易くはないようだ。