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きみの黄泉路に花はない2  作者: 味醂味林檎
第二幕 レコーダ・メイディーヴァ
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第六話

「そうか……陛下とお会いしたのか」

 美しかったろう、とアーロンに言われて、アウルは頷いた。否定しようもなく、大輪の薔薇が咲き誇るような華やかな美貌の王であった。

「私も昔縁あってお会いすることがあった。あの頃が少し懐かしい」

「前は軍医をやってたんですよね、先生。その関係ですか?」

「ああ。魔王は戦う存在だから、軍とは距離が近い……流石に私の四倍か五倍くらいは長く生きていらっしゃるだけのことはある。食えないお人だったが、今も変わらないようだ」

 アーロンは四十も半ばであるので、つまり女王はおよそ二百年生きていることになる。皺ひとつない美貌からは全く想像もできないことだが、魔力が豊かな魔族は老いるのが遅いので、それだけ魔王として力のある存在であるのと同義だ。

「扱いが難しいとはいえナルシスイセンの例を見るに、相当な力だ。兵器として使うこともできたろうに、よく紅い月のことをそれだけ隠し通せたものだ。まだ何か腹に隠しているのではないかと疑ってしまうな」

「これ以上何か出てきたら僕もう無理ですよ」

 アウルはもう腹いっぱいという気分がする。一度に色々なことを知りすぎてしまった。アーロンは「あの女王様なら何を出してきても不思議じゃない」と言ったが、極力これ以上わけのわからないものは出てきてほしくないところである。

「でも、やっぱり紅い月のことは放っておけないし……」

 キャパシティオーバー寸前という感じはするけれども、紅い月の恐ろしさは身に染みてわかっている。女王の希望に沿うことは、ひいてはアウルたちの平穏な日常を守ることにも繋がるのだ。そこをわかっていて上手く臣民を使う女王は、やはり間違いなく、強かと言えるのだろう。そういう意味では恐ろしいが好ましい、とアーロンは言った。

「まあ我々がやらなくとも誰かがやらされるだろうが、それは我々がやらない理由にはならないからな。励みたまえ」

「はい、先生」

「しかし驚いたな。紅い月のこともそうだが、まさか死を克服するために人であることをやめる魔術師がいるとは。思いきりが良いのは若いならこそか……?」

 それはクラフト――ダスクロウのことだ。アウルもナイトオウルも驚いたし、誰もが「本当にやるとは思わなかった」と一度は思った。彼の研究していた死霊術というのは元々異端と呼ばれてもおかしくない魔術であったが、クラフト自身の感性も使う魔術と同じくらいに異端だった。

「魔術薬を自分の身体で試すくらいのことなら私もやるが、そこまでいくといっそ尊敬に値する。自己改造の境地だな」

「クラフト様は目的のためなら手段を択ばないところが……ありましたから……」

 ナイトオウルの発言は、徐々に尻すぼみになる。アウルは「ああ、うん」としか答えてやれなかった。

 確かに手段を択ばないという人はいるし、それが良い結果をもたらす場合も当然ながら当たり前にある。されど何事も過ぎるのはよろしくない。クラフトに忠実であったナイトオウルさえもフォローしきれないほど、クラフトの復活はインパクトが強いのである。良い意味でも悪い意味でも。




◆◆◆




 月食みを追うことやギアクセルの捜索もあるけれど、長期的な仕事となるそれ以外にも、日常的にフェアファクス探偵事務所に持ち込まれる依頼がある。それは依頼斡旋業者の探偵社からのものであったり、個人的に噂話を聞きつけた者が縋ってくる場合であったりとさまざまだ。

 オルタンス夫人は、フェアファクス探偵事務所によく猫探しの依頼をしてくる。彼女が飼っているのはミリィという長毛の猫なのだが、大切に大切にされているわりにはやんちゃなところがあって、よく屋敷を抜け出していなくなってしまう。

 とはいえミリィの行く場所は大体決まっていて、そうでなくともアウルは動物と対話できるので情報を集めることは比較的楽なほうで、すぐにミリィは見つかるのだ。小遣い稼ぎ程度の仕事ではあるが、いい金づるともいう。

 この日いつもと同じようにミリィを見つけてきて夫人に届けると、彼女は折角だからお茶でも飲んでいきなさいな、とアウルを屋敷にあげてくれた。これもよくあることで、老いの兆しが表れているオルタンス夫人にとっては、アウルは息子や孫のような存在に見えるようだった。

 夫人が出してくれる香り立つ紅茶と手作りのレモンパイは、アウルも好ましく思っている。遠慮しなければと思うこともあるが、善意のそれを断りきれるかといわれるとそうでもない。ほんの僅かな間だけのお茶会は、オルタンス夫人にとっても話し相手ができるという点で良い気晴らしとなっているようだ。

「孫がね、結婚するのよ」

 世間話の一つとして、オルタンス夫人はそう言った。

「クロエって名前は聞いたことあるかしら? わたくしの孫、ファッションブランドを立ち上げてるのよ」

 紫陽花の花をモチーフとしたものが多いクロエ・オルタンスのデザインは、レイファンの女性の間では人気が高い。元は帽子屋から始まったというが、今では服や靴、果ては財布まで取り扱っており、レイファン人なら誰しも一度は耳にしたことがある高級ブランドだ。アウルの友人メグもクロエの靴を履いていたことがある。気に入っているならクロエの小物を誕生日のプレゼントにでもと思って、結局目ぼしいものは値が張りすぎて手が出なかったという記憶がある。不甲斐ない話だが、メグにプレゼントできるとすれば、早くとも来年の誕生日になるだろう。

「相手の殿方はお仕事の関係で知り合ったみたい。ジェラルド・ブレンという方なのだけど……」

「ジェラルド・ブレン……って、もしかして、ブレン製糸の……?」

 アウルには聞き覚えのある名前だった。ブレンと聞いて真っ先に思い出す企業である。世界を股にかけるエストレ商会と同様に有名な企業で、王都の工業区に大きな工場を持っており、昔はアウルも帰宅する多くの労働者たちを狙って乞食をしたことがある。王国軍の制服の製造も請け負っており、一年通して工場が稼働しているため、工場がある場所の周辺には労働者相手の商売が流行っている。

「あら、よくご存知ね。そうよ、彼はブレンコンツェルンの代表なの。とても誠実で素敵な方なのよ。孫も良い人に逢えて良かったわ」

 今からお祝いの準備をしなくちゃ、と夫人は張り切っているようだった。喜ばしいことだ。アウルも「おめでとうございます」と述べて、その日はそれでオルタンス邸を去った。どうにもオルタンス夫人は愛嬌のある笑い方をするからか、彼女が幸せそうにしているとアウルのほうまで何やら幸福が伝播するような気分がする。

 翌日の新聞には、ジェラルド・ブレンとクロエ・オルタンスの婚約、加えて来月に結婚式が予定されていることが報じられていた。レイファンでも名のある上流階級の二人の結婚というだけあって、注目を浴びるものであるらしい。紙面に載っている写真のクロエは、いかにも幸福に満ち満ちた女性らしく可愛らしい笑顔で、祖母にあたるオルタンス夫人の面影があった。




 ――それから一週間後のことである。フェアファクス探偵事務所の扉を叩く者があった。

 訪ねてきたのは若い――魔族の外見年齢は当てにならないが少なくとも老いの兆しは現れていない――魔族の青年である。撫でつけられたダークブロンドの髪と、肩幅がかっちりと見えるシンプルながら高級そうなブルーのスーツが、いかにも上流階級という感じがする。スーツの襟を飾るラペルピンも派手すぎない程度に上品な華やかさを感じさせ、見るからに一流というふうだった。一言で言うなら、そう――洗練されている。

「オルタンス夫人に紹介されてこちらへ来ました。恋人へ贈る結婚指輪が、悪党に狙われているのです。どうか知恵をお貸しください」

 そう頭を下げた彼は、ジェラルド・ブレンと名乗った――オルタンス夫人の孫娘クロエ・オルタンスの婚約者その人であり、ブレンコンツェルンの代表である。

 結婚直前で幸せの絶頂にいるはずの彼はしかし、あまり思わしくないというような、不安げな顔をしている。

「悪党に狙われているとは、一体どういうことでしょう」

 アーロンが問いかけると、ジェラルドは白い封筒を取り出し、その中のカードを取り出して見せた。封筒と同じような真っ白い紙に、タイプライターで書いたような美しい文字が並んでいる――花盛りの娘のための星を戴きに参る、と。それはつまり、ジェラルドの言い分からしてクロエ・オルタンスに贈る指輪に使われている宝石が狙われているということだ。

「思い当たるものはそれしかありません。先日ブルーダイヤモンドの指輪をエストレ商会から買い付けたばかりなのです」

「その指輪は今どこに?」

「万が一があってはならぬと思い、金庫に隠してあります。ですがどこから情報が漏れたのか……このようなカードが届いて」

 アーロンがジェラルドから情報を聞きだしている傍で、アウルは白いカードの犯行予告を眺めている。

(何かどっかで見たようなやつ……)

 アウルが既視感を覚えるのも無理はない。いわゆる犯行予告というものだが、そのカードは、まるでナルシスイセンが活動していた頃のものにそっくりなのだ。無論既に滅んでしまったナルシスイセンであるはずはなく、よく見れば文字の形が若干丸みを帯びている。それと同時に、見分けがつくほどナルシスイセンの犯行予告を見慣れてしまっていたのかとも思う。あの水仙のような怪盗人形は、未だ世間にもアウルにも影響が大きい。

 要するにこのカードの送り主は模倣犯ということだが、また悪質である。人か人形かどちらがやっているにせよ、わざわざ目立つような真似をして挑発してくるのだから気を抜けない。悪戯という可能性も捨てきれないが、だからといって無視できる話ではない。何者かは不明だが、厄介なことは間違いない。

「本来ならば、こういったことは警察に相談すべきなのかもしれません」

「それがおわかりなら、何故そうなさらないのです」

 アーロンが言った。探偵として依頼されたことは、きちんと仕事をするつもりはあるけれど、手が回りきらない部分も当然出てくる。公的機関である警察を頼るほうが組織の力を借りられるという面もある。それに警察というのは犯罪に対応するプロであって、それを利用しないというのは賢い選択とは言い難い。

「極力大事にしたくないのです。恋人のクロエを怖がらせたくありません」

 ブレンコンツェルンの会長のもとに泥棒の犯行予告が来たとあっては、たとえ悪戯であったとしても、無視はされないであろう。けれど警察に相談するとなれば、相応に物々しい雰囲気になってしまうのは否めない。結婚を間近に控えた恋人の笑顔を曇らせることはしたくない、というのがジェラルドの考えであるようだ。

「用心棒を雇う金なら幾らでもあるのですが、如何せん知恵は足りません。ナルシスイセンの件に携わったというあなた方なら、慣れていらっしゃるはず。どうかお願いします」

 オルタンス夫人の紹介であり、報酬は弾むというジェラルドの依頼を断る理由はない。アーロンはことの詳細を聞くと決め、アウルもそれに同席する。探偵は極力犯罪を未然に防ぐ存在であるべきなのであり、これもそうした仕事の一つなのだ。


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