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きみの黄泉路に花はない2  作者: 味醂味林檎
第七幕 アリストレングス・ベストリングス

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第三十九話

「さようですか。では、クイーンズグランドロイヤルホテルの件はそれで片付いたのね、クレア?」

「はい。現場から電話連絡がありました。今は人質となっていた者たいは皆解放され、怪我をしている者は病院に運ばれて治療を受けていると。これから逃げた月食みを追うところだそうで」

「そう――これで尻尾が掴めればいいのだけれど。どうにも後手後手に回っているというか……」

 ふう、と吐いた溜息がやけに大きく響いた、気がした。

 紅蓮魔王カッサンドラにとって、問題は常に山積みだ。かねてより追い続けている紅い月はもちろんだが、それ以外にも国の長たるもの、対応せねばならないことは多い。

 レイファンという国は、強国でなければならない。科学と魔術を融合させた独特の技術を発展させてきたそれは、持たざる他国からすれば随分と魅力的に映るものだ。強くあらねば他国に食い荒らされてしまう。

 外から襲い来るものへの対応は勿論、戦後の処理も必要だ。それだけでなく、守り抜いた技術をより発展させていくためにも、細やかな気配りは欠かせない。優秀な研究者には潤沢な予算を与えねばならないし、その予算をどこかから調達する必要もある。物事を動かすには金を出すのが一番だが、無尽蔵とはいかない以上、何かしらの工面が必要だ。

 優秀な者が活躍できる場を作るのは勿論のこと、国力の維持のためには凡人でも生きていける環境を用意しなければならない。この国には未だ取りこぼされる弱者がいる。犯罪は取り締まらねばならないが、そうしなければ生きられないような者たちが生まれてしまう社会をどうにか改善していかなければ、国など容易く弱っていく。今の豊かさはあくまでも上辺だけのもので、いずれは虐げられる弱者など必要ない国にならねばならぬ。尤も、目標を高く掲げたところで、やりくりするのは決して容易くはないのだが。

「一朝一夕でどうこうなる話ではないって、わかってはいるのだけれどね――」

「わたくしから申し上げることではございませんが、その……陛下は充分、よくしてくださっていると思います」

「お前にとってはそうなのかしらね」

 少なくとも、カッサンドラが取りこぼさなかった者にとっては。秘書官のクレアは典型的な魔族で、レイファンにおいては取りこぼされることのないマジョリティである。より多くの民のためと思って働けば、自然とそうなる。良くも悪くもだ。

「理想を追いかけるというのも、なかなか難しいものだわ」

 それは、いつもと同じようにこなしていくはずの政務だった。そのはずだった――その瞬間までは。

 ――閃光。

「……!!」

 石が砕けて擦れる轟音と共に、その平穏は崩れ去る。

 カッサンドラは咄嗟にすぐ傍にいた臣下の腕を掴んで引き寄せ、魔力によって簡易的な結界を作り上げる。綿密な準備をしていなくとも、彼女は魔王と呼ばれるほどの魔術師だ。膨大な魔力を用いて多少手順を無視してでも防護壁を編み上げることはできる。あくまで簡易的な魔術であるため、すぐ身の回りだけしか守ることはできないが――。

「へ、陛下、これは……!」

「お黙りクレア、舌を噛むわよ」

 壁が割れて、天井にひびが入る。幾度かの閃光と轟音は足元を大きく揺らした。それでも城が完全に崩壊しなかったのは、建物それ自体を補強する魔術がかけられていたからだろう――遠い昔に、カッサンドラが即位したその日にかけた魔術だ。いつかの未来に、人間の王族が再び王となるその日に、この城を美しいまま返すための準備だった。今まさに台無しになったが。

 天井が割れて落ちてくるのを、結界によって衝撃を和らげながら耐える。やがて揺れが収まる。床もひび割れ、一部は穴が開いた箇所もあるが、どうにか建造物としての形は保っている。むしろ、完全には崩れないように計算された破壊だったのではないかとすら思えてくる。周囲を警戒しながら様子を窺っていると、こちらへ近づいてくる足音が聞こえてきた。

「おやおや、床に這い蹲るしかできないとは、紅蓮魔王ともあろうお方が随分と無様な真似をなさるのですなあ」

 その声は、知っている。よく知っている。献策をするときと同じ声、同じ話し方、同じ気配だ――ただし今は、カッサンドラにとって歓迎できぬものである。

「まあ、城が完全に崩れないのは流石といったところでしょうか。その程度の力はあったわけだ。魔王と呼ばれるだけのことはある。我々としては完全に粉砕してしまうつもりでしたが、爆薬が少しばかり足りなかったかな」

「――リウェリン」

 そこにいたのは、王族らしく優雅に微笑む、純血の人間の又甥だ。大勢の武装した兵士たちを引き連れて先頭に立っている。

「お久しぶりですねえ、大叔母上。流石は魔族といったところか――私が子供の頃と、何一つお変わりないようだ。数十年の時を経ようと皺ひとつ増えぬ大魔女よ」

 外見だけであれば、豊かな魔力によって二十代半ばの姿のまま過ごしているカッサンドラは、人間として順当に老いている又甥より年上であるようには見えないだろう――けれどそれが単なる挨拶ではないことくらい、重々承知である。リウェリンの目に映る色は嘲笑のそれだ。

「人間と、人形の、兵士たち……」

 カッサンドラの腕の中で、クレアが驚愕に目を見開いて震えていた。それを見つけたリウェリンは、まるで友人に話しかけるような穏やかさで、後ろに控える幾人もの兵士たちを紹介する。

「私と志を同じくする者たちです。野蛮な魔族の支配から脱するためのね」

 王国軍では少数派である人間と、人形だけの兵士たち。そこに魔族の姿は一人もない。果たして魔族の兵士たちが無事なのか、カッサンドラには知る術はない。わかるのは、そこにいるのが自分の敵ばかりであるということ――そして、そこに加わっている人形たちが見覚えのあるものだということだけだ。

「そいつら――月食みのゴーレムと同じね。そう――そういうことか。最初から……最初からお前が手ぐすねを引いていたってわけね。確定的な証拠は何もなかったし、疑いきれもしなかった……でも、もう隠す必要もなくなったから、こうして顔を出してきた」

「ええ、そうです。我が同胞はよくやってくれた。準備は既に整っている」

 リウェリンが、兵士たちと共に一歩一歩近づいてくる。カッサンドラは即座に魔術式を編み上げ、異空間への扉を開けた。

「へ、陛下!」

「お前は警察署へ走りなさい、早く!」

 空中に開いた穴へクレアを押しこみ、すぐさま閉じる。次元のずれた場所を通らせるため負担がないわけではないが、この場に留まるよりはよほど彼女の安全は確保できよう。出口は警察署のすぐ傍に穴を開けている。

「転移の魔術か」

 リウェリンが舌打ちした。

「無駄なことを。今頃は警察署も燃えている頃。助けなど来ませんよ」

「……そうね。でも今ここで死なせるよりはましよ。あの子は戦いは専門外ですから」

 クレアという庇うべき存在がいなくなった今、防御のために割いていた力は攻撃に回せる――カッサンドラが指を鳴らす。彼女の魔力を編み上げた炎が蛇の形を取ってリウェリンへ襲い掛かる――だが、その灼熱の蛇は目標へ届く前に霧散してしまった。

「無駄ですよ、大叔母上」

「これは……魔術防御の結界……?」

 魔術とは魔族にのみ与えられた力である。膨大な魔力とそれを扱う知識、技量が求められるそれを、人間であるリウェリンが行使するとは予想していなかった。それも、仮にも魔王たるカッサンドラの魔術を防ぐほど頑強な結界を作り出せるとは。

 リウェリンは「ハッハッハ!」と心底おかしそうに笑って、何やら鉄の箱らしきものを取り出した――魔術品だ。

「確かに魔術は魔族だけのものかもしれませんが、それを愚かにも魔術品として道具にしてしまったのが魔族の運の尽きというもの。一握りの優秀な魔術師だけに許された特権だったそれを、大衆の手が届く場所へ落としてしまったのがいけなかった。道具であれば人間でさえ手に取れる。仕組みを理解できる者がいれば、いかようにも改造できる」

 それが技術というものですよ、とリウェリンは言った。いかに魔術品といえど魔力のリソースがなければ扱いきれないものだが、月食みはこれまで数多くの魔宝石を盗んできた――それを活用すれば、魔王の魔術も防ぐ分には不可能ではなくなる。

「周到だこと。いつか何かをするのではないかと思っていたわ。賢しらなお前であれば」

「おや――これまで王国に尽くしてきた私に対して随分な言い草だ。私の采配がなければ勝てぬ戦も多かったというのに。確かに、その予感は間違ってはいませんでしたが、ああ、詰めの甘いことだ……疑わしきは罰せず、などと言っているからこうなるのです。冷血であるなら徹底していなければ」

 カッサンドラはただ、リウェリンを黙って睨む。目の前にいる、自分より若く自分より老いた男は、朗らかに笑うような顔をしていながら、その目は氷のように冷たかった。

「ご安心召されよ、破壊したのはあくまで城の一部にすぎません。ここで働く者たちは、庭園のほうへ逃げるよう誘導いたしましたとも」

「ふん――言い方次第で聞こえは良くなるものね。お前は庭園から私の臣下を出すつもりはないのでしょう。それに、全てを逃がしたわけでもないわね……」

 リウェリンにとって魔族が敵であるのなら、それを親切に誰一人欠けることのないように守り抜く必要はどこにもない。

「よくおわかりで。そうですとも、救いようのない逃げ遅れと邪魔にしかならぬ老いぼれの魔族どもは仕方がない。慈悲の与えようもありませぬ。だが、有象無象の凡夫どもは命を守る価値がある。何せあなたが価値を感じているものたちだ。あの氷漬けになって朽ち果てた、しかし新たな緑が芽吹き始めたあの庭は、いわば巨大な檻――あれらの愚か者どもはわかりやすい形をした人質です。いえ、あれだけではない」

 わざわざ目立つかたちで魔王城を襲撃してきたリウェリン。周到な準備を悟られぬよう振る舞い、ついにそれを実行に移したこの男が、ただ魔王城で働いていた者たちだけにしか気を配っていないはずがない。

「この王都中に、爆弾を仕掛けてある。私の意思一つで起動する兵器だ。そこから一歩でも動いてごらんなさいませ――それで失われる命は果たしていかほどかな……?」

 王都には、百万の民が暮らしている。当然ながらその多くが魔族であり――即ち、カッサンドラに揺さぶりをかけるためだけに、リウェリンが躊躇いなく処分できる存在だ。

 もし――本当に、それだけの人命が失われたら。それだけの労働力が滅ぼされれば、都市機能は完全に麻痺する。恐らく残されるのであろう人間の数を考えると、愚策としか言いようがない。それは単なる脅しに過ぎない。少なくとも全てを殺し尽くすはずはなかった。

 だが、それでも、犠牲が出ないとは言い切れなかった。カッサンドラに、人の心を測る魔術は使えない。リウェリンの冷徹な瞳が、冗談か本気か、区別がつかないのだ。

「あなたの愛おしい臣民たちを失いたくないのなら、その玉座――私にお譲りいただこう」

 たとえそれが罠だとわかっていても、カッサンドラは魔王であり、この国の女王だ。王たるものとして、民を危険に晒す選択は、取れない。

挿絵(By みてみん)

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