第二話
ジゼルとの約束。陽が高い日中に、アウルたちは彼女の案内で王都の南部にあるロアー通りにやってきた。アーロンは今日は魔術師として作った薬を納品に行くついでに、他に探偵社から斡旋された浮気調査の依頼に当たらなければならないという話だ。アーロンは忙しい。
さて、ロアー通りにはレイファン銀行がある。市民に開かれた王都銀行や他の金融機関とは違い、いわゆるところの中央銀行にあたる。この国に流通するレイファン紙幣は全てここで製造され、政府が国を運営するための金もここに預けられている。宝石や貴金属といった宝物については、王城が管理する別の宝物庫に保管されているというが、とにかく、レイファン銀行には一般庶民では想像もつかないような額の金があるということだ。
「先週の人形が襲撃した事件のときは、金が運ばれてくるときを狙われたらしい。金庫を破るのは大変でも、金庫に入れようとするところをひったくるのはできるって思ったんだろうね。でも、トワイライト・ダスクロウがそれを邪魔したわけだ――ここだよ」
ジゼルが足を止めた。道端の鉄製の街灯があからさまに力を加えられて歪んでいた。まさにこの場所で戦っていたという痕跡だ。
折れ曲がった街灯に触れながら、ナイトオウルが「これをダスクロウがやったのですか」と問う。ジゼルは肯定した。
「アタシは通りすがりで途中から見てただけだが……こう、相手の人形を右手で引っ掴んでそこに叩きつけて、動けなくなったところで左手を使って魔宝石をぐしゃりさ」
彼女の身振り手振りは少しばかり大袈裟なくらいだったが、その分想像が湧いた。聞くだけでもなかなかにえげつない戦法である。本当に容赦がない。ナイトオウルも敵対する相手には過激な手法を取ることがあるが、ある意味兄弟機らしいといえば兄弟機らしい――のだろうか。あまり喜ばしくない一面のような気がしてならないが。
「まだ街灯が修理されていなくてよかったね。ま、最近騒がしいことが多いから……ここまで手が回らないんだろうけど。何かわかることはありそうかい、坊やたち」
「ううん……どうだろう」
ジゼルの証言、そしてこの場をぱっと見てわかることは、ダスクロウの戦闘能力は相当高いということだ。自動人形とは得てして人より強靭なものだが、片腕で相手の人形を抑え込めるほどのパワーを発揮できるというのは、戦うことを機能として持っている人形ならではのものだろう。
それ以外には、何せ一週間も経っているだけのことはあって、目につくような手がかりらしいものはない。破壊された人形とやらもとうに片付けられてしまっているのだから仕方がないことだ。
「ジゼル殿、その……ダスクロウを見たとき、他に居合わせた目撃者はいなかったのでしょうか」
「ダスクロウの姿を見たのはアタシだけだと思うよ。他の連中は騒ぎを聞きつけて後からやってきたけど、その時にはもう決着がついてて、ダスクロウもいなくなってたからね」
「そうですか。では私の弟を探すのはやはり容易くはなりませんか……」
ナイトオウルが呟くように言った。心なしか落胆したような声色である。アウルは上手い慰めも思いつかず、再び視線を歪んだ街灯へ戻した。
せめて何かもう少しないものか。見落としがないように観察するのは探偵の基本である。
街灯の修理がされていないだけで既にあらかた掃除されてしまっている場所だが、じっくりと目を凝らして眺めていると、ひとつ気が付いたことがある――魔力の痕跡だ。
自動人形の中には、魔族と同じように魔術を機能として使えるようになっているものがある。たとえばナイトオウルも、魔力を使って空気を操ることができる。そうして魔術を使った後には、魔力の痕跡が残るのだ。そうした痕跡は、魔族のように魔力を感じ取ることに長けた種族には、小さな歪みとして見える。
魔族は日常的に魔術を使うものだ。魔術師として真っ当に研鑽を積んだ者でなくとも、たとえば小さな火種を作るだとか、部屋を涼しくする程度の風を起こすだとか、その程度の魔術は誰でも自然と使うことができる。ゆえに魔術の痕跡があることそれ自体は何らおかしなことではなく、通常ならばすぐに消えてしまうようなもので、いちいちそれを気にかける魔族はいない。だが魔力には質というものがある――強力な魔術を使った後ならば、相応に濃い痕跡が残る。
この、曲げられた街灯に残っているものは、とても濃い。濃く、どんよりとした重みがあり、背筋がぞわりとするような気味の悪さを感じさせる。そしてアウルは、その魔力の性質について、覚えがある。これと同じ質の魔力に、触れたことがある――。
「紅い月……」
「まさか」
ぽつり、と零してしまったアウルの呟きを、ナイトオウルは聞き逃しはしなかった。
「あれは既に滅んだもののはずではないですか。メグ殿が回収できた石も既に魔力を失って、宝石らしい輝きすらなかったはずだ」
「うん……僕もわかっているんだけど、なんか、ここに残ってる魔力の感じが、あれに凄く似てるんだ……」
「なんだい、何かヒントでも見つかったのかい」
「あった、と言えばあったんですが……」
ジゼルの問いに、アウルは曖昧な笑みを返す他なかった。何と説明していいかわからないし、本当にただ似ているだけで別物なのかもしれない。紅い月――他者の魔力を食らって成長する魔宝石が、その類似品が、そう沢山あるなどとは考えがたいが。
とはいえ手がかりになり得るものとしてはこれくらいしかない。起動する前のダスクロウを見た限りでは、このような魔力の質をした魔宝石は使われていなかったはずであった。ならばこの痕跡は、ダスクロウに成敗された相手のものということだろうか。アウルたちがダスクロウを発見できていない間に、ダスクロウが紅い月――に似たもの――を手に入れていないのであれば、だが。
ジゼルに紅い月のことを簡単に説明する。以前世間を騒がせたナルシスイセンが密かに育てていた恐ろしい魔宝石だ。信じがたいことだが、それと非常によく似た魔力の痕跡が、ここに残っている。
「紅い月は人形を狂わせる。もしかしたら、ダスクロウはそういうおかしくなった人形だから、相手を壊したのかもしれない」
「ふうん、成る程ねえ。その紅い月ってのは、もうなくなっちまったはずなんだろ? そんなに強い力を持った魔宝石がそう沢山流通してるとは考えがたいが」
「僕もそう思います。でも、知らないだけで他にもあるのかも……手がかりが少なすぎて、推理っていうよりただの想像だけど。ダスクロウを作ったクラフトは、どうしてだか紅い月のことを知っていた。ダスクロウに紅い月を探させようとしていても変じゃないのかな、って」
何の根拠もない想像だけど、と念押しして、アウルは言った。今わかっていることからできる想像の一つだ。それが真実の答えであるかどうかは、実際にダスクロウと会ってみなければわからないけれど。
「ああ、でも全然理論的じゃないや。ただの勘、変なこと言いました」
「でもそう思うような理由はないこともないんだろ。だったらその勘ってやつで探してみるのもありかもしれないよ。どうせそれらしい手がかりがないってんなら、思いつくこと全部試してみればいいのさ」
ジゼルはそう言ってアウルの背を励ますように叩く。
アウルは最近身長が伸びてきていて、女性のジゼルとはそう変わらない程度には体が成長している。けれど温かみを持ったジゼルは、自分よりずっと大きな大人という感じがした。
「それに、あんた一人で全部やんなきゃいけないわけじゃないからね」
「当然です、この私もいるのですから」
ナイトオウルが胸を張って主張する。その姿が何だか面白くて、アウルはついくすりと笑ってしまった。
「ほら、だから気負うんじゃないよ。他に人形探しを頼んでるアタシが言う台詞じゃないかもしれないけどね」
そうやって笑う彼女に、アウルは今度こそしっかりと「はい」と返事をした。
◆◆◆
ジゼルがダスクロウを見た現場は、それ以上見つかるものもなく、次はジゼルの探し物について詳しく話を聞くことにした。
ロアー通りから少し離れて、食事も兼ねて近くの喫茶店に入る。あまり広くはないが、小奇麗である。アウルは初めて入る店だが、ジゼルは以前も利用したことがあるらしい。飯は安いわりにそこそこ美味いという。
魔族二人と人形が一機という組み合わせは他の客から注目を浴びて居心地が悪かった。体に変質のあるアウルもそうだが、特にナイトオウルは目立った。騎士のような雄々しい姿の彼は、飾られるだけの置物とはまた別の意味で美しいからだ。自動人形が普及した現在において、こうして人形を連れ歩く者はいるにはいるが、一度店に入ってしまうと街中の光景ではなくそこにあるモノとなってしまう。故に好奇の視線に晒されるのである。
アウルとしてはよくあることで気にしないが、ジゼルは依頼について話すつもりでここに来たのだ。彼女は嫌ではないだろうかとアウルは焦ったが、ジゼルは「いいよ、どこも同じさ。ここに決めたのはアタシだしね」と肩を竦めるだけだった。
適当に料理を注文して、ジゼルは探している人形について話してくれた。
「昨日も言ったけど、アタシが探してるのはギアスピード・ギアクセル。冤罪によって廃棄命令が出されて、姿を消してしまった。何が問題かって、あの子が戦闘用に作られているってことよ」
「戦闘用……ですか。それじゃあ警察も黙っていませんね」
「問答無用で破壊されちゃ困るわ。先にアタシが保護して、改めて裁判をやり直させるしかない」
自動人形は道具だ。作られる目的は様々だが、特に戦う能力を持っているとなると、それが罪を犯した者と思われているのなら野放しにされるはずがない。
「ギアクセルのことでわかってるのは、あの子は凄く足が速いってこと。その能力を活かして隠れているんだろうけど……」
その魔力の痕跡でも追うことができれば。そんな風に話を進めようとしたその時だった。
不意に、派手な破壊音がした。聞こえた音はそう遠くなく、恐らくは硝子か何かが割られたような、そんな音だ。何事が起きたのか、それを確かめなければならないような感覚がしている。野次馬根性だろうが何でもいい。この目で事態を確認しなくては!
アウルたちはテーブルに代金を叩きつけて店を飛び出した。釣銭がどうとか、気にしている場合ではない。騒がしい音がするほうに向かって駆けていく。そうして目に入ったのは、腕に籠を抱えている人形――そしてそれを追いかけている黒い影。
烏を思わせるような漆黒の体。翼はないが、逞しくしなやかな足が目標を捉えて転ばせ、起き上がれないように素早く上から圧し掛かる。相手の人形が持っていた籠の中身が散らばるのには目もくれず、その暗黒の腕が、迷いなく下敷きにした人形の胸を抉った。
そこから取り出したるは、赤い色に輝く魔宝石。人形の核となり動力炉となるそれを、アウルは、ナイトオウルは知っている。それは、それから感じられる魔力は、まさに紅い月そのものだと、離れていてもわかる――。
アウルは、恐る恐る近づく。
「トワイライト・ダスクロウ……やはりきみは、紅い月を追っていたのか」
その名を呼ばれて、黒の人形が振り返った。硝子の目がちかちかと光ったように見えた――まるで人が驚いたときにする瞬きのように。
そうして、不思議そうに首を傾げるのだ。表情などわからないような作りの顔をしているくせに、まさにそうとしか見えないような仕草をして、彼は言った。
「どうしてアウルくんがこんなとこにいるんだい?」
その言い回し。淡々として抑揚のない声色だが柔らかな口調で、とても――親しみ深いような、その言い方は、アウルには引っかかるものがある。
何故ダスクロウは、こんなにもアウルに対して警戒心を見せないのか。アウルのものとして管理されていた間は一度も起動することがなかったダスクロウが、何故アウルのことをアウルだと認識できるのだろう。まるで久方ぶりに再会した友のように、当たり前に返事をするそのわけは。まさか――そんなことはありえないはずなのに、妙な想像をしてしまう。もしかしたらと、アウルは疑惑を口にした。
「きみは――クラフト、なのか……?」
自分でも、何を言っているのだろうと思う。しかし、荒唐無稽な妄想のつもりはなかった。奇妙な話には違いないけれど、アウルの想像が真実なら、何とはなしにしっくりとくる。
黒の人形がアウルを見つめている。
「しばらくぶりだねえ」
――疑惑は、確信へと。