第十八話
ギアクセルに半ば拉致されたようなかたちでナイトオウルが連れていかれ、逃走は日が暮れるまで続いた。ギアクセルに担がれた状態で連れまわされるだけだったので、一体どの道をどう通ってきたのかも今一つ判然としない。そうして辺りに人の気配を感じなくなった頃、下ろされた先は、王都の中でも中心地から離れた場所にある古びた廃屋であった。
長年放置され続けているのであろう、壁の塗装はひび割れて剥がれている。天井にも穴が開き、床にはかびが生えている。どころか、外から入りこんだのだろう、何か雑草も芽吹いている。かろうじて屋根と壁があるだけで、ほとんど外と変わりない。
「ここは……」
「俺の隠れ家だ。いいとこだろう、あんまりボロ屋なもんで誰も寄り付かねえんだぜ。ホークショーの持ち物のはずだが、あいつここを直すだけの金がねえんだな。しみったれた貧乏ってのはイヤだね」
言いながら、遠慮することもなく慣れた様子で布の擦り切れたソファにどかりと腰かける。廃屋に不法侵入しているのかと思いきや、そういうわけでもないらしい。
「しばらくここを出るなよ。足がつくと困る」
追手がくるかはわからんが、とギアクセルは言った。こんなに遅い時間になってしまったから、アウルたちには心配をかけているかもしれない――が、目の前にギアクセルがいて、それを放置できるわけでもない。アウルたちへの弁明を用意しなければならない――ナイトオウルはこの際だと腹をくくることにした。まずは気にかかることから解明したい。
「……先程から言っているホークショーというのは?」
「ちいと頭はユルいが、調べものは得意な刑事さんさ。妙に俺のことを気に入ってんのか、今のところ協力してくれてるが……ま、俺にも無罪を信じてくれるやつがまだいるってわけよ。そんで、お前さんはジゼルの新しい人形ってわけかい」
「いや、私と彼女の間にお前が思うような主従関係はない」
あくまでも、ナイトオウルはアウルの所有物であり、フェアファクス探偵事務所の一員である。
折角話を聞いてくれる様子であるからと、ナイトオウルがジゼルの依頼があった経緯を話すと、ギアクセルは「ばかなオンナめ」と呟くように言った。
「いらん責任を感じていやがる。いや、そうさせてんのは俺なのか……」
「彼女はお前のことをひどく気にかけていた。解体されたくないのはわかる――だが、ジゼル殿には何の一言もなしか?」
ナイトオウルが問うと、ギアクセルは気まずそうに視線を逸らした。
「言ったら迷惑かけるかと思ったんだよ! 余計な苦労をかけたくねえって思ってたのに、わざわざ俺のこと探そうとか、全くもって合理的じゃねえじゃんか。そんなん予想つくかよ、クソ」
一応、彼も彼なりに気を遣ってのことであるらしい。ジゼルの性格を知っていれば彼女がどう行動するかくらいは想像がつきそうなものだが、人形の感覚としては合理性を優先して思考するのも当然と言えば当然だ。それが機械というものだ。ナイトオウルがアウルや他の誰かの感情をある程度察することができるのは、あくまでナイトオウルの思考回路がそのように設計されているからだ。生前のクラフト・クレーがそう望んだ。
「ああ、チクショウ、人ってのはわからねえ。一体何をどうすりゃ正解なんだ。何だってアブねーことに首突っ込んでくるんだ。大人しくしといてくれりゃ怖いことなんか何もねーのによ……」
「……何もかもが計算どおりになるくらいなら、それを人とは呼ぶまいよ。しかし危ないことをしている自覚があるのなら、それを控えるという選択肢はなかったのか」
「俺がそんな大人しくしていられるような性分に見えるか?」
「いいや」
明らかに戦闘用として制作されている身体と、荒っぽさのある言葉遣いや立ち振る舞いを思えば、他の美しい見目をした飾り物とは別であることくらい、誰にだってわかることだった。
問題は、何が彼をそこまで駆り立てるのかだ。解体されるのを恐れているだけならただ逃げ回ればいい話で、わざわざ盗人を破壊して目立つようなことをするのはそれこそ合理的ではない。
「お前の話を聞きたい」
ナイトオウルが促すと、ギアクセルは暫し逡巡してから頷いて、身の上話を語り出す。元々話をするためにここへ来たのだ。ナイトオウルの目的は伝えている。ならばそれに対する返事が必要だ。今はまだ戻る気はないというならそれでもいい、その理由を聞きださなければならない。
「俺は元々、お偉い貴族様の護衛として買われた人形だった。見た目でわかるだろうが、わりと旧式でよ。前の主は俺を大事にしてくださったが、今どきはもっと美しくて、出来のいい人形が沢山いる。今のご当主様は俺の裁判について、世間の騒ぎを大きくしないために、できるだけ罪が軽くなるようにしろと言ってジゼルに依頼を出した。あの時俺の無実を信じていたのは、ジゼルだけだった」
それはつまり――本当の持ち主には、全く信じてもらえなかったということだ。あるいは、真実などどうでもいいことだったのかもしれない。旧い人形が壊れておかしくなったので廃棄する、その程度の意識しかなかったかもしれない。彼を庇う者は、それこそジゼル以外に誰もいなかっただろう。依頼主の考えがどうあれ、ジゼルは弁護士として力を尽くしたはずだ。結果は芳しいものではなかったが。
「裁判に勝てねえのはしょうがねえことだった。なんせ俺がやってないっつー証拠がねえんだからよ。騒ぎを聞きつけて辿り着いたときにゃあ真犯人はとんずら、後から警察が来たときにいるのが俺だけとなると俺以外に怪しむものもなかろうよ」
人と違って人形はあくまでも器物であるから、犯罪の証拠も残りにくい一面がある。たとえばそれは、指紋がないということ。人であれば残す証拠を、人形は残さない。つまりは状況証拠だけが注目されるものとなる。
「狙われたのは宝石で、残ってんのもあったが、盗まれてどっかいっちまったもんもある。そんな状況がどう見える。なくなった石なんか、俺が魔力を食ったんだろうって言われるだけさ」
なんともやりきれない話であろう。やっていないことの証明は難しい。既にある証拠を覆すだけの材料は、それこそ目撃者や真犯人を見つけるしかない。今でこそその可能性は出てきたが、それも偶然的に転がり出てきただけのものだ。魔王が月食みを調べようとしていなければ誰もヒントさえ得ることのない話だった。
「何もかも――間が悪かった。それだけだ」
全てを諦めたような、あるいは悟りの境地へ至ったかのような、実に冷静さを保った一言だ。ギアクセルは自らの境遇を仕方ないことと受け入れている。
「しかしまあ、それはそれとしても、俺に罪を被せやがった真犯人ってのは腹が立つ。そういうクズ鉄野郎がいるから善良な誰かがワリを食う。俺は俺みたいに理不尽くらって泣かされる誰かを見たくねえわけよ。お前も想像してみろ、お前とか、お前の主人がだ。心当りなんかまるでないのに強盗だの殺人鬼だのと言いがかりをつけられたら腹立つだろ」
ナイトオウルはアウルがそのような目に遭ったら、恐らく冷静さを保つことはできないと感じた。災難というには精神的な苦痛が大きすぎる。真犯人を取り逃して冤罪をかけられるというのは、ギアクセルの言うとおり非常に不愉快で理不尽だ。
「とにかく犯罪者っつーのを世に放置してはおけん。そう思って犯罪者を見つけては通り魔してたらホークショーと出会って、俺が冤罪を被ったのは月食みとかいう連中のせいと知った」
「警察が捜査情報を漏らしたのか」
「あいつ月食みの捜査班じゃねえんだよな。だが別件で追っかけてる事件に関係ありそうだって考えてるらしい――ただ、同僚を説得するには材料がまだ足らんようだ。要は利害の一致から協力することになっただけのことさ」
つまりあまり表にはできない協力関係ということのようだ。月食みに関してはどんな情報でも欲しいという貪欲さのある魔王であれば、それなりに話を聞いてくれそうな気もするところだが、それもコネクションがなければ難しいところかもしれない。フェアファクス探偵事務所の場合は特殊事例であろう。ギアクセルという特殊なものが縁を紡いだだけのことだ。
「とにかく――月食みは壊すと決めた。俺が壊す、俺の手で壊す。俺が壊れるその日までに、必ず悪徳を破壊する。だから……まだジゼルんとこには戻れねえ」
「――そうか」
どうやら、ギアクセルの決意は固いらしい。であれば、ナイトオウルが無理矢理に彼を連れていこうとしても激しい抵抗にあうのは目に見えている。であれば、今無理をするのは得策ではない。互いにそれなりに戦闘力のある人形である以上、少なからず被害が出る。
とりあえずはギアクセルの考えはわかったのだから、このことをジゼルに伝えなければならない。もしくはその前にアウルたちに相談が必要だ。そもそも空にはもう星が見え、月が煌々と輝いている。こんなに遅い時間になってしまったのだから、きっと心配をかけている。
帰らなくては――だがその場を去ろうとするナイトオウルを、他ならぬギアクセルが止める。人とよく似た、されど鋼鉄の手が、ナイトオウルの手首をがっちりと掴んで離さない。
「これは……どういう意味だ、ギアクセル?」
「手伝ってくれ」
「――何?」
思いがけない言葉が飛んできたので、思わず聞き返してしまう。逃がさない、逃がす気はない。硝子の瞳であっても強く感じるその視線は、確かにナイトオウルを捕まえるためのものだ。されどそれは情報を漏らされたくないがゆえの足止めにしては、方向性が違うやり口のように感じられる。ギアクセルは、本心から、ナイトオウルの助力を求めている――。
「本命を潰しに行くのさ。月食みのねぐらを襲う」
「月食みの本拠地がわかっているのか!?」
「ホークショーからの情報で、怪しい結界が張られている場所を見つけている。俺だけじゃあ戦力不足だし、結界を破るだけの魔力も足りていなかったが、今日潰したやつの魔力を奪ったんで補填はできている。もうちっと魔力を集めてからにしようと思っていたが――お前がいてくれりゃあ話は別だ」
「私を手駒として数えれば、作戦の成功率は現実的な計算になると?」
「当然。この俺を抑え込めるハイスペックぶりを見込んで頼むと言ってる。問題は何だって早く解決するほうがいいもんだ。これが当たりなら、俺だって心置きなくジゼルに会えるしなア、お前も仕事を果たせるじゃねえの」
「それは……断るという選択肢がないのでは……?」
ギアクセルはナイトオウルと同じく表情の変化がわかる顔をしていないが、これが人であったなら、きっと笑っていただろう。企みがすっかり上手くいったような顔で、満足そうに唇を歪めたに違いないのだ。こんなことにまで関わるつもりはまるでなかったというのに――ギアクセルの言葉を借りるのなら、今この場で何もかも間が悪かったのは、ナイトオウルだ。間が悪いのなら仕方がない。それからは逃れられない。
ぼろぼろの屋根の隙間から、月明かりが差し込んでいる。がさがさと何か生き物の気配がするのは、鼠か蝙蝠か。アウルたちへの連絡もままならぬまま、されど今宵に帰還することは不可能であるらしい。




