プロローグ2
稀代の宝石泥棒、エコール・ナルシスイセンを討伐してから、三か月の時が経った。
毎回目立つ犯行予告と、それに見合った派手な手口での窃盗は人々の注目を集めた。彼に盗まれた数々の宝石は、結局全ては持ち主のもとに戻らないままだけれど、ナルシスイセンが滅んだ今世間からは忘れられつつある。
とはいえ彼がいなくなっても、人形の犯罪は続いている。むしろ、ナルシスイセンという派手な怪盗の登場がきっかけで、そういうものは一層増えた。魔族や人間といった人々が犯罪をしないとはいわないが、人のために作られた道具が人から離反することは、少なからずこの国の民に衝撃を与えている。結局、本当の平和というものはなかなか訪れないらしい。
それでも自動人形という存在は、すでに人の生活に馴染みすぎて、容易く切り捨て手放せるものではなくなっている。心を持った人形たちは、人の考えを理解したうえで助けとなる――その便利さを一度知ってしまえば、人はそれを捨てられないものだからだ。それだけが人形の価値であるというわけではないけれど。
フェアファクス探偵事務所で助手として働いているアウル・アシュレイにも、パートナーとなってくれる人形がいる。亡き友が制作した、騎士のような姿をした人形――ナイトメア・ナイトオウル。目が一つしかなくて、銀の翼がある、あからさまに人とは違う彼は、けれど心優しく誇り高い友である。
フェアファクス探偵事務所の主、アーロン・フェアファクスの遣いとして探偵社に向かう道中、隣を歩く友をしげしげと見つめていると、ナイトオウルが視線に気づいてこちらの顔を覗き込んでくる。
「アウル殿、どうかなさいましたか」
白銀の甲冑の姿に表情などないけれど、声色に想いが滲み出る、感情豊かな人形だ。人と何ら変わらない心を持つ彼を、アウルは好ましく思っている。
「いや……僕ヒトのこと言えた性質じゃなかったなと思っただけ」
つい見すぎてしまったようで、アウルはそう誤魔化した。アウルは人として生まれたが、魔族だ。それも特別魔力が強い体質らしくて、そのせいで、耳は羽で覆われているし、腕から翼が生えているという異形の姿をしている。自分が怪物的な外見であることを棚に上げて、誰かのことを言える立場にあるはずがなかった。
他愛のない会話をしながら歩いているうちに、探偵社のビルが見えてくる。世界中に支部を持つ探偵社の、ここレイファン王国における拠点というやつだ。
探偵社は探偵業を営む者にとっては重要な存在だ。探偵への依頼を取りまとめて仕事を斡旋する業者だが、世界各地に拠点を持ち、様々なコネクションを持っている探偵社にはあらゆる情報が集まる。今日のアウルたちの役目は、その探偵社に最近の事件の資料を貰いにいくことだ。
単純にそういうことがあった、と知るだけなら新聞を読めば済むことだが、その詳細な情報を知りたければ探偵社に行くのが一番良い。大きな事件であれば探偵社が関わっていることが多く、そうであれば探偵からの報告が上がっていて、それが記録に残されているのだ。無論守秘義務があるため、個人情報については別に保管されていて、そちらを閲覧するためには許可証が必要になる。
しかしながら、個人情報を除けば、探偵社に登録のある探偵であれば、事件記録を自由に閲覧し、複製を持ち帰ることが許されている。ナルシスイセンの登場以降、起こっている事件の傾向を見るため、アーロンはそれを必要としている。
アウルはフェアファクス探偵事務所の所属であるため、アーロンの代理となれる。探偵社の受付で用件を告げると、最近の事件のファイルを用意してくれるという。複製を用意するのには少々時間がかかるようなので、その間、アウルたちは探偵社の資料室で待つことに決めた。
「沢山の本がありますね……」
「これ全部昔の事件記録ファイルだよ。事件性のある出来事は全部記録を残しておく決まりになってるらしいからね。まあどこの誰の話っていうのはぼかされてるけど……」
本棚の資料は日付順に並べられている。今年の日付になっている適当な棚から資料を取りだしてみると、ナルシスイセンの名前も出てくる――というよりは、ナルシスイセンが関わる事件のファイルが両手で収まりきらないほどある、というのが正しかった。勿論他の人形や、人の犯罪も当然記録されているのだが、情報量がまるで違うのだ。今は話題にも上らないが、最早それはナルシスイセンのための棚といっても過言ではないほどで、やはり影響の大きい人形だったのだと今更ながら実感が湧いた。
幾つかのファイルを流し読みしていくうちに、ナルシスイセンの記述がなくなる。その後はありふれた窃盗等の事件が続くが、少しずつ人形の犯罪記録が以前より増えている。日夜報道される事件だけでなく、他にも世間で話題にならなかった事件が数多くあるのだ。
アウルがぱらぱらと頁をめくっていくのを、ナイトオウルが覗き込む。大して面白みがある話はあまりなく、ほとんど流し読みのようにしていたその時、ナイトオウルが「ちょっと待ってください」と言った。
何か気になる話でもあっただろうか。ナイトオウルに言われるがままに頁を戻していくと、そこに載っていたのは人形の行方不明事件であった。
自我を持つ自動人形が何らかの拍子に行方知れずになってしまう、ということは稀にだがないわけではない話だ。人の子供と同じで道に迷うこともあれば、高価な嗜好品であるがゆえに悪意ある誰かに盗み出されてしまうこともある。だが、そこに記載されていたのは、そうしたよくある話とは何か雰囲気が違っていた。
記録によれば、さる貴族の所有していた人形たちが全て行方知れずになってしまった、とある。人形たちは音楽に特化したものばかりで、要するに人形だけで作った音楽隊を持っていたのだが、その全てがいなくなってしまったというのだ。
数で言えば五十程度。決して少ないとは言えないそれを維持していた貴族の資産家ぶりも大したものだが、まさか全て行方がわからなくなってしまうとは誰が想像しただろう。事件記録には、人形たちがいなくなる前日までは、何らおかしな点は見当たらなかったと書かれている。理由も手段も全くわからないまま、一晩にして、五十もの人形が忽然と消えてしまったのだ。そして未だ人形たちは見つかっていない。
「奇妙な事件もあるものですね……」
ナイトオウルは事件記録を興味深そうに見ている。人形であるナイトオウルにとっては、何かしら琴線に触れるものがあるのかもしれなかった。
彼が言うとおり、確かに奇妙だ。嗜好品である自動人形が金目のものとして盗みの対象になることはあるが、それだけ多くの人形を盗み出して気づかれないとは考え難い。貴族の屋敷であるならば相応の警備があるはずで、そうでなくとも人目につかないはずがない大所帯だ。盗まれたのだとしたら、一体どのような手口を使ったというのか。
あるいは自分たちで屋敷を抜け出したのかもしれない。自動人形の心は通常ある程度人に従うよう調整されているとはいえ、人形が犯罪を起こすことがあるのは、必ずしも全ての人形が完璧に調整されているとは限らないからだ。ナルシスイセンという良い例がある。
人形たちが不満を抱いて主から離反したのか――だとすれば、彼らは今どこにいるのだろう。五十もの人形が誰にも見つからないままでいるとは、本当に奇妙な話だ。
しかしながら事件記録を読むだけでは答えは出ない。こういうこともあったのだ、と頭に入れて次の頁を捲っていく。
もうすぐファイルの中身を全て見終えようかというタイミングで、複製が用意できたとアナウンスがあった。
「行こうかナイトオウル」
「はい」
今日ここへ来た目的はそれだ。読みかけのファイルを本棚に戻して受付へ戻る。フェアファクス探偵事務所でアーロンが待っているのだ――急がなくては。
◆◆◆
アウルたちが探偵事務所に戻ると、アーロン・フェアファクスは何か薬を調合している最中だった。
フェアファクス探偵事務所は探偵という看板こそ掲げているが、それだけの場所ではない。薬草魔術を扱う魔術師でもあるアーロンは、その特技も稼ぎ口にしている。それについてはアウルたちが手伝えることは少なく、何やら集中しているようだったので邪魔しないようにするのが関の山だ。
急いで戻ったはいいが、アーロンはまだ資料に目を通している場合ではなさそうだ。かといってアウルたちに他にできることもさほどなく、先に貰ってきたばかりの資料の写しを見ておくことにする。
ぱらぱらと頁を捲って出てくるのは、新聞でも読んだような事件のまとめばかりだ。そして探偵社で読んでいたものと同じように、人形たちの事件が多く記載されている。
資料を読み進めていくと、引っかかることが一つあった。時折、同じ日付にやたら多くの記録が書かれていることがある。そしてその事件の内容が、どれも似通っているのだ――全て人形の犯罪記録だ。人形たちが同じ日に別の場所を襲って宝石を盗むという、何やらナルシスイセンが増殖したかのような事件ばかり書かれている。しかも、その日目撃されたという人形の数が、ちょうど先程見た、行方不明になった人形たちと一致しているのだ。
まるで示し合わせたかのように同日に人形たちが悪事を働くというのは、偶然にしては何か薄気味悪いものがあって、謎めいた話だった。むしろこれは、組織的というのではなかろうか。これだけ同時に騒ぎが起こると、警察なんかも対応しきれなくなってしまうのではないか。その隙に逃げ果せる――そういう意図があってやっているのではないかと、疑惑が頭をもたげてくる。
――いなくなった人形たちが、組織的な犯罪行為をしているのではないか。
勿論、貰った事件の資料は個人情報が削除されているものであり、そこに明確な繋がりを見出すことはできない。けれど関係性を感じさせるそれは、嫌な予感がしてならない。
宝石泥棒をしているという時点でナルシスイセンを思わせるのがいけないのだ。三か月も前のこととはいえ、ちょっとしたトラウマのようになっているのかもしれない、とアウルは思った。どうも冷静ではないようだ。
「物騒なことですね」
ナイトオウルの一言が全てだった。それ以上に、何か言えることがなかった。
アウルたちが資料を読んでいる間にアーロンの薬の調合はひと段落ついたようで、彼が「次は私が読む」と言った。
その時だった。事務所の玄関のドアを叩く音がする。
それは少しばかり乱暴で、慌てているようだった。アウルがドアを開けると、目に飛び込んでくるのは美しい金の髪を持つ娘――アウルの良き友人である宝石商エストレ商会の令嬢、マーガレット・エストレであった。
「大変なの」とアウルに縋りつく彼女は、普段の余裕に満ち足りた愛らしい笑顔が消えうせ、焦りと不安に満ちた表情をしている。
「どうしたんだ、メグ嬢。らしくない慌てぶりだが」
アーロンがアウルの後ろから声をかける。いつもはもっと冷静なはずの彼女にしては尋常ではない。
アウルが彼女を宥めるようにその背中を撫でてやると、彼女は今にも泣きだしそうな顔をして「いなくなっちゃったの」と言った。
「いなくなるって、誰が……」
「クラフトの遺した人形が……一機、見当たらないの――倉庫に鍵をかけてたのに、その鍵が壊されてて……!」
聞き逃せない台詞が彼女の口から飛び出して、アウルは動揺した。亡き友の遺産が、盗まれた――?
ふと、ナイトオウルを見やると、彼は「探しましょう」と言った。表情がない人形でわかりやすくはないけれど、ナイトオウルにとっては兄弟機にあたるものが盗まれたというなら、落ち着いていられるものではないのだろう。今にも事務所を出ていきそうなナイトオウルを引き留めたのはアーロンだった。
「状況を聞こう。それが最優先だ」