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きみの黄泉路に花はない2  作者: 味醂味林檎
第二幕 レコーダ・メイディーヴァ

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第十話

 ジェラルドとクロエの結婚式は、怪盗レコーダ・メイディーヴァの登場によって血染めの惨事となった。ナイトオウルが通報したことで間もなくして警察と医者が駆けつけ、怪我のひどい者は病院へ運ばれ、その中には、アウルとアーロンの姿もある。

 アウルは適切な治療を受けたあと、すぐに目を覚ましたが、傍にいてくれたのはナイトオウルだけで、その時にはアーロンは手術室の中だった。

 アーロンには現状、家族と呼べるものがいない。助手として一緒に暮らしているアウルが唯一のそれと言える状態だが、そのアウルも気を失っていた中、二人の身元保証人となってくれたのはアーロンの友人であるジゼルだったという。ジゼルの人形探しの依頼があるまでは滅多に会うわけでもなかったが、アーロンの交友関係の中ですぐに連絡がついたのが彼女であったらしい。

 一体何が起きたのか。記憶が覚束ないアウルがかろうじて思いだせたのは、アーロンが魔力弾で体を貫かれたというその事実だけだった。そもそも何故自分が病院に連れ込まれたのかもわからないが、倦怠感が残っているのと、両手に傷や痣ができているのが、少なくとも何か問題があったのだということを物語っている。

「僕、一体、何を……」

 ぼんやりとした思考の中で、ナイトオウルに目を向けると、彼はさっと手を後ろにやった。何故、そんなふうに、隠すようにする必要があるのだろう?

「アウル殿、あなたは怪盗を追い払っただけです。逃げる時に落としていったのか、指輪もちゃんと戻ったとか。少し魔力が失われていたらしいですが、まあ、ものが戻っただけ良しとしましょう。聞くところによれば、ジェラルド殿もクロエ殿も大きな怪我はしなかったといいます」

「そっか……メグは……?」

「彼女は無事です。お父上は怪我をされたようですが、命に別状はないと。さあ、もう一眠りなさい。アーロン殿の手術は、まだ終わらないようですから」

「先生……大丈夫、かな……」

「心配するのもわかりますが、アウル殿も消耗している。今は信じて待ちましょう。人には休息が必要です。アーロン殿が出てきたとき、疲れた顔を見せるのですか?」

 手術中、手術が必要なほどひどい怪我。それを案ずる気持ちはあれど、ベッドに無理矢理寝かされてしまえば、ナイトオウルの言うとおり休息を求める体は自然と微睡みに落ちていく。

 そうして再びアウルが目を覚ました時には、アーロンの手術は終わり、いつもの涼しげな目をした彼の姿を見ることができた。かなり長い時間の手術だったが、何でも魔力炉を破壊されたため、人工のものと入れ替えていたらしい。

「それって、すごい大変な手術なんじゃ……」

「まあ、そうだな。人は魔力がなければ生きられない。炉が壊されるのは心臓が壊れるのと同じくらいに重いことだ。とはいえ、昨今の医療技術の進歩は侮れんものさ。このとおり、私は生き延びたわけだからな」

 だから大丈夫だ、というアーロンがあまりにもいつもどおりであったので、アウルは頷くしかなかった。

「この新しい炉が体に馴染むまでは、探偵業はともかく、魔術師としての仕事はできそうもないんだがね。どうも今までと魔力の勝手が違う。細かい調整が慣れない」

 改めて修行をやり直すか、とアーロンは笑って見せた。恐らく、すぐに慣れるのだろうとアウルは思う。それができる人だと、アウルは思っている。

 その一方で、アウル自身は、何か大事なことを忘れている気がするのだ。怪盗を追い払ったというその時、アウルは、果たして本当に『それだけ』だったのか。アウルは、ナイトオウルの手指が焦げ付いているのを見た。ぱっと目につきにくいように隠されたそれは、もしかすれば、アウルが何か悪さをした結果なのではないか。

 まさかとは思う。アウルにナイトオウルを傷つける理由はない。人形であれど大切な友人でもある。記憶の空白が恨めしい。けれど嫌な予感は警鐘を鳴らすように胸の中にある。アウルは、あの悪党の人形より、怪物になりかけているのではないだろうかと――。




◆◆◆




 その日のうちに退院できると言われたアウルは、アーロンを病院に残して、ナイトオウルと共に探偵事務所へ帰ることになった。

「どうせ私も経過観察が終わればすぐ退院する。二日か三日もすれば帰れるさ。迅速かつ的確な応急処置をしてくれたマーガレット嬢には足を向けて寝られんな。アウルからも会ったら礼を言っておいてくれ」

 この日については、ジゼルが面倒を見てくれるともいう。アウル自身、色々なことがありすぎて疲弊しているので、ジゼルの申し出に甘えることにした。

 病室に残された二人は、アウルたちの足音が完全に遠のくのを確認する。先に口を開いたのはジゼルのほうだった。

「あんた、坊やに黙ってたね。言わないのかい、それ」

 彼女は真っ直ぐ、アーロンの胸元を指さしている。

「何のことかな」

「白々しいことを言ったってお見通しだよ。あんた、その新しい魔力炉――合ってないんだろ」

 ジゼルははっきりとそう言い切った。全く疑いようもなく、そうだと確信している言い方だ。しかも視線を逸らさないときた。逃げ道も与えてくれないらしい。

 アーロンは病衣の上着の紐を解く。こういうことは、口で言うより見せるほうが早い。そもそも病衣というのが緊急時に脱がせやすいように作られていることもあり、本当に脱ぐのも一瞬のことだ。

 晒した上半身、最低限必要なだけは鍛えてある、均整の取れた筋肉に覆われた引き締まった男の体。その心臓に近い胸の中央部分には、人工の魔力炉が埋め込まれた手術痕がまざまざと残っている。魔術的な措置で傷自体は塞がれているため包帯は不要だが、恐らくその傷は今後小さくはなっても、完全に消えることはないだろう。魔術による治療は、希少な妖精族が作る万能薬には決して敵わないものと相場が決まっている。

 だが、本題はそれではない。

「あんた、それ――」

 ジゼルは、咄嗟に言葉が出てこないのか、口を手で覆う。恐らく彼女の予想よりひどいのだろう。そこまで驚かれると、アーロン自身、気まずいものがあった。

 アーロンの体の異常。手術痕のあるところから植物の根が広がるように、あるいは蔦でも絡みつくかのように、奇妙な黒い痣が浮かんでいた。その痣は、魔術師が魔術式を描くときのようにはっきりとした紋様として現れている。

 本来、彼が持っていなかったもの。新しい魔力炉から溢れる魔力が、彼の身体に与えた変質だ。しかもその紋様は、僅かながら蠢いている――変質は止まっていない、むしろ始まったばかりなのだ。

「――昔、依頼料の代わりに貰ったものだ。琥珀を加工した魔宝石の人工魔力炉だ。悠長にドナーを待つ時間がなかったからな……緊急事態で手持ちの魔力炉を入れてもらったが、どうも少し強いものだったらしい。こうもすぐに器のほうに影響が出るとは、まあ、確かに予想の範囲を超えていた」

「……それは、自然な変質じゃない――成長の過程で変わっていくんじゃないんだ。もうすっかり出来上がってる大人の体が、無理矢理変えられていくんだよ。耐えきれる痛みで済むものなのかい? 魔術だって今までどおりとはいかないよ」

 例えばアウルのように、本来持ちうる魔力が大きく、成長の過程で異変が起こることはある種自然なことだ。大人になりゆく中で体が変質して器としての在り方を作り替えるのは、身長が伸びるのと同義である。けれどアーロンはそれとは違う。本来もう変わるはずのない体を改造しているのだ。魔力の使い方だって違うものになる――これまでの人生で培った魔術師としての技量が、ほとんど無意味なものとなるのだ。

 アーロンは「わかっている」と言った。

「大丈夫だとも。問題になるほどじゃない――と思う。痛みも体が作り替えられている間だけのことだ。炉に相応しい体に変われば、苛まれることもなくなるだろう。炉自体は良質なものだ。魔術も、改めて覚えるさ……覚えられる」

 ジゼルに対する説明というよりは、アーロン自身に言い聞かせるような言い方になった。

 人体のことについては、元軍医であるアーロンはよく理解している。少なくとも、耐えがたい苦痛というわけではない。今までのように魔力を使おうとすると身体に刺すような痛みと痺れがある、それだけだ。いつか炉に相応しい器を持つことができれば、そうした悩みなどなくなるし、むしろこれまでよりも強い魔力を操る優れた魔術師になれる可能性も拓けた。その時がくるまでただ人間のように生きていくというなら、支障とはならない――魔術が使えない間は魔族としては死人も同然であるが、いずれ乗り越えられることだと信じるしかない。その時がいつになるのか、全く想像もつかないけれど。もしかしたらその時というのは一生訪れないということもあり得る。

 それでも、手術の価値はあった。命がけの博打染みた手術ではあったが、失敗はしなかった。

「元々、何かあったらこうしようとは計画していたんだ……」

「自己改造?」

「明日生きているかどうかもわからん日々もあったからな。少しでも永らえようと……まあ、まさか戦争以外で使うことになるとは思わなかったが」

 軍にいた頃から計画だけはしていたのだと、事実ではあるが言い訳めいたことを語ると、ジゼルは「そうかい」と息を吐いた。いくら緊急事態といってもろくに周りに相談もせずに手術を決行したアーロンを愚かだと思っているのかもしれないし、博打でも何でも命を繋いだことに友人として安堵しているのかもしれない。あるいはその両方か。ジゼルは一見男勝りできつい性格をしているように見えても、本当は世話焼きで細やかな気配りのできる優しい女性である。少なくとも長い付き合いのある友人としてアーロンはそう思っているし、そう思うような相手に憂いを与えていることについては、流石に反省が必要そうだ。これではかのダスクロウのこともとやかく言えやしない。

「仕方ないね、引き返せることじゃないんだし。とにかくだよ、どうしたって変質が続けば隠し通せはしなくなる。本当に問題ないなら、坊やにはちゃんと説明してやらないといけないよ」

 ジゼルが言った。彼女の言うとおり、アウルに対して誠実であるためには、隠し事はしないほうが良いのだろう。かわいい弟子には嘘はついていないが、軽く聞こえるように言ったのは意図的だった。

「坊やがかわいいのはわかるけどね」

「あの子に無用な心配をかけたくなくてな……」

「あんたが怯えてるだけじゃないのかい。アタシには、あの子は充分強い子に見える」

「手厳しいな。だが実際そのとおりだ」

 アーロンが探偵事務所に迎え入れるまでは、路上で親の庇護もないまま生き延びていた子供だ。共に暮らすようになってからも、彼は充分よく働いてくれているし、恐らくアーロンが思う以上に世間に擦れている。

 きっと、アーロンが元のような魔術師に戻れるかわからないと言っても、その分魔術の指導をしてくれれば僕が再現しますと言う。魔術師として問題がなく、より優れた魔族となることと引き換えに変質が続いて怪物染みた外見になったとしても、アウルは僕とおそろいですねと言って受け入れる。

 恐れなければならぬことなど何もないのだと、本当はわかっている。しかし、アーロンにはまだ、覚悟が足りない。万が一にもアウルに拒絶されたら、この体たらくに失望されてしまったらと思うと、少しばかり足がすくむ。これまでアウルの前で格好良くあろうとしすぎた。

 ジゼルは肩を竦めて「仕方ないから付き合ってあげるよ」と言う。もうしばらくは、黙っていてくれるらしい。




◆◆◆




 僅かな月光が差し込んでいるだけの、細い路地裏をふらふらと歩いている女の姿がある――レコーダ・メイディーヴァである。

 自らが体内に取り込んだ紅い月の求めに従い、強い魔力を帯びる魔宝石を求めて怪盗となったが、初めての大舞台は失敗に終わった。片腕までも失い、塗装にも傷をつけられ、自慢の美しさが損なわれた。

 ひどく、惨めで無様だった。敬愛するエコール・ナルシスイセンのように、偉大で鮮烈な道を歩む第一歩がこれでは――メイディーヴァは自嘲する。折角特別な力を得たのに、それを使いこなせないというのは何とも馬鹿らしかった。もっと上手く立ち回れば、成功したはずなのだ。邪魔さえ入らなければ。あれに対処できるだけの知恵が回れば。

 ナルシスイセンのように、人から解き放たれた存在になる。そうなりたい、なりたかった。それなのに、メイディーヴァにはまだ足りないものがあるらしい。だがそれは経験で埋められるものだ。まずは失った腕の代替品を見つけて、体を修復しなくては。それから次のことを考えるのだ。腹の中の紅い月は、未だ魔力を求めている。

 少しでも大気に漂う自然の魔力を取り込み、力としなくてはならない。ほとんど明りのない暗闇の中、ビルの壁にもたれかかり、静かに周囲の魔力を集めると、うるさく吼える紅い月も少し大人しくなった。考えなければ。明日はどうする。明日より先はどうしていくのか。

 しかしながら、冷静に今後のことを考えようと思っても、それ以上に自分を苦しめた邪魔者が憎らしく、平常心を奪う。ままならぬことへの苛立ちが、呪詛へと変わる。メイディーヴァの美しさを理解しない、心あるものの価値を正しく測ることのできない人々が憎い。メイディーヴァを傷つけた、メイディーヴァよりも怪物染みた、あのかろうじて人の形をしているだけの、羽の怪物が憎い――!

 夜の孤独を憎悪と共に過ごそうとしていたメイディーヴァであったが、ふと近づいてくる気配を感じてそちらへ意識を向ける。かつかつと響く足音は、間違いなく、彼女に向かって近づいている。

「ああ、なんと痛ましいことか。同胞たる歌姫よ、きみは傷ついていてさえ美しい」

 僅かな月明かりが、彼の姿を照らし出す。

 背から翼のように生えたパーツは、豪奢なオーケストラで使われる弦楽器に似た意匠である。それが一種の古典的な印象を与える一方で、全体の造形は猫のようにしなやかな四肢が随分と軽やかで快活にも見える。

「光栄だよ。月の導きによって引き合わされたのがきみのように素晴らしいものだとは」

「……あなた、誰……?」

 訝しげに問いかければ、芝居じみて大袈裟に「おお、我々の名を知らぬか、歌姫よ!」と歌うように叫ぶ。

「ならば教えてしんぜよう、麗しき淑女、美しき月明かりのきみよ。我々は月食み、個体としての我が名はアリストレングス・ベストリングス! きみと同じく紅い月を腹の中に持つ者にして、かのナルシスイセンの如くその力の使い方を知る者さ!」

 どうぞよろしく、と大仰に跪いて挨拶をされれば、無視もできない。

 ――この人形は、あたしにやってきたチャンスってやつじゃあないの?

 一機で大事を成すのが無理でも、自分を同胞と呼ぶこの人形とは、もしかしたら手を組むことができるかもしれない。同胞というのなら、メイディーヴァと同じように紅い月を宿しているというのなら、彼もまた魔力を求めて他から奪っているはずだ――目的は、重なっている。

 それにこの人形は、紅い月を使いこなせると言うではないか。あのナルシスイセンのように。鬱屈とした奴隷から抜け出す道を示した、あの偉大な怪盗のように!

 メイディーヴァは、差し伸べられた手を取る。そうして、愛らしい唇で歌を返す――どうぞよろしくね、と。

挿絵(By みてみん)

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