プロローグ1
――誰にも内緒のことだけど、あたしにとって、彼は神様みたいなモノだった。
自動人形なんてものはつまらないものだ。最初から生きる意味を定められて生まれてくる。自分で選べることなんかなくて、ただ消費されていくだけの使い捨ての命だ。あたしだってそうだ。ただ歌うためだけに作られた飾り物。歌うことそれ自体は好きだけど、別に本当に歌いたい歌を好きに歌えるわけではない――あたしは生まれながらに自由ではないのだ。
でも、彼は違った。
連日ニュースに取り上げられて沢山の人たちの注目を浴びていた彼――エコール・ナルシスイセン。彼も人の心を慰めるために作られたのだろうけれど、そんな決められた役目だけに従っているような道具とは違った。彼は自分の意思で自分の生きたいように生きたのだ。あたしにはそれが眩しかった。憧れだった。自分で運命を選ぼうとするその姿は、あたしにとっては英雄そのものだった。
だって、あたしには勇気がなかったから。人に従わない生き方は、人に守られることもないということだから。あたしはそれが怖かったのだ。自分だけになったとき、あたしはこの世界を生きていけないと思ったから。たとえ誰かに滅ぼされることになろうと自分の選んだ生き方を貫きたいだなんて、そんなの、あたしにできるなんて思えなかった。
ナルシスイセンが壊れたと報道されたとき、あたしは彼を凄いと思った。だって彼は、最後まで人に与えられた役割に屈することをしなかったってことだ。彼は本物だったのだ。
人形としては間違っているのかもしれない。人に奉仕するために作られたものが人を裏切るのなら、それは失敗作なのかもしれない。でもあたしには、それは進化に見えた。人に支配される家畜から、自ら意思を持って羽ばたいていくことは、人形が至る新たな境地そのものではないか――。
けれど人がそれを認めることはない。あれだけ世間を騒がせていた彼のことなのに、あんなに注目を浴びていたはずなのに、いつの間にか誰も話題にしなくなった。なんてちっぽけな終末だろう。あんなにも偉大なナルシスイセンのことを忘れてしまえるだなんて、人の脳はどれだけ容量が少ないというのか。信じられないことだけれど、人の興味っていうのはすぐに移り変わって、そこにいないもののことなんか記憶の彼方だ。
でも――あたしだけは、ちゃんと覚えている。彼がいたということ。彼はあたしたち人形の進化の可能性を見せてくれたんだということを。
――だから、あたしは此処に来た。
王都の港の一画は、侵入禁止の看板が立っていて、人が入っていかないようにバリケードが作ってある。何故かって、それは地面が崩れて危ないから。ナルシスイセンがそこに隠れ家を持っていて、三か月前に崩壊してしまった。瓦礫がまだそのままで、ほとんど修繕作業も進んでいないから危険だというわけだ。
でもあたしにそんなもの関係ない。柵を易々と乗り越えて、彼の眠る場所へと向かう。
あたしが歌うのは昼間だけ。夜は自由だ。月明かりのもとで、足元に気を付けながら、そこへ近づいていくと――地面に、ぽっかりと穴が開いていた。
新聞の報道が間違いじゃないなら、彼はこの瓦礫の下に眠っているはずなのだ。
少しずつ、瓦礫の積み重なった場所を、下へ降りていく。スカートが引っかからないようにしなければ。ああ、折角なら着替えてくるんだった。
降りられるぎりぎりのところまで来てみても、どこにナルシスイセンが埋まっているのかわからなかった。探そうにも、あたしは力強さに特化しているわけじゃないから、難しそうだ。
それにしても痛ましいことだ。彼はとても素敵な人形なのに、こんな目に遭って、誰も彼のために悲しまないなんて――そんなのはおかしい。彼はもっと、もっとずっと人の心に根付き認められるべき存在だったのだ。
「あたしは……忘れないからね」
誰も悼まないのなら、あたしがそうする。他に誰もいないのなら、あたしは彼の崇高な遺志を継がなくては。だって、そうじゃなきゃ、彼があんまりにも報われない。
その時だった。月の輝きに照らされて、何かが光った。一体何だろう――手の届く場所にある。
それはきらきらとして、とても綺麗だ。暗闇の中の僅かな光だけでも、ひどく美しいものなのだと、直感的に理解できる。
あたしは気づけば、それに手を伸ばしていた。月に照らしてよく見れば、深い紅のようだった。小さな欠片のそれがあまりにも美しい。
まじまじとそれを見つめながら、あたしは、それを口の中へ押し込んだ。