逃げたい男
不可思議な出来事が目の前に叩きつけられるように流れていく。
俺の意思とは関係なく物事が進んで行くのは、この世界も変わりないようだ。
見知らぬ世界にいる不安と孤独感が眠気を遠ざけ、焦燥感を生み出す。
…何処に居ようとどのみち、睡眠薬がなければ眠れないのだが。
不眠症とは辛いものだ。夜は眠れないだけで計り知れないストレスを精神にもたらし、昼は眠気が身体と社会的評価にダメージを与える。
しかし、今の俺は不思議な安堵も抱いていた。
暗闇と静寂がそうさせるのか。
焚き火の揺らめきと影のダンスがそうさせるのか。
俺は遠い朝日を待ち、焚き火の揺らぎを見つめながら宵闇に抱かれ続けた。
…望み続けた朝日が登ってかなりの時間がたったがこの子は起きない。
時間を確認しようとスマホを見たが、画面がひび割れたそれが機能を発揮することは二度とない。
昨日転がった時にでも壊れたのか…。
気を失った彼女を気遣って起こさずにいたが、いい加減に出発したい。このまま去りたいがそうもいかないので起きてもらう事に決めた。
「おい…何時まで…いや、そろそろ起きて頂けるか?」
人に触れるのがいまだ怖い俺は、出来るだけ離れて彼女の肩を揺すった。
対人恐怖も患っているのかもしれないな。
「ふ…ぅん…あ…れ?私…」
思ったより素直に起きてくれた。ここでぐずられたら、俺は置き去りにしていただろう。
「あ、日が登って…!すみませんっ。ケンヤ様っ」
よく起き抜けに独楽鼠のように動けるな。と、感心した。
「いえ、謝罪は不要です。…それに、私に敬称は不要です。ミューゼお嬢様」
貴族の子女は名前で呼ぶのか?領地名で呼ぶのか?当たり前だがそんな知識は持ち合わせていない。
「あ、う、では、…ケンヤと、呼ばせていただきますね」
白い頬を僅かに赤く染めたミューゼははにかみながら笑みを返した。
寝不足の俺の目には眩しいな。
銀髪は光をよく反射するみたいだ。
寝不足で隈のできた、死んだような目で彼女を見つめた。
「賜りました。…この水をどうぞ。一息ついたら街に向かいましょう」
自分でも性急だと思うが、早く解放されたかったし、このままでは話しももたない。
当然だと思うが、会って1日の、自分よりも遥かに上位だと推定される女の子とにこやかに会話をするなど俺には出来ない。
そんな事が出来るなら、うつ病になどならなかっただろうし、営業成績ももっと良かったはずだ。
…職を失うこともなかっただろう。
「はいっ!早く帰りましょう!」
ミューゼは何が楽しいのか元気に返事をした。
助かったとはいえ襲われて、武装した知らない男と居るのに、この能天気さはなんだ。普通、怯えるだろう。
…俺がおかしいのか?ひねくれているだけなのか?何が正しいんだ?解らなくなってきた……。
街の場所は調べてある。ここから200メートルほどしか離れていない。
昨日、世界に一人だけだと気分に酔っていた自分が極まった馬鹿だと感じた。
人の営みはすぐ近くにあったのだ。
「あの、それも持っていくんですか??」
「ええ、もちろんですよ」
我が家の構築材料だ。持っていくに決まっているだろう?
出発しよう。たった200メートルの旅支度に何時間かかったのか。
太陽はもうすぐ頂点に達しようとしていた。
主人公はグダグタ悩み暗いので、登場人物は出来るだけ明るい感じにしようと思います。