王女殿下は諦めない! 4
どうしよう。怒らせてしまうなんて。
シノンの街の中で、頭を抱えたくなった。
「クー、ケンヤ様は、ケンヤ・フワ・フォン・ルーチェ・シノン・ローレリアズ」
三百年振りに顕れたシノン。
「神授の侯爵様なのですよ」
王都で高位貴族の少女達が夢中になって競いあっている、シノン選び。
容姿の良さや剣の腕のよい騎士を自分たちでシノンと呼び、侍らせる『遊びの』シノンじゃないわ。
私はクーを真剣に見つめた。
「あ、うぅ」
クーはさっきのショックで歩く事もままらない。あんなに怒りをぶつけられた事なんか、生まれて初めてですものね……。
レイバーンが占領され、ローレリアがチェレンコフ帝国と交戦状態だと早馬で聞かされてもここに向かったのは、私の我が儘だ。
どうしてもシノンをこの目で見たかった。
「でもっ、シノンならば王家の血を正統に受け継ぐ、姫様にかしずくべきですっ」
ノエルがそう言って右手を振った。
シノンは王家を護る、と、伝承にある。
私はシノンが自分に従ってくれると思い上がっていたのかもしれないわ。
「…ノエル、民を貶めるような言葉を放つ者達が、王家として相応しいでしょうか」
『下賎な平民』これが引き金になった。言わせてしまった私に責任がある。
「…う、で、でもっ、あんなっ、盗賊のような服装で、なにがシノンなものでしょうかっ」
ノエルはさらにいい募る。論点がずれているわ、ノエル。それはよくないわ。
「民あっての国、民あっての貴族なのですよ。自国の民を貶める事は、自分たち貴族を貶める事。民が賎しい生活をしているのなら、豊かに暮らせるように、私たちが国を富ませ導くのです。それが貴族の、王家の責務ですよ」
少なくとも、父王陛下もアルバース叔父様もそうやって国を富ませてきた。
「…はい、姫様…」
しぶしぶ頷くノエル。他の皆さんも納得出来ていないみたいね。今はそれでいいわ。
「あの者、本当にシノンなのでしょうか?」
「…そうね、服装も態度もあんまりに…」
「ミューゼさんは騙されているのでは?」
「ミューゼさんが心配だわ」
ミューゼは愛らしい見た目と素直な性格ですから、皆に可愛がられている。…王都には疎んでいる令嬢もいますが…。
しかし、とんでもない事を言い出したわね…。
戦争が一時終わったとは言え、油断ならない。戦時下なら服装はあれでおかしくはない。態度も堂々としたものだったし、口調も高位軍属者のものだ。
…もしかしたら、チェレンコフに滅ぼされた国々の高位貴族なのかもしれないわ。…それならば戦後の話も納得がゆくし……。
「姫様っ、問い質しにまいりましょっ!きっとボロを出すに決まってますっ」
いけないわ、これ以上不興を買っては……。
ノーザンテリアの侯爵位を受けて貰えなければ、ローレリアが正統な血筋と見えてしまう。神は王権をローレリアに移し、シノンを遣わしたと。政治的に不味いことになる。
それに、民を大事にされるケンヤ様に見離されたくない。そう感じるのです。
「……街の民達にお話を聞きませんか。ならず者ならば、民を蔑ろにしているはずです」
こうなっては止めることが出来ないわ…。
ある程度聞いたら、この子達も納得するでしょう。ふぅ…。
〜シノンの街 住民達〜
この街には店や露店が全くない。
「姫様、この武骨な街並み…砦のようですわ」
確かに関所の砦のようです。巨大都市ローレリアの中でも異彩をはなっています。
「あん?なんだい?…どっかの騎士さんかい?」
「…そりゃそうだ。ここにはシノン兵しかいてないからな」
「いいかいっ?そこで閣下はなっ、こう…」
「閣下はたった一人で向かおうと……」
「この壁を積んでくださったのは……」
…悪い話しは全くありません。気さくでよい領主のようです。
「うぅぅっ、そんなっ。納得出来ませんわっ」
「……戦果にしても大袈裟ではありませんこと?百人足らずで大軍に突撃、撃破など」
それは…確かに……それが本当なら、サーガの英雄ですが……。
「嘘だと思うなら、戦場を観てらっしゃい」
不意にかけられた声に振り向くと、赤毛で少しつり目の女性が此方を睨んでいた。
「…貴女は?」
肩までの赤毛を払う仕草をしながら近付いてきた彼女は、こう名乗った。
「中将閣下直下、戦闘空兵団所属、第2中隊長、トステリアよ」
凛とした佇まい、強い眼差し。同じ女性なのに、思わず見とれてしまいそうな雰囲気があった。
「…私は、ロイヤルナイツ団長の、アステリアです。…よろしければ案内を頼んでも?」
私たちを試すような口調で彼女は言う。
「後悔するわよ。多分、ね」
彼女の言う事は正しく、私たちは後悔した。
目の前には荒廃した土地と無数の穴。
屍の匂いが充満し、まるで黄泉の影が辺りを包み込むよう。
地獄としか言いようがなかった。
「…この、この穴は…?」
吐き気をこらえ、口元を抑えながらトステリアに質問する。
「これは、墓穴よ。中将閣下は敵の戦死者をここに詰めて、焼き払ったわ」
おぞましい答えが返ってきた…。
あの話しは本当だったのですね…この穴全てが………。
「うぇっ」
「うぐっ、えっ」
吐き出してしまう子が出てしまった。
「……中将閣下は、亡国の士、なのでしょうね……」
トステリアは悲しげな目で遠くを見つめ、
「チェレンコフの侵略は苛烈を極め、国自体が殺戮場となった国もあるみたいだわ……」
目をつむり、深く息をはいた。
「閣下は、どれ程の地獄を見たのでしょうね…」
トステリアはふと、優しい眼差しになった。
「私は、閣下を御守りしたい」
それは曇りなき忠誠の瞳。
「そして、寝台に呼ばれたい」
く、曇りなき…えっ?
「にゃんにゃんしたい。癒してあげたい」
ちょっ、貴女はっ、な、何をっ。
「…んんっ、コホンッ。あ、あなたのはにゃしは、わかりましぇたっ!」
驚きました…急に何を言い出すのです…。
「…ちょっと忠誠心がまろび出たわ。ジュルッ。まあ、とにかく、私たちは91人でチェレンコフ軍を撤退させたわ。壊滅させたなんてのは、ただの噂よ。倒したのは精鋭、魔法化部隊と司令官。900人程だからね」
少数で敵を突破、敵司令官を打ち倒す。
伝説の名に相応しい。
「…彼が本当にシノンだとよくわかりました」
皆も納得したようです。
ノーザンテリアの為にも叙爵を承けてもらわないと。何より、私を認めてもらいたい。
ケンヤ様は、神とローレリアの血が認めていると仰いました。
私だってローレリアの血を受け継いでいるのですから、きっと。