逃げたい男 5
最後は悲惨な事故になったが、何とか勝てた。相手は化け物だ。賠償請求などしてこないだろう。
……この紋章は凄いな。全員に刻めば無敵じゃないか?なにか条件があるのだろうか?
「ケンヤっ、無事ですか?怪我はないですかっ?」
ミューゼが駆け寄って張り付いてきた。
振る舞いがやたら幼いが、幾つなんだ?ミューゼは。
「心配ありません。怪我はしておりませんよ」とにかく宥めて離れてもらおう。
やはり引っ付かれると抵抗がある。
「ケンヤ殿!助かりました」
ダリが剣を納めながら歩いてきた。
「見事な采配!感じ入る所余多っ!手本とさせて頂きまましょうぞ!」
「いえ、……君たちは正面からぶつかり過ぎだ。たとえ一万の敵にもあの戦い方だろう。絶対いつか負けるぞ」
今日も危なかったしな。
「む、耳が痛い…。しかし、それが騎士の誉れなれば」
それは違うんじゃないか?
「騎士は誉れの為に命を捨てるのか?ならば傭兵になるが宜しかろう。」
給料貰ってるはずだろうに。
「いや、それは誉れではない!」
「ならば泥をすすり、卑怯と罵られても守るべきを守り通す。それが騎士の誉れではないのかな?」
プロならクライアントを守りぬけよ。自分から不利な立場になるんじゃない。
「むむ、しかし…背負った家名が」
一兵士に家名なんか要らんだろ。主か死んだら領地も家名も失うわ。
「真の騎士になりたくば、家名など捨てるべきだ。一振りの剣や盾に名などいらん。名付きの名剣は己の君主ただ一つで充分である」
俺は思い付いたそれっぽい事をダリに叩きつけた。
「……これが、シノンか」
そんな、なかわないな。みたいな顔されても。
吹っ切れたような顔をしてダリは空を見上げた。
今シノン関係あった?一体シノンってどんな立場なんだ……。
「さあ、姫様、ケンヤ卿の側へ」
ダリは爽やかにミューゼを動かした。
いちいち爽やかな男だ。貴族って凄いな。
なに?何が始まるんだ。いい加減休ませてくれ。
「整列!」
ダリが号令をかけると俺の前に騎士がきれいに隊列を組んだ。
そして跪まつく。甲冑の音が鳴り響き、ざわめきが消えた。
「ミューゼ姫様がシノン、ケンヤ侯爵様!
御助力かたじけない!このご恩、必ずお返しいたします!」
「…大義でした。皆怪我もなく、妾は安心しましたよ。ケンヤ卿も。御無事で良かった」
ミューゼがそっと俺に抱きついた。
こう見ると立派な姫様にしか見えないな。
女は魔性と言うが、変わり過ぎだろう。
…いや、そうじゃない。
侯爵とか言わなかったか?
もしかして、シノンって冠位かなにかか?
どうする?俺の馬脚も精神も、限界が近いぞ。
ドドドドドド!
沢山の蹄の音が近づいてくる。
こんどはなんだ、ゴブ野郎の軍団か?
「閣下のお帰りのようです」
ダリはそう呟いて土埃を眺めた。
……凄まじい大部隊ですね。
目の前には数万の兵隊が列をなしている。
そりゃ増援はこないし、門も閉めるよな。
今のローレリアに兵士なんか居ないだろう。
全軍で探すなよ。防衛できないだろう。
「閣下、お帰りなっ!うわッ!」
閣下はダリを当たり前のように突き飛ばした。
「ミューゼ!おぉ!心配したぞ!無事か!」
銀髪のナイスミドルが駆け寄ってミューゼを抱き上げた。
「ふぁっ!?お父様!やめてっ。ミューゼはレディなんですよっ」
溶けた顔で生意気言ってるが。安心したんだろうな。仲が良いんだな。貴族の家庭って冷めきったイメージがあるんだが、そうでもなさそうだ。
「ミューゼ、まだまだ甘えていいんだぞぅ?何時までも父の娘で居てくれ」
なるほど、あの幼い精神はこうやって出来上がったのか。
俺は納得した。
「ミューゼはもう大人ですっ。シノンだって居てくれますものっ!」
おい、此方に話を振るな。
「なッ!」
絶句という名の絵にしたいぐらい見事な絶句だな。大丈夫か?息が止まったんじゃないか?
ミューゼは駆け寄って俺の腰にしがみついた。定位置である。
「貴様、いや、ころっ、いや、貴殿は一体?」
動揺し過ぎだろう。あと、不穏な発言はしないで頂きたい。
もうなるようにしかならないな。
俺は傍観を知った
「はじめまして閣下。私はケンヤ・フワ。ミューゼさまのシノンを賜りましてございます」
閣下は白眼を剥きギリギリと歯軋りをなさった。
「こ、こんな頼りなく細っちょろい騎士などおるか!どうみても吸血鬼の類いにしか見えぬ!」
ずいぶんお怒りのようだ。いいぞ、そのまま契約破棄を命じて俺の自由を取り戻すのだ。
「そも、シノンとは王族の守護者!神に自己犠牲と忠誠心を認められた真の騎士だけが就ける最上位の軍位である!」
そうなのか。初めて知ったな。ありがとう閣下。胸がスッとした。
やはり何かの間違えだったんだな。俺には犠牲になる勇気も根性もない。忠誠心など皆無だ。断言出来る。自暴自棄と打算しかなかったよ。
「ケンヤに酷いこと言わないでっ!」
ミューゼは怒り心頭だ。こいつでも怒る事があるんだな。俺はお前に酷い目に遇わされたが、ソコの所、どうだろう?
「恐れながら閣下、ケンヤ卿は恐るべき剣碗の持ち主。オーガをも一刀に打ち倒す程の武勇です!」
ダリは嬉しそうに俺を援護した。どうでもいいが、君たちは何時でもニコニコ、ニコニコ。幸せそうでよかったですね。
「ダリっ!よく見てみよ!そんな事信じられまい!」
確かにそうだがあんまり駄々を捏ねると、パパ嫌いっ!とか言われてしまうぞ?
「ケンヤは強いのっ。ケンヤに意地悪するお父様は嫌いっ!」
ほらな。
「くっ!今さら何を言っても仕方あるまいっ」
閣下は俺を睨み付けた。その目よりネチネチした意地悪そうな目付きの方が精神ダメージは高いぞ。
俺の上司がそうだったからな。
「…ケンヤ卿、貴卿にはローレリア22番街を領地として与えるっ」
これで良いでしょっ!早くどっかいって!って言わんばかりだな。
「閣下っ!それはあまりに!」
ダリが慌てて止めようとする。なぜだ?
「はっ!ありがとうございます。拝領させて頂きます。」俺は跪ついて頭を下げた。
ボロい家だろうが横になれればそれでいい。
早く解放されたかった。
「う、うむ。よく治めよ。」
なぜ、え?いいの?みたいな顔をするんだ?
俺はそんなに浅ましくないぞ?生きていければそれでいい。
「ミューゼ様、ここで」
「さあ、いきましょっ?ケンヤ」
お嬢ちゃんは家に帰りなさい。
「いえ、帰城されないのですか?」
「?領地に帰りましょうっ」
シノンの領地は私の物ってルールか?
閣下に視線を向けると、
「マジかよ…」
みたいな顔をした。いや、口に出した。
「み、ミューゼ。父と帰ろうね…?」
「いやっ!ケンヤを手伝うの」
「こいつ…ケンヤ卿は大丈夫!ほっとけば…いや、んんっ。ダリが手伝うからな!」
本音出過ぎだ。そんなんで外交とか出来るのか?
「ミューゼが手伝うのっ!お父様嫌いっ」
「ぐぅぅぅ!!」
二撃めは耐えれなかったらしい。閣下は固まってしまわれた。
「ケンヤ、案内するわっ」
ミューゼは俺の手を引いて歩きだす。
「大変だと思いますが、頑張って治めましょうね」
ダリもついて来た。
2日前は一人悩んでいた。闇の中、一人。
孤独を望んだ訳ではない。懸命に、規範を守り生きていたら孤独になった。
ここには陽気な人達が、暖かい空気があり、俺を包んでくれた。
もしかしたら、日本も同じだったのかもしれない。暖かい人達が居たんだろう。
今の俺には知るすべはない。
俺は逃げ出したこの先で生きていく。
格好悪く、情けなくても、生きて…
「ケンヤっ!屋台のおじさんです!お腹空きましたねっ!」
ミューゼが服を引っ張り空腹をアピールした。
今、ちょっといい事言ってたつもりなんですがね……。