91. 羊の紙
ようやくケイヴィスの話がおわるころには、ニィカの頭はつかれてじんじんしていた。
ケイヴィスは一度、二度せきばらいをして「ご理解頂けましたかな」とニィカにたずねた。ニィカの表情を見てすぐに苦笑いをうかべる。
「……まあよいでしょう。必要とあらば何度でもご説明致します。今日はこの辺りにしておきましょう。最後に書物をお持ち致しますから少々お待ち下さいね」
あわただしく服のすそを翻してケイヴィスが出て行く。ニィカはいすの背にもたれて長く長く息を吐いた。
重たげな足音が扉をへだてて近づいてきた。ニィカはいちど顔をぎゅっとしかめてから背中をのばした。
「ニィカ=アロアーラ様、ニィカ=アロアーラ様、この扉を開けては頂けませんか。ニィカ=アロアーラ様を使役するような真似事を致しまして心苦しい限りではありますが、このケイヴィス、生憎とただいま両手が塞がっておりまして」
「……はーい」
いすから下りてとびらに手をかける。ニィカよりはるかにおおきなとびら。思いきり力を入れて引くと、ずずっと開いた。
「いやいや、誠にありがとうございます」
ケイヴィスは背でとびらを押して入ってきた。両腕には高々と積んだ書物。
ぐるりと回りこもうとした彼の視界から、ニィカの姿はちょうど死角になっていた。重い腕が意図せずしてニィカを突き飛ばす。
「……おおっと!」
ケイヴィスの手からこぼれた書物が降る。尻餅をついたニィカは次の瞬間にはかびとほこりのにおいのする羊皮紙に埋もれることとなった。
「ああ、ああ、これはとんだ失礼を。申し訳ありません」
あわてて散らばった書物を拾い集めるケイヴィス。視線はずっと床を向いていて、ニィカは彼が謝っている相手は紙の束なのではないかと疑った。
床に書物が積みあがる。
「……さて、お怪我はございませんか、ニィカ=アロアーラ様。いやはや、ニィカ=アロアーラ様の幼くていらっしゃることを忘れていたわけではありませんが、うっかりして──」
「おでこをぶつけました」
ニィカは彼のことばをさえぎって不機嫌に告げた。前髪をかき上げて痛むところを見せつける。
「ほう? どれどれ……」
ケイヴィスが眉をよせてかがみこむ。ふんふんと何事かを考えながら親指でニィカのひたいをなでる。
「いや、よかったよかった。傷も瘤もありませんな。夜眠る頃にはすっかり痛みも消えていることでしょう。それにしても申し訳ありません。このケイヴィスのことを嫌わずにいてくださいますな」
ニィカはぶすくれたままうなずいた。
ぱんぱん、とケイヴィスが手をはらう。
「それではそろそろ私はお暇致しましょう。また明日、同じ時間に参ります。時間の空いたときで構いませんから、お持ちした書物に目を通していて下さいませ。書物の中でお分かりにならないことがございましたら明日お聞き致しましょう。このケイヴィスの殴り書きが読めないといったことでも結構でございますよ」
最後の言葉に自分で笑う。
「それではニィカ=アロアーラ様、どうぞ明日まで御機嫌よう」
「……はい、ケイヴィス先生」
ケイヴィスは満面の笑みをたたえてニィカの部屋を出て行った。