9. 街道へ
朝日の昇る頃にギュミルは目を開ける。ニィカはまだ子犬のように寝息を立てていた。
手早く朝の祈りを終え、鎖帷子に部分鎧を重ねる。金属の擦れ合う音に、小さな背中がもぞもぞと動いた。
ニィカはあくびをしながら部屋の出口に身を向ける。途中でその動きがぎょっと止まった。ギュミルをじろじろと見つめ、突然に思い出したように「騎士さん」と呼んだ。
灰色がかった穀物の粥を食べる。味付けは無かったが、ともかくきちんと料理されている。
まだ眠たいのか、ニィカの口数は少ない。ギュミルも自分から話す気はなく、朝食は静かに終わった。
昨夜のうちに用意していた袋をニィカが取りに行き、ふたりは馬小屋へむかった。
「アルベルト」
ギュミルの声に白馬が顔を上げて応える。慣れない場所と餌でも問題はなかったようだ。
「今日は少し重いぞ」
外に出てから、ニィカを馬上に押し上げる。突然に高くなった視界に彼女は興奮した声をあげた。
ギュミルがその後ろに乗り、左手でニィカを支えながら右手で手綱を取る。
「歩くぞ」
そう告げてからアルベルトに指示を出す。動き出したのに驚いてニィカが馬のたてがみをつかんだ。幸いなことにアルベルトは気を悪くしなかったようだ。
ゆっくりと草を踏みしだき、街道に至る。ニィカは並足のリズムに慣れたようで、今度は興味深そうに辺りを見渡している。ギュミルは彼女が急に身を乗り出したりしないよう、左腕に力をこめた。
「馬に乗るの、はじめて」
ニィカの首がギュミルを振り返る。その声は楽しげに弾んでいた。
「そうか。疲れたら言え」
「疲れないもん」
きっと真剣にそう思っているのだろう。ギュミルは馬に意識を戻すことにした。
アルベルトのほうはほとんど普段と変わりないように思える。全身甲冑のギュミルを乗せ、馬鎧を付けて走るよりは楽だろうか。
太陽が天頂に昇らないうちにニィカはギュミルの腕を叩き「つかれたぁ」とすねたような声で言った。
「わかった」
自分以外の人間、とりわけこのような子供の体力がどのようなものかは知らない。ギュミルは彼女の言葉を受け入れることにした。
まだ宿屋まではしばらくかかる。一旦街道の脇に退き、馬を下りた。抱き上げるようにしてニィカも下ろす。ニィカは踏み固められた道を避け、草の生える土に座り込んだ。
「ねえ、あとどのくらい?」
「この調子だと明日の夕頃になりそうだな」
「ええー……」
すっかりと機嫌を悪くしてしまっているようだ。
馬車の用意でもあればよかったか。いや、そのようなことを考えても仕方がない。ギュミルはぐいと体を伸ばした。
なにをすることもない退屈な時間が過ぎる。ニィカは手近にある草をぷちぷちとつんでいた。そろそろ疲れも取れただろうか。
「行くぞ。立て」
ニィカは「やだ」と座りこんだまま動かない。人参でも収穫するようにその黒いおさげをつかんで引っぱり上げたい衝動をこらえた。
辛抱強く説得を重ね、強硬手段に出ようかと彼が肚を決める三歩ほど手前でようやくニィカは立ちあがった。
「揺れるのが嫌なのか」
その子を再び馬に乗せる前に聞いてみた。
「わかんないけど、つかれるの」
無理もない答えだが、我慢してもらうしかない。
「昼寝でもしていろ」
ニィカは幼い頬をさらに膨らませた。つい先の仕事で相手をしたあの令嬢と、扱いにくさはいい勝負かもしれないな。気を遣ってやる必要がない分、まだ幾分こちらのほうが楽か。
ギュミルは再び馬を進ませた。