89. 寝所
野菜とハーブの煮込みに焼いたキジの肉、白身魚のパイ。ニィカは指を洗うのもそこそこに、一心に料理を口に運んだ。
「食欲が旺盛であるな」
ドルジャッド国王がタオルに指先をこすりつける。ニィカはもごもごと口の中のものを飲みこんでから答えた。
「食べられるときに食べておけって、アーロスに言われたんです」
「……誰と申した?」
「アーロス……。えっと、あたしの、友だちです」
「ふむ」と王は表情をやわらげてうなずいた。
ニィカは食卓のうえに軽く手を握った。パイの黄みがかった油が白いクロスにしみをつくった。
「寂しいか、御子よ」
しみを落とそうと、そわそわとクロスをこすっていたニィカの指先が止まった。
「はい。……すこし」
正直な回答にことばをつけ加えた。ドルジャッド国王がどんな答えをしてほしいのかわからなかったし、強がる気もちもあった。
国王は納得するように首をちいさく動かした。
「この地では次の食事の心配などする必要はない。満足するだけ食すがよい」
「はい、王様」
新しく運ばれてきたのはパン入りのこってりしたスープだった。こぼさないように注意しながらニィカはスプーンをほおばった。
落ちついた所作で口元をぬぐい、国王はニィカに告げた。
「明日からはそちに教師をつける。ドルジャッドの地の事を学ぶが良い」
聞き慣れないことばにニィカは小首をかしげた。
「教師はロシレイで学を修めた僧だ。安心するがよい」
そう言われてもわかったわけではなかったが、ニィカはそれ以上なにもたずねなかった。
最後にジャムをはさんだ焼き菓子が出されて、夕餉は終わりをむかえた。
ニィカはむずかしい顔で菓子をちびちびとかじる。
「口に合わぬか」
葡萄酒をたしなみながらドルジャッド国王は訊いた。ニィカは返事の前に首をふる。
「えっと、すごくおいしいです。でもおなかいっぱいで食べられないから……」
国王は声をださずに笑った。
「そちが望むのであれば明日も用意させよう」
食事が済むと男性使用人がふたたび椅子を動かしに来た。ドルジャッド国王が退出し、ニィカも立ち上がる。
おなかが満たされてふらふらとしながら部屋まで戻った。
ヘレーはニィカをゆったりとした衣服に着替えさせた。結っていた髪もほどいて、青い石のバンドをニィカに渡す。
「もうお寝みになられますか」
まぶたまでが重くなっていて、ニィカはうなずいた。
「ヘレーはずっとここにいるの?」
「ニィカ=アロアーラ様がお望みでございましたら」
なんの意図もない返答だったけれど、ニィカはすこしむっとした。
「あたし、ひとりで眠れる」
「ならばそのようにいたしましょう。明かりはいかがなさいますか」
「消していって」
はじめての場所で怖い気持ちもなくはなかった。意地を張ったのがわかりませんように、とニィカは眉を寄せていた。
「かしこまりました」
ニィカはベッドの上にぺたんと座りこんで青い石のバンドに祈りを捧げた。
横になるとヘレーが枕をととのえ、毛布をかけてくれた。やっぱり子供あつかいされているような気がして、ニィカはふくれっ面をした。
「お寝みなさいませ」
天蓋がしずしずと下りる。ヘレーの気配が一段遠くなった。
部屋のランプが消されると、自分が目を開けているのもわからないほどの暗闇がおとずれた。
ニィカはやわらかな毛布にくるまれてとろとろと眠りに落ちた。