86. 賓客
ドルジャッドでの居室は城の最上階だった。部屋に通されたニィカは呆気にとられてしばらく入り口で立ち尽くした。
広い部屋に重々しい家具。右奥にはおおきな天蓋つきのベッド。入り口から真向かいの壁には大人の背丈よりも高いガラス戸がはめ込まれて、半円形のバルコニーにつづいていた。そのガラス戸のさらに上からはステンドグラスが色とりどりの光を投げかけている。
「入るがよい」
うながされておずおずと一歩踏みだす。ふか、とした感触に視線を落とした。
「あっ!」
思わずさけんでいた。
「如何した」
「これ、パパのじゅうたん!」
兵士も絨毯の精巧な図柄に目を走らせた。
「汝に不自由の無きよう、リヒティアから種々の品を運び入れたと聞き及ぶ。他に要望があれば伝えよ」
それを聞き終えるまえに、ニィカは靴を脱ぎ捨てて絨毯の長い毛足にはだしを遊ばせていた。こしのある毛織りの感触がなつかしく気持ちよい。
兵士はそのようすをわずかなあいだ黙って眺め、「御子よ」と呼びかけた。ニィカはハッと振りかえる。
悪いことをしてしまった気分で次のことばを待つ。兵士は表情の読みとれない顔つきでつづけた。
「汝に召使いを一人付ける。しばし待たれよ」
「召使い……?」
こくりとうなずいて兵士は部屋を出ていった。
残されたニィカは部屋を見回し、閉められたとびらの彫刻を上から下まで観察し、そっと靴を履いた。
とびらが開いて入ってきたのは、ニィカよりふたまわりほど年上で、母親よりは若く見える女性だった。高く結いあげた髪をヘアネットで束ねているのでずいぶんと長身に見える。
「本日よりニィカ=アロアーラ様の身の回りのお世話をさせていただきます、ヘレーと申します」
ぴしりと背筋をのばして彼女はそう告げた。
「はじめまして」
知らない顔に緊張して、ニィカはちいさな声で言った。
「ご不自由がございましたらお申し付けくださいませ」
ヘレーはにこりともせずにつづけた。
ニィカはうつむきがちなまま「はい」と答えた。
「それではお召し替えの御用意をいたします」
「おめしかえ?」
ことばの意味がわからなくて聞きかえした。けれどもヘレーは「はい」とうなずいて出て行ってしまった。
落ち着かない気分で立ち尽くす。じゅうたんを足で探ったり、扉をほそく開けてこっそりと廊下をうかがったりしているうちに、ヘレーが戻ってきた。彼女の後ろには、布をいっぱいに抱えた女性がついてきていた。
「お待たせいたしました。それでは失礼いたします」
ヘレーはニィカに寄って衣服へ手をのばす。いちばん上のボタンがはずされたところでニィカはびくりと身を引いた。
「なに?」
「御夕食のためのお召し替えでございます」
ヘレーの後ろでは布を持ってきた女性がそれらを一枚ずつ広げて並べている。ようやくニィカはじぶんがいまから着替えさせられようとしていることに気づいた。
「いま着てるこれじゃだめ、ですか?」
「時と場所にふさわしい格好をしていただかなければなりません」
ニィカはじぶんのすがたにちらっと目を走らせてうなずいた。ニィカのまわりからリヒティアのものがひとつずつ消えていく。
ほっとしたように息をついてヘレーがふたたびニィカの服に手をかける。ニィカはあわてて言った。
「あたし、ひとりで着替えられる、……られ、ます」
眉をひそめてヘレーはニィカを見下ろす。
「そのようなわけにはまいりません」
「ほんとうにだいじょうぶ、ひとりでできます」
なにもできない子供あつかいされているようで居心地が悪い。ニィカはぶんぶんと首をふった。
ヘレーは「致しかねます」とぴしゃりと答えてニィカの服を脱がせつづけた。
とうとうニィカは「はい」と答えて、ヘレーの言うとおりに、腕を上げたり上をむいたりぐるりと回ったりした。