82. 平らかな道から
ずず、と動きを感じた。間もなく速度が増しておなかの奥が置いていかれるような感覚になる。
ゆっくり十数えるくらいの時間がたって、ニィカはおずおずと右どなりの兵を見あげた。
「ねえ、これ、ほんものの馬が引いてるの?」
かれはニィカと目をあわせてかすかに困惑をうかべた。ニィカはおなじ質問をくりかえす。
「……ああ、然様だ」
答えは返ってきたものの、兵士の口元は居心地悪そうに歯を見せたままだ。
「いままで乗った馬車とちがうみたい。ゆれないし、しずか」
「我が国の技術の粋だ」
兵士の声音がやわらいだ。ニィカはその仕事ぶりを探すかのようにきょろきょろと車内に目をやる。変わったものは見つけられず、やがて厚い背もたれにぽふんともたれる。
「きっと、馬もいい馬なんだ」
「当然だ」
答える彼のくちびるのわきにしわが寄る。得意げな色で笑っていた。
ひんぱんにことばを交わしたわけではないけれども、兵士たちの言葉や態度のはしばしから、ニィカはじぶんがドルジャッドにとっても少なからず重要な存在なのだと察した。
ニィカは馬車のなかで食べ、眠り、わがままも言わずにおとなしくしていた。
何度か昼と夜を越してドルジャッドの域内へ入った。そうとわかったのは口数のすくない兵士がぼそりと教えてくれたからで、ニィカは一瞬たりとも外を見ることはなかった。
あの土ぼこりの舞うイセファーにも、高く長くつづく国境の塀にも気づかなかった。
「……あとどれくらい?」
「何事もなければ十日余と言ったところか」
つまり、これまでの道のりとほとんど同じくらい。
「十日……」
ニィカはひとりごとのようにつぶやいて、なんとはなしに数を数えるように指を折った。
きっとかれの言ったとおりの日に着くのだろう。「何事」かが起こるのは道中ではないから。
ドルジャッドの道はなめらかだった。馬車は音もなく進み、ニィカはいま自分たちが動いているのか止まっているのかわからなくなるほどだった。
七日くらいが過ぎて、馬の歩みが遅くなってきた。渦をまくような坂道なのだと聞いた。がたん、がたんと段差を乗り越えるのも感じた。
「なんでこんな不便な道なの? おっきな街なんでしょ?」
兵士は口のはしにほんの少ししわを寄せて笑い、首を横にふった。
「さあ、知らぬな」
そんなふうにはとても見えなかったけれど、ニィカはなにも言わなかった。いまのニィカの仕事はいい子にしていることだ。