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ニィカ!  作者: 稲見晶
第一章 光の王国リヒティア
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8. 祈りと休息

 それほど時間を取ることもなく簡素な食事を終える。食器類を下げる前に、ニィカは羊の群れの描かれたタペストリーを指さして口を開いた。

「ベッドはあっちの部屋。ねえ騎士さん、なにか持っていくものってある?」

「……大切なものがあるのなら、荷物に入れておいたほうがいい」

 すぐに、言いかたが不吉すぎただろうかと後悔する。「家を空けることだしな」と言い足した。ニィカは不審に思った様子もなくうなずいた。


 ベッドがあるという部屋とは反対側、馬の家族のタペストリーに向かうニィカに言ってみた。

「頼み事ばかりで申し訳ないが、実は一頭馬を連れている。どこかつなげる場所があれば教えてほしい」

 振り返ったその瞳は好奇心に輝いていた。

「あの馬? ねえ、名前はなんていうの?」

 はじめて言葉を交わして以来、質問攻めにあっているような気がする。ただ、この他愛ない疑問に答えをこばむ理由もない。

「アルベルトだ」

 アルベルト、と幼い声が繰り返した。

「サリーとマールの小屋があるの。ほかの馬のにおいがあっても気にしない?」

「もちろんだ」

 アルベルトに代わって答える。もしかしたら気にしているのかもしれないが、そうした素振りを彼がギュミルに見せたことはない。


 案内された馬小屋は、家と隣りあった建物の裏手にあった。ついさっき馬の名前らしきものを聞いたが、今、小屋の中には何もいなかった。

 清潔な藁が厚く積もっている。アルベルトはギュミルに従って馬小屋に足を踏み入れた。

「ほらアルベルト、いっぱい食べて」

 ニィカは慣れた手つきで飼い葉桶に乾草を盛った。アルベルトが顔を近づける。彼女はその大きさを怖がるでもなくその首をなでる。

「きれいな馬。まっしろ」

「ここに馬はいないのか?」

 見ればわかる、間抜けな質問をしてしまった。ニィカはアルベルトから目を離さず答えた。

「いつもはサリーとマールがいるけど。今はパパとママといっしょに、リヒテシオンに行ってるの」

「馬車馬か」

 アルベルトの鼻先を手のひらでなでながらニィカはうなずいた。

 もしかしたらこの馬小屋が使われるのは、今晩が最後になるかもしれない。ギュミルは固く眉根を寄せた。


 アルベルトの様子も落ちついているのを確かめて、馬小屋を出た。

「これも家なのか?」

 馬小屋を背後に隠すようにうずくまる建物を指して訊いた。この子の質問癖がうつってしまったのかもしれない。

「あれは工房。パパがいろんなものを作るところ」

 袋物でしょ、敷物でしょ、とニィカが楽しげに指を折って教えてくれる。

「そうか」

 ギュミルはただうなずいた。


 家の中に戻る。羊のタペストリーをくぐって、ギュミルは戸惑った。あると聞いていたベッドが見当たらない。大判の布が入っている棚と、段差をつけた床に敷かれた絨毯。目に入るものはそれだけだった。

 ニィカは反対側の部屋にいる。明日の出立の支度をしているそうだ。

 ともかく床に座って休めないこともない。ここで危険があるとも思えず、ギュミルは部分鎧を外し、腰のベルトをほどいて鎖帷子を脱いだ。

 身軽になって息をつく。いたのが手のかからない子供で助かった。リヒテシオンに着いた後に彼女がどうなるのかはギュミルが考えることではない。


 壁のタペストリーが内側にふくらんで、ニィカが入ってきた。その体にはだいぶ大きな袋を肩からななめにかけている。それもアロアの作ったものだろうか。跳ねまわる野うさぎが生き生きと織りこまれている。

「大事なもの詰めてきたの」とニィカは胸を張った。

「そうか。今日は早く休んだほうがいい」

 なにを入れているのか興味はなかった。

「はあい」


 ニィカは答えて棚から布を取り出した。靴を脱いで絨毯の上にぺたりと座る。

「あまーにぇ にぃか ふれた ざしと ぽとにいた るいーすて」

 聞き慣れない言葉にギュミルは思わず振り返った。ニィカは指を組み、目を閉じている。頭にあったバンドは彼女の前に平たく折って置かれていた。

 唱えているのは父から教わったエイファーラの地の祈りだろうか。

「あまーにぇ しぃやすと く にぃこ のと ぷりぇはと るいーすて」

 ギュミルは信仰というものを持たない。騎士の務めに従って毎朝祈りの文句を唱えてはいるが、ギュミルの忠誠心はあくまで神ではなく国、そして王にむけられるものだ。

 不愉快に思うでも敬虔さに心を打たれるでもなく、ギュミルはその不思議な響きを持つ祈りを聞いていた。


 ニィカが琥珀の目を開けてふう、と息をついた。再びバンドを頭に巻き、持ってきていた布にくるまってその場に横になる。

 今度はなんだ、とギュミルが見ているうちに寝息が聞こえはじめた。どうやらこれがベッドだったらしい。

 女性と寝所を共にすると気にすることもないだろう。いるのは子供だ。そう考えてギュミルも棚から布を取って身を横たえた。

 絨毯は厚く肌に柔らかく、意外と快適だ。目を閉じて呼吸を落ち着ける。常のように慎重に統制された休息を取った。

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