79. 指揮権の裏
ベッゲイが大きな舌打ちをして、それ以後は言葉を発するものはなかった。厚い扉は室内のようすをわずかにも外へもらさない。
時おり大臣の咳ばらいが聞こえ、遠くで使用人たちが会話を交わすのが聞こえた。
会議の間のとびらがゆっくりと開く。ギュミルたちを呼びにきたのはコーデンだった。
「……話はついた。中へ入ってくれ」
その顔にはめずらしく疲れがにじんでいた。
元の場所へ着席して円卓を見渡す。
まゆをひそめ気味にしながらも背を伸ばして座るエウス。指先で机を軽くたたきながら黙考するリンゲル。
国王は玉座に身を深々としずめて臣下を見下ろす。
ケルーノはと見れば、意識があるのかも危ういほどに力なく背を丸め、うなだれていた。両脇にはニィカとアーロスがそれぞれ付いて彼の腕を支えていた。ふたりの子供によって動かされる大きなあやつり人形にも見えた。
全員の着座を待って国王は息を吸った。
「我らはニィカ=アロアーラをドルジャッドへと遣り、秘密裏に連れ戻すこととした。本件の指揮はケルーノと名乗るその者にとらせる。監督はリンゲルが行う」
「はっ」
ギュミルは答えてからケルーノのほうへふたたび視線を走らせた。ニィカが気付き、一瞬ぴくりと鼻に不快を寄せてからぷいと顔をそむけた。
「こんなのに任せて大丈夫なんですかね、陛下」
ヘイクが揶揄する響きで尋ねた。
「……そう信じるほかない。エウスの案――リヒティアへの不可侵も約させる」
まだなにか言いたげなヘイクを表情で制し、国王は続けた。
「これは決定である。重要なのは、彼がリヒティアの政をつかさどるこの王城とはまったく無関係の人間ということだ」
唇のはしを吊り上げてヘイクは笑った。
「なるほど、承知いたしましたとも、陛下」
「急ぎドルジャッドへ書状を送る。返事が来次第、ニィカ=アロアーラを出発させる。よいな」
国王の目はニィカに向いていた。
「はい」
ケルーノの手をかたく握り、ニィカは答えた。
「ならばこの場はこれで終いだ。室を出たならば本件は決して口外してはならぬ」
てんでに返答し、ひとり、またひとりと円卓を後にする。
ニィカとアーロスの呼び声にこたえてふらふらと立ち上がろうとするケルーノを横目に、ギュミルは外へ出た。太陽は思っていたよりはやく沈みはじめていた。
兵舎への道すがらに背後から声をかけられた。
「おい、熊」
「ヘイクか」
眉間にしわをよせて目を細めているのは西日のせいだけではないだろう。
「聞きたいことがある。顔貸せ」
返事も待たずに歩きだす。
「あの件は口外無用のはずだが」
「聞かれなきゃいいんだろ。なんならお前は首をふるだけでもいい」
ヘイクの歩調はゆるまない。ギュミルを振りかえることすらしない。
応じる労力と断る労力を天秤にかけて、ギュミルは「夕飯には切り上げろ」とだけ答えてついて行った。
ヘイクは自室にギュミルを招き入れ、奥のいすにどかりと腰を下ろした。
「お前も座れ」
「ああ」
隊長の居室は一般の騎士のそれの二倍以上の広さがある。ものを持たない性分のヘイクの部屋は殺風景な印象を受けた。リヒティア各地の品々を誇らしげにならべるエウスの部屋を思い起こす。
ギュミルはすこし角度をつけて向かいあう位置に座った。
その顔を下からのぞきこむように、ヘイクは彼を睨めつける。
「あいつのこと、信用できると思うか。……あの顔隠してたやつだけどよ」
「……いや」
かぶりをふるギュミルに、ヘイクは「ふうん」と相槌を打つ。
しばらく沈黙が下り、続きを求められているのだと察した。
「臆病で一人では何もできない奴だ。どうするつもりか知らないが、ドルジャッドと渡りあえるとは到底思えない」
「ふうん」と応える声が高くなった。ヘイクの興味をひいたらしい。
「なら、あいつが裏切るとは思ってねえんだな?」
ケルーノの振る舞いを呼び起こしながら、ギュミルは告げた。
「そうだな……。そんなことを考えつけはしないだろう」
ククッと笑う声。「何がおかしい」と苛立つギュミル。ヘイクは肘掛けに腕を乗せてふんぞり返るような格好になった。
「いや、そうだとしたらあいつも災難だよな」
「どういうことだ」
ヘイクははじめて、人目をはばかるように周囲を見渡した。とびらの外に耳をすませ、ギュミルと視線をあわせて唇をちいさく動かす。
「あの子供だの人質だのの代わりに犠牲にされんの、あいつだよ。……恩寵の娘を奪還した後は、全部あいつがしでかしたことにして隣国に引き渡して、あとは煮るなり焼くなりご自由にってとこだろうな」
冷笑を貼りつけたまま「どう思うよ、黒熊」と尋ねる。
ギュミルは「……それが陛下の意思ならば」と抑えた口調で答えた。
ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らす反応が帰ってきた。