70. 子供の話
翌日になっても修道院の者たちは去らなかった。治療室の奥半分は彼らの領分となり、厚い布の仕切りが吊るされた。
ニィカがそのむこうにいるということは容易に推し量れる事実だ。
「なんでまた、こんなところに好きこのんで」
「とんでもない加護の力だろ? 治療かね」
エウスが神経をとがらせているにもかかわらず、寄るとさわると話題はそのことばかりだった。今やニィカの存在どころか居所までが、はっきりと騎士全員の知るところとなっていた。
それでも治療室にはまだ彼らのあずかり知らない存在がいる。イセファーの青年、ケルーノだ。治療室に立ち寄った際、ギュミルは彼が見当たらないことに気づいていた。帰されたという話は聞かない。おそらくは仕切りのむこう側に移されたのだろう。
そしてワストレスの間に連れられて以降すがたを見ないアーロスも、おそらくは同じ場所にいる。
口外する許可は与えられていない。ギュミルは夜の森で獲物をまつ梟のように口をつぐんでいた。
治療室に吊るされた幕のあちらから話し声が漏れ聞こえる。そこからニィカ、アーロスに加えて三人目がいることは早々に騎士たちの知るところとなった。
仕切りを越えることは固く禁止され、憶測ばかりが飛び交う。
「……彼の傷が癒えてからだ」
国王はギュミルにそう告げた。あの二人をイセファーへと帰すのはしばし先になるだろうと。
理由も聞かず、ギュミルは承諾した。
玉座の上から重いため息が降る。
「これ以上、あの娘の反発を招いてはならぬ」
それが命令なのかごく個人的な嘆息なのかの判断はつかなかったが、「承知いたしました」と応えた。
ケルーノの意識が回復したためか、ニィカやアーロスは時折治療室の外へ出るようになった。
ニィカには常に修道院の者が複数で付き従っている。彼女をかこんで歩く長衣の集団は否応なく目立った。
一方のアーロスはひとりであちらこちらをうろついている。意外と口は堅いようでニィカに関する新たな情報を引き出すことはできなかったらしい。もっとも彼もまたなにも知らない、知らされてない可能性も大いにある。どちらにせよ、アーロスはおおむね自由に兵舎周辺を動き回ることを許されていた。
出歩く子供のすがたにも慣れはじめたころ、騒ぎは起こった。
「ねえ、アーロスはどこ」
琥珀色の瞳がギュミルを見上げる。修道僧があわてて駆けてきた。
ギュミルは眉を寄せる。夕飯を済ませ、あとは休むだけだった。この期におよんでの面倒ごとはごめんだ。
「知らん」
「ごはんの時間になっても帰ってきてないの」
「俺に聞くな」
ニィカがくちびるをとがらせる。
「ギュミル殿……」
おどおどとフードの下から哀願するような表情。修道僧がニィカとギュミルの顔を交互にうかがう。
「騎士さん、さがしてくれない?」
聞き入れてくれることを微塵も疑っていない口調だった。
「断る」
にべもなく答えるとニィカのしかめっ面が深まる。
「ねえ」
「俺が聞くのは陛下の言だけだ」
おまえのような子供に命令されてたまるかと苛立つ。
渋面にもめげずにニィカは果敢に言い返した。
「じゃ、王様に頼めば聞いてくれるんだ」
小鼻をふくらませたかと思うとおさげを揺らして彼に背を向ける。おつきの修道僧がギュミルに軽く礼をして裾をひるがえした。
ギュミルはニィカが去ったことに安堵し、自室でながながとベッドに横になった。
いくらなんでもこの時間に子供の捜索など聞き入れられるはずがない。
寝入りばなを叩き起こされ、ギュミルは自分の見通しの甘さを思い知った。
明るくなってからのほうが見つけやすいだろうが、勅命が下ってしまっては仕方がない。部屋を出てみるとすでに大々的な捜索がはじまっていた。
兵舎の中といわず外といわず、騎士たちがざわざわとうごめいている。時折あがる悪態のひとつひとつにギュミルは内心でうなずいた。
夜半を回りかけたころにどこからともなく「見つかったらしいぞ」と声が流れる。
ぱらぱらと兵舎へともどる人影が見える。ギュミルは真偽を確かめようとあくびを噛み殺して立っていた。
ゆっくりとした足音がふたつ近づいてくる。大柄な男とならんで子供が見える。
アーロスは黙って手を引かれて歩いている。
「コーデン殿」
思わず声に出していた。
「いたずらっ子を見つけたよ、ギュミル君」
おっとりと笑み含みの声。
「この子は俺が連れていくから、君は報告をしておいてくれるかい」
「了解しました」
ギュミルはうなずき、城へと足を進めた。