69. 血統
水浴びの跡が整然と片付いているか目を走らせるエウスに呼びかける。
「さすがだな」
「いつものことだからな」
すこしばかりおどけて肩をすくめる。その軽いしぐさを目にして、ギュミルはふとした思いつきをたずねてみる気になった。
「おまえ、もしかしてあの娘が気に入らないのか」
深い群青の瞳がギュミルにむけられる。それはすぐにそれて苦い笑いになった。
「……わかるか」
「入隊以来のつきあいだ」
エウスは表情を保ったまま疲れたようなため息をつく。それでも向き直って背筋をのばしたときには目に力がもどっていた。
彼とくらべればギュミルのほうがやや背は高い。王国を代表する騎士の長は、きっぱりとあごを上げた。
「リヒティアの要となるのは、純粋なリヒティア人であるべきだ。違うか」
ここ最近の騒ぎの中心であるニィカが他国の血を引いていることは、肌の色からも明らかだ。リヒティア王国にたいして信奉にも似た忠誠を誓っているエウスにとっては、それが気に入らないのだろう。
「おまえらしいな」
ギュミルはそう言うにとどめた。ギュミルにとっては国王陛下が絶対の存在だ。陛下の命であるならば、相手がどこの者であろうと護りもするし斬り伏せもする。
「ほかのやつには言わないでくれよ」
表情を無理にゆるやかな笑いにもどして、エウスがぼそりとつぶやく。
「当然だ」
とらえようによっては陛下の意向と正面からぶつかる考え。敵意ある者の耳に入れば足下をすくう材料にされかねない。
それでもエウスの愛国がリヒティア屈指のものであることにちがいはない。騎士をひきいる上で彼以上の適材はいないと評価していた。それらを抜きにしても、快活な彼の人柄をギュミルは気に入っていた。
迷いのないギュミルの返答にエウスの表情が明るくなった。
「そうだ、暇ならあいつらに稽古をつけてやってくれないか」
「ああ」
気安い口調。これから夕飯まで無心に剣を振るうことができる。願ってもない申し出だ。
汗臭い訓練場が、ギュミルにとってはもっとも居心地のいい場所だった。
件の娘が兵舎を訪れているといううわさは、またたく間に知れ渡った。
エウスは苦い顔をしながらも騎士を統制する。
殺気立つほどの勢いでギュミルは猛攻する。
「目をそらすな!」
遠慮なく踏み込み、横薙ぎにする。刃に覆いをかぶせているとはいえ、まともに当たれば骨の一、二本も折れるだろう。
本能的な危機さえ感じさせる気迫に、訓練場の空気は一変した。
暴れる黒熊は問答無用で騎士たちの意識を戦闘へと引きもどした。エウスは口元に笑みをうかべて自らも剣を手にとった。